鈴木 真治選手 試合直前インタビュー公開!

インタビュー

公開日:2015/07/08

2015年7月12日(日)にディファ有明で行われます「REBELS.37」にて、REBELS-MUAYTHAIスーパーライト級タイトルマッチ3分5回戦を行います、鈴木真治選手のインタビューを公開させていただきます。

昭和のキックボクシングの片鱗を見せられたら

聞き手:布施鋼治

──今年1月、キャリア10年目にしてようやく初戴冠を成し遂げました。
途中ブランクもあったと思うけど、続けていて良かった?

鈴木 そうですね。
デビューしてからなんだかんだ10年も経っていますからね。
あの一戦(潘隆成との間で争われたJ-NETWORKスーパーライト級王座決定戦)で負けていたら、たぶん選手として終わっていたでしょう。
地元の仙台に戻っていたか、東京で就職していたような気がします。

──進退をかけた一戦だったんですね。
チャンピオンになった日はチャンピオンベルトを枕元において寝た?

鈴木 仙台から親父が応援に来てくれてそのまま僕のアパートに泊まっていったんですよ。
試合があった日の夜って僕は寝られない。
だから親父の枕元に置いていたけど、(夜中に寝返りを打って)ベルトに足を向けて寝ていた。
勘弁してくれと言いたくなりましたよ(苦笑)。

──最高の親孝行じゃないですか。
一度ジムを離れた時期があったという話も耳にしたけど、続けた甲斐がありましたね。

鈴木 ハイ、それは4年前の話ですね。
普通の暮らしをしていたんですけど、なんか物足りない。
仕事が終わったあともまだ身体が動くと思って、ひとりで走ったりしていました。
1年ほどくすぶっていましたね。

──延長戦で潘選手を撃破したあと、ヒーローインタビューで「東京が僕を強くしてくれた」と発言したじゃないですか。
あの一言は印象に残りました。

鈴木 ありがとうございます。
仙台の皆さんが僕の基礎を作ってくれて、東京で知り合った人のおかげもあって僕はチャンピオンになれた。
そのどちらかが欠けていたらベルトを巻くことはなかったでしょう。

──キックを始めたのは地元仙台?

鈴木 そうです。
中3の秋に、単純に強くなりたいと思って仙台青葉ジムに入りました。
自転車で片道40分かけて通っていましたね。

──情熱がなければできないことですね。

鈴木 当時は格闘技通信(休刊)やゴング格闘技(現・GONG KAKUTOGI)を熟読していました。
毎月8日と23日が発売日だったので、その日が来るのが楽しみで仕方なかった。
布施さん(インタビュアー)が書いたサックモンコンvsペリー・ウベダの試合記事を読んで、サックモンコンの左ミドルがどれだけすごいのか想像力を膨らませていました。
いまみたいにネットがあるわけじゃないし、試合映像が出回っている時代じゃなかったですかね。

──うれしい話です。

鈴木 いまもその号は仙台の実家の本棚に大事にしまってあります。
手垢がつくくらい読み返していましたよ。

──ところで、潘選手にダメージを与えたのはローキックでした。
試合後、潘選手は「あんな強烈なローはもらったことがない」と驚いていました。
やっぱり選手としての代名詞はロー?

鈴木 ハイ。
ローは東京で僕を鍛えてくれた藤原ジム(現・格闘技道場ゴールデングローブ)の伝統だけど、その基本は仙台青葉でトレーナーをやっていた石垣さんという方から「効かせるように蹴りなさい」「中途半端なローは蹴られない方がいい」と口がすっぱくなるくらい言われていました。

──新体制になってからのジムはどうですか?

鈴木 名前や体制は変わったとはいえ、僕は藤原ジムの出身で、先輩たちから技術はもちろん気持ちの部分も受け継いだと思っています。
藤原ジムには泥臭いイメージがあったと思うけど、そういう昭和のキックボクシング的な匂いは嫌いではない。
自分でいうのもおこがましいけど、今回の試合も昭和のキックボクシングの片鱗を見せられたらいいなと思いますね。

──ハチマキ選手の印象は?

