才賀紀左衛門(クロスポイント吉祥寺)インタビュー

インタビュー

公開日:2018/7/12

聞き手・撮影 茂田浩司

キザエモンが「ハングリー」な理由
才賀紀左衛門、クロスポイント吉祥寺移籍&REBELS参戦!!

 7月2日、東京・クロスポイント吉祥寺2階の「トレーニングキャンプ吉祥寺」にて、才賀紀左衛門のクロスポイント吉祥寺移籍と、REBELS.57(8月3日、東京・後楽園ホール)参戦の記者会見がおこなわれた。
 才賀はK-1甲子園やK-1MAX、Krushで活躍した後、4年前にMMAに転向。パンクラスを経てRIZIN参戦。妻・あびる優さんの声援を背に、那須川天心とミックスルールで対戦し、豪快にKOされたシーンも記憶に新しいところ。
 その紀左衛門がなぜクロスポイント吉祥寺に移籍し、REBELSに参戦するのか。記者会見で語ったことと、会見では語られなかった「紀左衛門がREBELSで達成したいこと」とは何か。






ターニングポイントは那須川天心に喫したKO負け。
「天心に勝つには、真剣にキックの練習せなあかんな、って」



  7月2日、クロスポイント吉祥寺でおこなわれた記者会見で、才賀紀左衛門のクロスポイント吉祥寺移籍と、8月3日(金)のREBELS.57(後楽園ホール)にて小磯哲史(テッサイジム/蹴拳ムエタイスーパーフェザー級王者)との対戦が発表された。

 才賀紀左衛門(さいが・きざえもん)は大阪府出身の29歳。K-1甲子園で注目され、K-1MAX、Krush、SB等を経て、2014年よりMMAに転向。パンクラスで2戦2勝ののち、15年大みそかよりRIZINに参戦。RIZINでの戦績は1勝5敗。そのうちの1敗は、那須川天心とのミックスルール(1Rキック、2RMMA)。才賀は1Rから真っ向勝負を挑み、天心のカウンター一撃に沈んでKO負けを喫した。

 会見の冒頭、才賀はクロスポイント吉祥寺に移籍し、MMAからキックボクシングに戻ってきた理由を説明した。

「こんにちは、才賀紀左衛門です。今回、REBELSで試合をさせて貰うことになりました。去年1年間は自分自身、色々と悔しいことがあって『このままじゃダメだ、生活を改めないと』と思いました。
 俺はいろんなものに興味を持つから、自分自身に『何をしたら満足できるか?』と問いかけて、やっぱり俺は立ち技が得意だったんで、キックボクシングをやりたい。
 総合をやりたい気持ちもあるけど、今、日本では天心やいい選手が一杯いて、海外でもキックボクシングが盛り上がってる。だからもう1回、キックボクシングに戻って『紀左衛門、すげえな!』っていうのを見せたい。
 去年1年で俺から離れていく人もいたけど、ずっと応援してくれる人もいて、そういう人に恩返ししたいし、自分が迷ってて調子の上がらない時に手を差し伸べてくれた山口さんやクロスポイントさんにも恩返ししたい。
 見て分かる通り、クロスポイント吉祥寺の練習環境は日本一です。俺は日本でも海外でもいっぱい練習してきたけど、間違いなくここが日本で一番。いいトレーナー、いい仲間もいて、ここでしっかり練習して、試合で『紀左衛門、変わったな!』というところを見せられたらな、と思ってます」

 REBELSの主催者であり、クロスポイント吉祥寺の代表を務める山口元気代表は今回の移籍の経緯をこう説明した。

「才賀選手はここに2か月通ってます。前とは打って変わって(笑)、毎日、朝走ってミットやって、昼はフィジカルをして、ウーさん(トレーナー)のアパートで休んで、夜はミットとスパー、首相撲、補強。最初『紀左衛門、どうしたんだ?』『すぐまた来なくなりますよ』ってみんな言ってたんですけど(笑)、真面目に来てるので、晴れてクロスポイント吉祥寺所属になりました」

 質疑応答では「なぜキックに戻るのか」が焦点に。

「キックに戻った理由は、やっぱり天心。総合はまだ経験もなくてハードな相手とやってきましたけど『こうやれば勝てる』ってイメージがわくんですよ。朝倉海君の時なんて試合1週間前に言われて(苦笑)。だから今までやってきた選手たちとはもう1回やらせてほしいし、やれば勝てる。
 だけど、天心には普通にぶっ倒されて、すげえ悔しいし、あの子に勝つにはこのまんまじゃあかん、真剣にキックの練習をしないと。今まで『いけるやろ』ってノリで、K-1MAXの時(63キロ)も減量しないでナチュラルでやってて、でも俺はいなすのが上手いし、それでやれたんですけど。
 だけど、初めて天心に『やられた!』っていうのを味あわされて。だから天心に感謝してるし、俺は天心、大好きやし。
 で、クロスポイントはいい選手がたくさんいて、みんなでいい意味で競い合える。俺は昔、正道会館にいて、当時いい選手が多かったんで、俺は競い合って、一番になって、一番輝いて、引っ張っていくのが好きなんで(笑)」

 今後は、REBELSとRIZINを主戦場にしていく。
「もし、RIZINがキックトーナメントをやるなら出たい。ずっとRIZINに出てきた俺が出なくて、誰が盛り上げるんですか? 俺が強くて華があるなら、みんな、俺を見たいと思うし」

 ただ、RIZINキックトーナメントの主役、那須川天心との再戦という話を振られると、才賀は消極的だった。
「天心との再戦? すぐには無理っす(笑)。立ち技の試合は久しぶりやし、何戦かしないと」

 山口代表は、才賀の才能を高く評価しつつ「キックボクシングの試合勘を取り戻すためには、やはり数戦は必要」という。

「今までMMAをやってきたんで、キックの距離感、グローブ感を思い出すまでに数戦ほしいです。もちろん、8月の試合結果次第で(RIZIN代表の)榊原さんが『ぜひ出てほしい』となれば、大きな舞台には出た方がいいと思うので。
 才賀選手は、ここでフィジカルをやっても非常に運動能力が高いです。だから、もったいないですよ。ちゃんとしたトレーナーの下、育成計画を持ってやればもっと伸びます。でも、そういうことは自分で意識してやるから身につくもの。ギリギリ間に合う年齢でキックボクシングに戻ってきたかな、と(笑)。
 これからREBELSで試合をしていけば、倒せる選手になると思いますし、なってほしい。倒せる選手が人気が出るので。目もいいので無闇に打ち合うのではなくて、しっかりと当てて、しっかりと倒せれば、と」

 山口代表の言葉を聞いていた才賀はひとこと。

「ようやく格闘家になったかな、と(笑)」

 そうして、会見の締めとしてカメラに向かってコメントを求められると、才賀はこう語った。

「キックボクサーの中やったら、運動神経、フィジカルは俺が圧倒的に高いんで。今、すっかり真面目に練習してるんで、成長していく姿をみなさんに見せられると思うんで、楽しみにしてください。
 山口さんがおっしゃったように、今、気づけてよかった。これが35歳やったらどうやったかなって(笑)。今からガンガン試合して『紀左衛門、すごいな』というのを見せていきます。
 次のREBELSの試合、楽しみにしてください」






「ボンボンでした、中3までは」
紀左衛門の知られざる歴史と、妻、あびる優さんへの思いとは。



 会見を取材して、驚き、かつ納得したことがあった。それは「これまで真面目に練習してこなかった」という点である。
 昔、島田信行トレーナー(エディ・タウンゼント賞受賞の名トレーナー)から「才賀は才能あるよ」と聞かされた。しかし、いざK-1やKrushでの試合を見ると、上手さは感じるが「強さ」は感じなかった。目を見張るスピードもキレもパワーもなく、正直「いろんな選手を見てきた島田トレーナーが高く評価するほどの選手だろうか?」と思ったものだ。

 会見後、そのことを問うと、才賀は照れ笑いを浮かべた。

「いや、練習してるんですよ、俺の中では(笑)。正道会館にいた頃は1日1時間とか1時間半でしたけど、島田先生にはすごい教わってました。ただ『毎日走れ』と言われてましたけど、一人で走るのは苦手だったんで(苦笑)」

 「遊びに忙しく」練習は短時間だったが、その一方で才賀には「勉強熱心」という面もある。

「昔から体の勉強はしてて、特にフィジカルの勉強はしてきたんですよ。昔、格闘技の人は誰もやってなかったけど、サッカーとかではフィジカルを昔からやってたじゃないですか。俺は昔からフィジカルの勉強して、自分の体で試してみたりもしてきた。だから、そういう知識もあるし、海外のジムでも練習してるんで、クロスポイントの良さが分かるんです。ここは最高ですよ。強くなって当たり前、ここで強くなれない子は他のジムに行っても強くなれないですね」

 才賀の言う通り、2人のタイ人トレーナーに加えて、フィジカルトレーナーが常駐し、ボクシングトレーナーが教えに来る格闘技ジムは他にはない。
 また、才賀が「ここまで揃ってるのは凄い」と絶賛するのが、クロスポイント吉祥寺の2階に新設された「トレーニングキャンプ吉祥寺」の設備である。自走式のトレッドミル=スキルミルやウェイトトレーニング、ファンクショナルトレーニングの設備を備えており、才賀は「ここだけですべてのトレーニングが出来る」と驚いたという。

 真面目に練習を始めて2か月、才賀自身、29歳にして「強くなった」という実感はあるのか。

「どうなんですかね? それは俺が判断することじゃなくて、山口さんやトレーナーが判断することです。でも、動きは全然良くなってますよ。
 もし、これが陸上やったら辞めてます(笑)。誰よりも速く走る、それは年齢的に無理です。だけど、格闘技はボクシングを見ても分かりますけど40歳まで出来ます。こんな痛い競技、俺は40歳まで出来ないですけど(笑)、でもまだまだ出来るし、まだまだ伸びますよ。ここにはいいトレーナーがいて、いい選手たちがいて、みんなと相談しながら出来るんで」

 ここで、かねてからの疑問をぶつけてみた。
 才賀の実家は会社を経営し、社長は父親だという噂を聞く。才賀自身、格闘技を辞めたら大阪に帰って会社を継ぐ、ということになるのだろうか。
 実家の話を切り出すと、才賀は「俺、超ボンボンですから」と笑っていたが、さらに突っ込んで聞くと真面目な顔でこれまで語ってこなかった事実を明かした。

「邪魔くさいから説明もしてなかったんですけど、みんな誤解しているんですよ。中3まで、俺はボンボンです。歩いて学校に行ったことがなかったんで。でも、親父が亡くなって、そっから生活がバーンと変わってすげえ苦労しましたよ。
 会社は義理の兄貴が継いで、いろんな事情があって、俺は義理の兄貴とは疎遠なんで。中3の時におかんと喧嘩して、俺、荒れてたから家を出て一人で生活するようになって。無茶苦茶やってました(苦笑)」

 中3で家を出てからは金銭的な援助はなく、生活費にも事欠く状態も経験した。

「義理の兄貴が日本に帰ってくる時は自家用ジェットだと聞くと『そんな金があるんやったら、少し分けてくれよ』と思うけど(笑)。でもそれはそれでそういう人生。親父は一代で会社を大きくしたし、俺もしっかりと格闘技を頑張って、親父が亡くなってから俺たち三兄弟を一人で育てたおかんを早く楽にさせてあげたい。今でも俺が何かすると、おかんは『そんな金があるんやったら貯金しなさい』って言うし」

 これまで才賀の言動を見ていて、彼の「目立ちたい、チャンスをモノにしたい」というハングリーさ、貪欲さは、一体、どこから来るものなのだろうと思っていたが、彼は何もない状態で格闘技界に身を投じ、今日まで生き抜いてきたのだ。

 今回のキックボクシング復帰には、もう一人、才賀が「幸せにしなくてはいけない人」の存在がある。
 妻、あびる優さんだ。
 今回のREBELS.57、あびる優さんは観戦に来るのか、と聞くと、才賀は「来ないです」と答えた。