鈴木 結構タフでスタミナもあって淡々と同じペースで試合を進めてくるのでやりづらい。
正直大変な試合になると予想します。
実を言うと、ハチマキ選手が階級を上げて水落選手に勝ったあたりからなんとなく自分とやるんじゃないかという予感はしていました。

──ハチマキ対策は練りました?

鈴木 僕は結構対策を練る方なんですよ。
基本的に自分はこうしたいというプランを立てたうえでまわりと相談するようにしています。
なんかうまく喋ることはできないですけど。

──REBELSのイメージは?

鈴木 前回4月のWPMF JAPANとの合同興行で初めて上がったんですけど、以前は森井(洋介)君や渡部(太基)君が出ていたじゃないですか。
個々の選手を取り上げて盛り上げてくれるプロモーションという印象はありますね。

──その4月大会には”日本人キラー”ゴンナパーのヒジ打ちによって切られ、TKO負けを喫してしまいました。

鈴木 タイ人と闘うのは3戦目だったけど、ゴンナパーにはうまさを感じました。
総じてタイ人選手は気持ちの切り換えが早い。
ヒジと首相撲の技術が突出しているのはもちろん、キャリアで培ったと思われるその場に応じた対応能力はハンパない。
○△がダメだったら、×○をやるみたいな。
ゴンナパーも最初は強気でどんどん前に出てきたけど、途中から結構下がってきたのでローが効いているのかなと思ったけど、そうなったらなったでヒジで切ってきた。
ヒジを狙っているのかなという予感もあったけど、まんまと罠にはまってしまった感じがします。
その時の傷はまだ生々しく残っています。
鏡を見るたびにチクショーと叫びたくなりますよ。

──J-NETに続いてREBELSのチャンピオンになったら次の目標は?

鈴木 5月に(WBA世界スーパーフェザー級王者の)内山高志さんがジョムトーンを倒したじゃないですか。

──私も会場で見ていました。
ムエタイではあれだけ強いジョムトーンがキャンバスに大の字になったシーンはショッキングでしたね。

鈴木 今度はキックルールで僕がジョムトーンを倒したい。
何年か前から僕はフィジカルトレーニングで土居進さんのところでお世話になっているんですけど、内山さんや八重樫東さんと同じ時間帯になることがある。
練習に取り組む姿勢をみていると、やっぱり世界のトップに立つ人だなと感心します。

──だったら、ハチマキ戦はジョムトーン戦に近づくための第一関門となりますね。

鈴木 すでにゴンナパー選手に負けているのであとがないけど、もうすぐ30歳。
キックボクサーとしても社会人としても節目を迎える。
同い年の社会人だったらそれ相応の経験を積んでそれなりの肩書になっていると思うけど、僕にはそれがない。

──いやいや、J-NET王者という肩書を持っているじゃないですか。

鈴木 ただ、選手として体力的な衰えは感じていないし、反応も悪くなっていないと思う。

──少なくともあと5年くらいは現役?

鈴木 いや、(35歳になっても現役を続ける)内山さんではないのでそんなには。
内山さんのようになりたいとは思うけど、いまはそんなに長くはできないかなと思いますね。
あと2〜3年できたらいい。
僕は総合力で過去最高の強さがあれば続けていくことができると思っているんですよ。
だから総合力が下がっていると思ったら、その時点で辞めようと思っています。
幸いまだ体力は上がっている。
あとはメンタル。
若さはなくなっているけど、その分賢くなっているんじゃないかと信じたい。

──今回はREBELSのベルトだけがかかっているけど、ハチマキ選手は王座を統一する意識を持って闘いに挑むそうです。

鈴木 これだけチャンピオンが乱立していると、統一は意識しますね。
大きい目で見たら、その方がキック界にとってもいいでしょう。
本来は統一されるのがベストだけど、現状でそれはなかなか難しいと思うので。

プロフィール
鈴木 真治(すずき しんじ)
所  属:格闘技道場道場ゴールデングローブ
生年月日:1985年11月06日
出  身:宮城県
身  長:174cm
通算戦績:31戦20勝(10KO)7敗4分

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