「調子のいいヤツにはなりたくないんで、一度、自分で這い上がらないと。(見てて)安心できる試合を出来るようになってからちゃいます? 久しぶりの試合やし『見に来てくれ』なんて言えないです。自分が『これやったら見に来て貰っても大丈夫』って言えるようにならないと」

 リングサイドでの熱狂的な応援ぶりが話題となったあびる優さんだが、同時に、試合で失神したり、怪我をする夫・才賀を目の前で観るというとても辛い経験も味わうこととなった。

「ウチの奥さんは、キックボクシングは天心の試合しか見てないし、後は俺が総合でしんどい思いをしてるのしか見てないから。ぶっちゃけ、格闘技は好きじゃない。そうさせてしまったのは俺の責任なんで。
 だから、どんどんどんどん勝って、ウチの奥さんが安心できる試合をしないと。そのためにも俺は『キックボクシングやな』って思ったんです。総合でチャレンジしてる場合じゃない。今、天心っていうモンスターがおるから、自分の得意なキックでチャレンジした方がいいな、って。
 これが20歳なら『キックも総合も両方』と思っただろうし、今でも両方できっちり成績を残す選手になれると思ってますよ。でも、ぶち抜ける選手になるには、天心に勝たないといけないんで。そのためには何年かキックに専念して、タイトルを獲ったりしていかないと。
 今、ものすごい練習してますよ。こんなに練習したことないんで最初は苦痛で(苦笑)。でも、ここで逃げたら、もっと苦痛になるじゃないですか。
 それに、俺には色々とアドバイスしてくれたり、救ってくれた人がたくさんではないですけど何人かいるし、ウチの奥さんにも助けられてます。『モンちゃん、こうした方がいいよ』って言ってくれることも一杯あるんで。そういう意味で毎日勉強になってますよ。特に、今年になってからはね(笑)。
 今、俺が一番輝けるのはキックです。日本でも海外でもキックは盛り上がってますけど、俺は山口さんにも恩返ししたいんで、どんどんREBELSを盛り上げていきますよ。8月3日、ぜひ会場に見に来てください」

プロフィール
才賀紀左衛門(さいが・きざえもん)
所属:クロスポイント吉祥寺
生年月日:1989年2月13日生まれ、29歳
出身:大阪府堺市
身長:168cm
戦績:27戦16勝(4KO)9敗2分、MMA7戦3勝(2KO)4敗

REBELS.57(8月3日(金)後楽園ホール)ハチマキインタビュー

インタビュー

公開日:2018/7/3

聞き手・撮影 茂田浩司

1年8か月ぶりの復活!!
オタクキックボクサー、ハチマキ(PHOENIX)インタビュー

 あの人気者がとうとうREBELSに帰ってくる。
 無尽蔵のスタミナを武器にREBELSで2階級制覇を達成する一方で、日菜太、町田光と結成した「IKG(イケてない格闘家グループ)」では朴訥とした人柄と、熱く「Kalafina(カラフィナ)愛」を語る姿が人気を博した「オタクキックボクサー」ハチマキ(PHOENIX)。
 2016年11月30日「REBELS.47」での不可思戦を最後に、長くリングから遠ざかっていたが、REBELS.57(8月3日、後楽園ホール)でいよいよ復活を果たす。
 実に1年8か月もの間、ハチマキはどこで何をし、どんなことを思っていたのか。復帰戦を前にした現在の胸中に迫った。






格闘技オタク→「就活しない言い訳」でプロキックボクサー→2階級制覇達成→長期欠場



  「ハチマキ」は異色の経歴を持つキックボクサーだ。
 子供の頃は運動嫌いのオタク。好きなものはゲーム、アニソン、そして格闘技だった。
「格闘技オタクで『カッコいいな、自分もやってみたい』と思って、最初はボクシングジムに通ったんです。高校生の頃、東十条のドリームジムに毎日通ってました。でも『俺はプロは無理だから、トレーナーになるか、ボクシングマガジンのライターになるか』って、そっちの方面で考えてました(笑)」
 親との約束で、高3でジムを辞めて、大学の受験勉強に専念。法政大学法学部政治学科に入学すると、また「格闘技オタク」の虫がうずき出す。
「大学に入ってからもドリームジムにちょっと行ったんですけど、面倒くさくなって行かなくなっちゃって。1年ぐらい何もしてなかったんですけど、ちょうどその頃にK-1、PRIDEの『格闘技ブーム』が起こったんです。テレビで見ているうちに『やってみたい!』って思うようになって」

 当時、ハチマキは深刻な問題を抱えていた。人と接することが大の苦手だったのだ。
「アルバイトをしても職場の人間関係が苦痛なんです。で『これは絶対に就職なんてできない』と。格闘技では食べていけないことも分かってたんですけど、とりあえず『プロ』の肩書きがあれば、就活しなくても親への言い訳になるな、と思って(笑)。それでキックボクシングを始めました」

 大学2年の時、PHOENIXに入門。その1年後に「あの男」が入ってくる。
「写真で見たことがあるかもしれないですけど、ロン毛の梅ちゃん(梅野源治)が入ってきたんです(笑)。最初から凄くて、僕の同期みたいなアマチュアの選手たちが、入ったばかりの梅ちゃんにやられちゃうんです。それを見て『最初は舐められないようにしないと』と思って、僕はスパーでローキックを蹴りまくったんですよ。でも、僕の記憶する限り、梅ちゃんをスパーでやっつけたのはそれが最初で最後だと思います(笑)。梅ちゃんは運動センスがあるし、気が強いし『高校では喧嘩をしてきた』というだけあってそういうキャリアもあるし(笑)。プロデビューしたのも、試合が決まってた選手がいなくなってしまって『誰かを代わりに試合に出さないと』ってなった時、まだアマチュアでも1戦しかしてない梅ちゃんが出ることになって、それで勝ってしまったんです(笑)」

 梅野があっという間にキック界で名前を上げていくのを横目に、ハチマキはコツコツと練習を続けた。
 2007年12月、21歳で念願の「プロ」デビュー。その後は勝ったり負けたりしながら、少しずつキャリアを積み、2013年7月にプロ20戦目でREBELS-MUAYTHAIライト級王座決定戦に勝利して初代王者に。
 その後も、勝ったり負けたりしながら、2015年1月、水落洋佑に勝利し、REBELS-MUAYTHAIスーパーライト級王座獲得。2階級制覇を達成した。
 しかし、2016年11月、3度目のタイトル防衛戦で不可思に5RKO負けを喫し、REBELS-MUAYTHAIスーパーライト級王座を失うと、ハチマキはリングから姿を消した。






キックボクサー引退も覚悟し、就活セミナーへ。
そこで大失敗。「俺、働くの無理……」



 ハチマキにとって、2017年は最悪の1年だった。体調不良のために練習も満足に出来ず、試合から遠ざかった。
 体調が上向くことを期待して、練習を一切止めてみた時期もあったが体調は良くならない。出口の見えない状況で「復帰するまで頑張るか、このまま引退するか」の間で揺れ続けた。

「去年は本当にどうしようもなくて、何度もキックボクシングを辞めようと思いました。体調不良は不可思戦の前からあって、その時は練習もしちゃってたんですけど。1度、REBELS-MUAYTHAIスーパーライト級決定トーナメントで試合を組んで貰いましたけど、やはり『試合が出来る体調』まで戻らなくて欠場してしまいました」
 休養中、就職活動をしたこともあった。

「キックを辞めて、何をしようか、と考えて。これは『新しいことをやれ』という神の啓示なんじゃないか、って(笑)。
 大学生の頃は人間関係が苦手すぎて『絶対に就職できない。プロになれば親への言い訳になる』と思ってキックボクサーになりましたけど(笑)、今はパーソナルで教えることもしてますし、人と接することに苦手意識はないんです。普通にデスクワークにも興味があって、30歳ならギリギリで間に合うかもしれない、と思って。
 『遊びでも、一度就活してみたら』とアドバイスされて、リクルートに登録して、就活セミナーに足を運びました」

 ハチマキには苦い記憶があった。
 大学を卒業するタイミングで、一度、正社員としてデスクワークを経験したがそこで大失敗しているのだ。

「設計事務所を紹介されて『とりあえず3か月間アルバイトで』と言われて入社したんです。3か月経って『電気の設計をする人が定年退職するから、勉強してやってみないか?』と言われて、やってみようかな、と甘い考えで正社員になったんですけど。
 最初のうちは、勤務時間中に座って設計の本を読むのが仕事だったんですけど、本を読んでいるとついウトウトしてしまって(苦笑)。最初は教えてくれる人も笑っていたんですけど、居眠りを繰り返すうちにどんどん険悪な感じになって……。『これは無理だ』と思って、結局、正社員としては半年間いただけで辞めました」

 当時は埼玉県に住んでおり、朝走り、都内に出勤し、その後にジムワークをして埼玉に帰る生活だった。睡眠時間は4時間ほどしか取れていなかった。
「元々寝ないとダメな子なので(苦笑)。そんなこともあって、睡眠時間を取れるように都内に住むようになったんです。会社で居眠りした時は睡眠時間4時間の生活でしたし、就活セミナーの前夜はしっかりと7時間寝て、万全の体調で臨んだんです。だけど……、耐えがたい睡魔に襲われてやっぱり寝ちゃったんです(苦笑)。椅子に座っているとまぶたが重くなってきて、それで『俺、働くの無理』と思いました(苦笑)」

 PHOENIXジムのオーナーに相談すると、こんな答えが返ってきた。
「『30歳までまともな職歴もないヤツが就職できるところなんて、どうせブラック企業しかねえぞ』と言われました(苦笑)。それなら、トレーナーなら今までやってきたトレーニングの経験が活かせますし、資格も持っていれば一つの売りになるんじゃないか、と思って、勉強してNSCA―CPT(NSCA認定パーソナルトレーナー)の資格を取りました」

 ハチマキは、平日は運送会社で契約社員として働く生活を7、8年続けている。これに加えて、昨年から土日をパーソナルトレーナーとして契約したクライアントのトレーニング指導に充てている。完全休養日なしの生活だが、苦にはならない。

「気づいたら、3か月間1日も休んでなかったな、という時はレッスンをお休みさせて貰って、趣味の一人旅をしてます。ただ、日曜日のパーソナルもたとえば2人の方に1時間ずつ、とかですから。家にいて何もしないよりは体を動かした方がいいですし、教えることも好きなので」

 ハチマキはパーソナルの様子をSNSにアップしている。みるみるうちに体が変わっていくクライアントの様子が大きな反響を呼ぶなど「パーソナルトレーナーハチマキ」は順調に成果をあげているが、ハチマキは心の隅に常に「リングに上がれない自分」へのもどかしさを抱えていた。






IKGの仲間やかつて対戦した相手の試合を見て「気持ちを切らさないようにしてた」
復帰戦への思い。そしてハチマキの「夢」は?
「梶浦由記さんに入場曲を作って貰えたら、と……」



 ハチマキが欠場している間、REBELSで一緒に戦っていた仲間や対戦した選手たちは新たな舞台で活躍し始めていた。
 IKGのメンバーでは日菜太がK-1に電撃参戦を果たし、町田はKNOCKOUTに出場。REBELSのベルトを奪われた不可思、過去1勝1敗の水落洋佑と山口裕人もKNOCKOUTに参戦。ゴンナパー・ウィラサクレックはK-1、Krushでの活躍で一気に知名度を上げた。
 気づけば、ハチマキだけが「試合すら出られない」という状況に追いやられていた。

「毎試合『これで終わっても悔いのないようにやろう』と思ってやってました。プロで10年以上試合して、タイトルも獲れて、しかもREBELSで2階級制覇まで出来ました。それに、一緒に練習してた選手が難病になってプロデビューできなかったり、週1でミットを持っていたTRIBE(TOKYO MMA)の秋葉(尉頼)君がまだ21歳の若さで交通事故で亡くなってしまったり。そういうやりたくても出来なくなってしまった人のことを考えると、僕はもう十分にやったのかな、と思ったり。
 でも、まだどこかに『復帰したい、試合をやりたい』という気持ちもあって、そういう気持ちを切らさないように対戦した選手が出場する大会にチケットを買って見に行ったりもしました」

 ハチマキの中では、まだ『やり切った』という思いを持てなかった。
「自分の限界というか『こんなもんなのかな』と思うことも、努力をし続ければまだこの壁を超えられるんじゃないか、もうちょっと夢物語を信じたい、と思ったんです。
 あと『また試合を見たい』という人たちの声も励みになりました。だからこそ『どうしても、1回だけでも試合をやらないといけない』と思っていましたし」

 今年に入り、ハチマキは本格的な練習を再開した。すると、去年苦しめられた体調の波も無くなり、日に日に調子が良くなっていく。
 その矢先に、REBELSの山口代表から復帰戦のオファーが届く。対戦相手は、4年前にヒジ打ちでKO負けしている翔センチャイジムだった。

「最初に聞いた時は『マジすか!?』です。復帰戦で、以前にKO負けしている相手ですから(苦笑)。でも、この試合にちゃんと勝てば『ハチマキはブランクがあったけど戻ってきたんだな』と思って貰えると思うので。
 やっぱ練習してて、楽しいんですよね(笑)。試合に向けて、キックボクシングという競技を考えて、練習していく作業が本当に楽しいな、って思います」

 4年前の自分と違う、という自負もある。
「翔センチャイジム選手はサウスポーですけど、翔選手と試合した後、サウスポーとはかなりキャリアを積めて、当時よりはサウスポーに慣れていると思います。
 特に、ゴンナパーとの試合は印象に残ってます。あの左ミドルを2、3発貰った時点で『これはいつもと違う!このままじゃやばい!』と思ったんですけど、5R蹴られまくって『腕が壊される、ってこういうことか』と初めて分かりました(苦笑)。終盤は向こうも流し始めましたけど、僕の腕の感覚もマヒしちゃって、痛みも感じなくなってました。
 あと、渡辺理想選手とも試合しましたし。今も『サウスポーとどう戦うか』を練習してて、怖い面もあるんですけど、楽しみでもあります」

 キックボクサーが直面する困難の一つに「明確なゴールがない」ということがある。ムエタイ戦士なら二大殿堂のムエタイ王者。K-1ファイターならK-1王者。では、キックボクサー・ハチマキの考える「ゴール」とは何か。

「ゴール? ゴール……(しばし考えて)。
 ゴールって考えると、これまで試合をしてきて、ゴンナパーは強かったですし、不可思選手にもKO負けしましたけど、なすすべなく、絶対勝てない、じゃなかったんです。めちゃめちゃ強いヤツに、その試合のためにしっかり練習して臨んでも、なすすべなく跳ね返されて『これが本当の自分の限界だな』と思えたら、それが一つのゴール、一つの終わり方かな、と思います」

 ハチマキには明確な目標がある。

「目標は、自分の試合で誰かの人生を変えてやりたい、と思ってます。一人でもいいので『ハチマキさんの試合を見て、頑張ってこういうことをしました』とか、いい影響を与えたいですし、そんな試合がしたいです。
 これまでもインタビューで話していることですけど、僕は好きなアーティストのライブに行って、衝撃を受けて、それで今まで頑張ってこれました。梶浦由記さんとKalafinaに人生を変えて貰ったと思っていて。
 REBELS-MUAYTHAIスーパーライト級のタイトル防衛戦で、渡辺理想選手と試合した時は(2016年6月1日、REBELS.43)、梶浦由記さん、Kalafina、FictionJunctionのフルメンバーで後楽園ホールに応援に来ていただいたんです。その試合に勝って、祝福して貰って『この先もあれ以上のことはない』と思います(笑)。あの大会はT-98(タクヤ)さんがラジャダムナン王座に挑戦して、勝ってチャンピオンになったんですけど、僕は『ラジャ王者になるか、梶浦さんたちに見に来て貰うか』なら、迷わず見に来て貰う方を選びますし(笑)。
 だから、なおさら『梶浦由記に応援して貰った人間が、ここで終わってはいけない』と僕は勝手に思っているんです」

 その後、ハチマキは梶浦由記さんのファンクラブ会報で梶浦さんと対談もしたという。
 何気なく「ハチマキ選手が復帰することを、梶浦さんはご存じなんですか?」と聞いてみたところ、ハチマキは途端にしどろもどろになってしまった。

「いや……。それは分からないです……。あの、僕は本当にチキンなので(苦笑)。なかなか具体的な行動も起こせないですし、おそれおおくて僕から連絡することなんて出来ないですよ……。復帰戦も、会場に来て貰えるなら嬉しいですけど……。
 一つの夢としては、いつか梶浦さんに入場曲を作っていただきたい、と思っているんです。図々しいのでそこは声を小にして(笑)。もし、可能なら、と……。
 復帰戦に向けては、僕は派手な試合は出来ないですけど、今回の欠場期間に『どんなものにも終わりが来るんだな』と強く感じましたし、今まで以上に1戦1戦を大事に戦っていきます。
 ぜひ、会場で応援をよろしくお願いします」

プロフィール
ハチマキ(本名:北川和裕)
所  属:PHOENIX
生年月日:1986年6月19日生まれ、32歳
出  身:埼玉県さいたま市
身  長:175cm
戦  績:33戦16勝(2KO)13敗4分
初代REBELS-MUAYTHAIライト級王者、初代REBELS-MUAYTHAIスーパーライト級王者(防衛2回)

6.6 REBELS.56 インタビュー

インタビュー

公開日:2018/6/1 3

聞き手・撮影 茂田浩司

ラーメン店社員→溶接工→キック引退→ラーメン店店長
曲がりくねったデコボコ道を歩いてきた男、JIRO。
「現在の夢みたいな環境に感謝して、
生え抜きとしてREBELSを盛り上げる選手になりたい」

 6月6日(水)、「REBELS.56」(後楽園ホール)でREBELS-MUAYTHAIスーパーフライ級(52.163㎏)の新王者が誕生する。
 次代のキック界を担うエース候補4選手が結集し、2月大会から開幕した王座決定リーグ戦も第2戦まで終わり、2連勝した老沼隆斗(STRUGGLE)とJIRO(創心會)が最終戦で激突。勝者が第3代REBELS-MUAYTHAIスーパーフライ級チャンピオンのベルトを巻く。
 老沼がキラリと光る天賦の才を見せつけて勝ってきたのとは対照的に、JIROは相手の長所を潰し、じりじりと自分のペースに引きずり込む老獪で「クセ者」らしい戦いぶりで勝ってきた。
「老沼選手に勝ってるのは、人生経験と知り合いの多さ」  というJIROが、自らの曲がりくねったデコボコ道人生と「どうしてもREBELSのベルトを巻きたい」強い思いを語った。






プロになる道が分からずに迷走。
一度はキックを辞めてしまったことも。



 JIROが空手を始めたのは7歳。格闘技を見るのが大好きな父親の勧めだった。
「親父は厳しい時は厳しくて、ダメと言ったらガンとして曲げなかったんですけど、結構過干渉で、いろんなことを教えてくれました。3つ上の兄と、2つ下の妹の三人兄妹ですけど、僕が一番『お父さん子』だったんです。僕は小さい頃から体が小さくて、ひ弱だったので『何か格闘技をやらせたい』と思ってたらしくて、創心會の会長が中学の1コ下の後輩だったんで『やってみないか』と。
 僕は何にでも興味を示すんですけど、空手の組手を見て『やりたい』と思って、空手を始めたんです。
 小さい頃から結構強くて、相手の攻撃を貰わないで戦うのが上手かったです。中学生になると『大人とやりてえ』と思って、地元の湘南ジムにスパーリングしに通いました。今思えば、子供だから手加減してくれてたんだと思いますけど、大人とバチバチやりあっても全然負けなかったです」

 高校生になる頃には「プロになりたい」という気持ちがかたまっていたが、当時は「格闘技冬の時代」。地上波中継が無くなり、格闘技界全体に熱のない頃だった。
「『どうすればプロになれるのか』が分からないし、ジュニアの頃は毎週あった大会も高校生になると出られる大会が減っちゃって、試合数が激減したんです。周りのプロを見ても働きながらやってて『いつ練習してるんだろう?』って。その辺から迷走しました(苦笑)」

 高校を卒業し、JIROが選んだのはラーメン店への就職だった。
「オーナーに『キックボクシングの練習は行けるようにする』と言われて、自分では『二十歳までにプロになろう』と思ってたんですけど、働き始めるとなかなか練習に行けなくて。1年働いた後、会長に『プロになるなら俺のところで働きながら練習しろ』と言って貰って、溶接工になりました。でも、練習でも仕事でも会長と一緒の生活はなかなか厳しかったです(苦笑)。で、自分もだらしないところがあって、二十歳の誕生日に粗相(そそう)をしてしまいまして……」

 JIROはアマチュアREBELS「BLOW-CUP」を勝ち上がり、55kgトーナメントで優勝(決勝戦の相手は、現在プロで活躍するクロスポイント大泉の三浦翔)。
「決勝戦はプロルールでやって、勝ったんで『俺はプロになれるんだ!』と嬉しかったし、その時が19歳で『ギリギリ間に合った!』と思って。だけど、二十歳の誕生日に酔っぱらって、次の日も仕事なのに昼過ぎまで寝ちゃって(苦笑)。連絡も出来なかったんで、無断欠勤に怒った会長に『プロには行かせない』と言われて、それでくじけて『仕事もキックも辞めます』って、辞めてしまったんです」

 JIROはかつて働いていたラーメン店に戻った。
「オーナーに『人がいなくて困ってる』と言われて、つなぎとしてアルバイトで入ったんですけど『店長になったらこれだけ給料をあげる』と言われて、店長になりました(苦笑)」
 そのままラーメン道を突っ走る人生になるかと思いきや、運命のいたずらがJIROを「キック道」に引き戻す。
「たまたま、その店の横に『横浜総合格闘』というジムがあって、行ってみたらトレーナーのナルンチョンがいたんです。練習してたら、ナルンチョンに『なんでプロにならないの? プロになれば?』って言って貰って『やっぱりキックをやりたい』と思って。
 それで、会長に『またやりたくなっちゃって』と言いにいったら『全然いいよ』と。怒られると思ったんですけど、喜んでくれたんでキックに復帰したんです」

 その後、アマチュア大会に優勝し、2017年4月の「REBELS.50」でプロデビュー。結果はドローに終わった。
「親父は亡くなる3年前に脳梗塞で倒れて、デビュー戦だけは会場で見て貰ったんです。でも、デビュー戦はドローで、その後に亡くなってしまったんで、僕が勝ったところを見せられなかった。そのことは、今でも自分の中に引っ掛かってます」






クロスポイント吉祥寺での練習ですべてが変わった。
生え抜きとしてREBELSを盛り上げる



 プロになってからも、順風満帆とはいかず、4戦目で大失態をおかしてしまう。
 REBELS.51、52と連勝して迎えた昨年11月のREBELS.53。フライ級(50.8kg)契約だったが、前日計量で1.7キロもの大幅オーバーで失格となった。
 かねてからJIROの才能を高く評価する一方で、大幅な体重超過を重く見た山口代表は、JIROから事情を聞き「生活と練習環境に問題がありすぎる」として改善策を講じる。
 JIROをクロスポイント吉祥寺のインストラクターとして迎え入れると共に、クロスポイントのプロ練に参加させた。
 クロスポイントの選手たちは、JIROの食生活や減量方法を聞いて呆れかえったという。

小笠原瑛作「計量の1週間前にメンチカツを6個食べたり、漫画喫茶のコーンポタージュが美味しくてたくさん飲んじゃった、とか、JIROはめちゃくちゃで(苦笑)。みんなに怒られたり、パン君(潘隆成)に注意されてました。JIROはキャラが面白いし(笑)、練習を楽しそうにやるんでそれはいいと思いますけど」

 JIROは、クロスポイントの選手たちと接して、自分の減量方法の間違いに気づいたという。
「ずっと走って落としてたんです。いつもは1週間前から、朝と夜で20キロぐらい走って落としてました。でもオーバーした時は、走っても走っても全然落ちなくて、水分も摂らないんで全然汗もかかなくて落ちないんです。周りには『もうちょい水を飲んだ方がいい』と言われてたんですけど、体重計に乗って全然減っていないと嫌な気持ちになるので。
 クロスポイントに来てから、潘さんとか周りの人に減量の仕方を逐一聞くようにしました。通常体重もそれまで62、63キロあったんですけど、今は試合に向けてしっかりとした練習に入る時は58キロをキープしています。潘さんを見習って、昼と夜食の二食分の弁当を作ってジムに持って来るようにしてて、食事面を変えたのは大きいです」

 練習内容も一変した。
「昨年1月から東京に出てきて、他のジムで指導しながら練習してたんですけど、練習はほぼ一人で、1時間サンドバッグを蹴ったりとかで(苦笑)。
 クロスポイントに来て、まず一般会員さんもヒジ、ヒザが出来ることに驚きました(笑)。プロ練に参加して『これがちゃんとしたプロ練なのか』って。密度が全然違って、1回1回の練習が濃いし、スパーでは不可思さんとかにボコボコにされてますけど、充実してます。『ちょっと打たれたな、ダメージが溜まりそうだな』と思ったら次の日はスパーを休んでダメージを抜いたりしながら(笑)。こんな有名な人たちと練習できるなんて、夢にも思ってなかったんで」

 今年2月から始まったREBELS-MUAYTHAIスーパーフライ級リーグ戦では、ここまで2連勝しながらもまだ納得いく試合は出来ていないという。
「クロスポイントで練習するようになって、もっと強くなってると思ってたんですけど(苦笑)。試合になると縮こまってしまって、ガチガチで何となく動けないんです。今いち、一皮剥け切れてないです。
 僕はアマチュアの時から『相手の攻撃を貰わないで、自分だけ当てる』をずっとやってきて、プロになってもついついポイントゲームをしちゃうんです。『どうやって倒す』とか考えてないんですよ。こう来たらこう蹴る、組んできたら組み負けないで倒す、とか単純な動作しかできないんです。試合運びは、自分が勝てるように上手く持っていけるんですけど、今まで『どう倒す』まで考えたことがなかったんで、それが今の課題かな、と」

 JIROの武器は「分析力」。対戦相手は注意深く観察し、わずかな変化も見逃さない。
 対戦相手の老沼隆斗もすでに分析済みだ。
「老沼選手は速いし、手数が多いし、結構ヒット&アウェイでやりにくそうです。あと、スタイルが変わりましたね。最初に試合を見た時と全然違うな、と思って。空手っぽさがちょっと抜けつつあって、リズムの取り方がムエタイスタイルっぽくなってますよね。
 試合は、今回こそスカッと勝ちたいです(笑)。よくミットを持ってくれるジャルンチャイは『パンチもいいし、左ミドルもいいし、組んでヒザでも負けないよ』って言ってくれてます。
 自分よりも年下には負けたくない、って思います。老沼選手は19歳、僕が19歳の時はアマチュアのBLOW-CUPに優勝したぐらいなんで、きっちりと『差』は見せて勝ちたいですね」

 JIROは「自分はREBELSで育てられた」という自覚がある。
「目標はREBELSをもっともっと有名にすることです。僕がチャンピオンになって、いろんな選手と試合して『REBELSの選手は強いね』って言われるように。
 ずっとREBELSで育てて貰ったのに、少し有名になると離れていっちゃう選手も多いじゃないですか。僕は上手く盛り上げていけたらいいな、って思ってます。僕はREBELSでデビューして、REBELSで育てられた『生え抜き』ですからね(笑)」

プロフィール
JIRO(じろう。本名:齋藤信次郎)
所  属:創心會
生年月日:1995年3月17日生まれ、23歳
出  身:神奈川県大和市
身  長:164cm
戦  績:7戦4勝2敗1分
アマチュアREBELS「BLOW-CUP」55㎏トーナメント優勝

6.6 REBELS.56インタビュー

インタビュー

公開日:2018/5/30 3

聞き手・撮影 茂田浩司

「天心世代」から新たな才能が出現!
「ムエタイキラーの遺伝子」を受け継ぐ19歳、老沼隆斗。
狙うは初タイトルと「メインイベンターへの覚醒」

 6月6日(水)、「REBELS.56」(後楽園ホール)でREBELS-MUAYTHAIスーパーフライ級(52.163kg)の新王者が誕生する。
 次代のキック界を担うエース候補4選手が結集し、2月大会から開幕した王座決定リーグ戦も第2戦まで終わり、2連勝した老沼隆斗(STRUGGLE)とJIRO(創心會)が最終戦で激突。勝者が第3代REBELS-MUAYTHAIスーパーフライ級チャンピオンのベルトを巻く。
 リーグ戦開幕前から本命と見られ、ここまで順当に勝ってきた老沼は1998年生まれの19歳。那須川天心を筆頭に、平本蓮、石井一成ら格闘技界を席巻する脅威の十代、「天心世代」の一人である。
「天心君を見てるとジェラシーがヤバいです(苦笑)。俺も、あそこまで絶対にいってやろう、という気持ちは大きいですね」
 老沼を指導するのは、90年代後半「ムエタイキラー」として名をはせた鈴木秀明会長。鈴木会長は言う。
「老沼は、天心選手に近い『感覚』を持っています。あとはどこで『覚醒』するか。この試合に期待しているんです」
 次代のキック界を担うホープ、老沼隆斗のこれまでの歩みと、現在の思いを聞いた。






K-1ファンの両親の影響で正道会館入門。
「天才空手少年」として活躍



 老沼が空手を始めたのは6歳。両親が大のK-1ファンで、幼い頃から地上波のK-1中継を見ており、小学校に入学するとすぐに近所の正道会館の支部に入門した。
「お母さんがアンディ・フグのファンで、がっつりその世代なんです(笑)。低学年の頃は週1ぐらいで道場に通って、小2から空手の試合に出始めました。最初は勝ったり負けたりで入賞も出来なくて、小4ぐらいから『勝ちたい!』という気持ちが強くなって毎日練習に行くようになりました。その頃からお父さんが練習を手伝ってくれて、ランニングに行く時は自転車で伴走してくれたり、家でミットを持って貰ったり。『勝てるように、少しでも力になれば』って」

 そうした努力が実り、中学生になると全国規模の大会で活躍するようになった。
「各ブロックの優勝、準優勝の子が集まって、全国でやるチャンピオンクラスの大会で準優勝したり、関東大会では軽量級で相手がいなくて、重量級に出場して優勝したりもしました。軽量級でもリミットは63㎏とかで、周りはみんなデカかったですけど(苦笑)。
 正道会館では『顔面ありルールの大会は高校生以上』という決まりがあったので、中学から準備して、高校生になったらフルコンタクトルールの空手をやりながら、顔面ありのグローブもやっていけたらな、と思っていました」

 プロデビューは高校2年。RISEのルーキーズカップだった。
「ただ、RISEさんはその頃、55㎏が最軽量だったんです。自分は体重が全然ないのに、55㎏で試合をして負けてしまいました」

 プロ3戦目までは正道会館所属で試合に出ていたが、次第に「ムエタイをやりたい」と考えるようになる。
「格闘技をどんどん知るようになって、ヒジありのムエタイルールの方が魅力があるな、そっちに進みたいな、と思うようになったんです。道場ではヒジありルールはやらないですし、首相撲の練習も多少はやったんですけど、ムエタイ的なテクニックはやらなかったので」

 老沼は思い切って移籍を申し出ると、道場の支部長や指導者は快諾してくれたという。
「先生方には『君はムエタイの方でやっていくんだろうと思ってた。今しか出来ないから頑張ってこいよ』と背中を押して貰いました。本当にありがたかったですし、人柄に助けられました」






鈴木会長の指導で空手スタイルからキックボクサーへ
練習でボコられながら、少しずつ掴んだ



 2016年2月、老沼は東京・押上のSTRUGGLE(ストラッグル)に移籍。鈴木秀明会長は現役時代「ムエタイキラー」の異名を取った90年代後半を代表する名キックボクサーである。
 鈴木会長は老沼を見て「キックボクシングが分かっていない。空手のままで戦っている」と感じたという。

鈴木会長「子供の頃からやってきて、空手の技が出来るのが老沼の長所です。でも、それをそのままやっているので『どこが危ない、どこが大丈夫』が分かっていなかった。なので、僕はミットを受ける時に殴りましたし、蹴りました。彼に『そこが空いてるとやられるよ』と分からせるためです。先輩たちにもスパーリングでだいぶやられて『ここは危ない』というのは、自分の体で身につけてきたと思いますね」

 老沼は言う。
「もう毎日、ボコられていました(苦笑)。でも、心は折れなかったです。明確に目標を決めてて、STRUGGLEにはチャンピオンが多いので『絶対に自分もチャンピオンに追いつく』と思ってました。今ボコられてもいつかやり返せばいいんだ、と」

 とはいえ、長年身についた空手スタイルから、ムエタイスタイルへの対応は容易ではなかった。
「練習でボコられてた期間は、結構長かったです(苦笑)。キックの駆け引きが全然出来なかったですし、首相撲では今でも松崎さん(公則。元REBELS-MUAYTHAIフライ級、スーパーフライ級王者)にやられてしまいます。STRUGGLEに来て、半年から1年ぐらいは全然かなわなかったです。でも元々、空手の世界は『やられてナンボ』でしたから。ここでもやられながら覚えていけばいいや、と」

 練習ではボコられ、試合でも上手くいかない時期が続いた。

「移籍して、1番最初に試合に出して貰ったのがREBELSさんだったんです。高3の7月で(16年7月10日、ディファ有明「REBELS.44」)。プロで負けたのは、デビュー戦と、その時にはまっこムエタイジムの選手(ギッティチャイ・タツヤ)に負けた、この2回だけですね」

 高校を卒業すると、老沼はアルバイトをしながら練習に励み、少しずつ「キックボクサー」としてのスタイルを形作っていく。

「昨年、J-NETさんの新人王トーナメントに出始めたぐらいから感覚的なものは研ぎ澄まされていったと思います。最初は本当に粗削りで(苦笑)、相手の無駄な攻撃を貰ったりしていたんですけど、会長に聞いたり、自分でも研究して、ちょっとずつ掴んできたんじゃないかって。J-NETで3連続KOしたときは『倒す感覚を掴んだかな』と思ったんですけど」






天心君と見てるとジェラシーがヤバいです
俺もあそこまで絶対にいってやろう、と



 今年2月からスタートしたREBELS-MUAYTHAIスーパーフライ級王座決定リーグ。老沼にとって、待望の初「後楽園ホール」だった。

「2月の試合が初の後楽園ホールで、ディファ有明とか新宿フェイスで試合してきて『やっと来れたな』という気持ちがありましたね。お客さんが一杯入ってて、緊張半分、楽しみ半分だったんですけど、後楽園ホールはリングの上からお客さんの顔がよく見えるんですね(笑)。下手な試合は出来ないな、って思いました」

 リーグ戦1戦目の蓮沼拓矢戦は3-0(三者とも30―28)、2戦目の濱田巧戦も3-0(二者が30-28、一者が30-29)で勝利。
 老沼は相手の攻撃をほとんど貰わず、要所で自分の攻撃を当てて確実にポイントを奪った。右ミドルは1発蹴るだけで会場を沸かせるほどのスピードとキレを見せつける一方で、試合全体としてジャッジに「老沼のペース」をしっかりと印象付ける「上手さ」も光った。
 ただ、老沼自身は試合内容に満足していない。

「1戦目も、2戦目も、倒せるチャンスもあったんですけど、リーグ戦のことを考えすぎて『下手に貰うと危ないな』って。
 相手の動きとか技のタイミングは映像を見て研究したりもしますけど、基本的に、相手の動きを察知する、動物的な感覚は自分でもあるのかな、と思います。ただ、そこが悪いところにつながっちゃう部分もあって、自分から攻めに行けなかったり」

 鈴木会長はこの最終戦、JIRO戦に大きな期待を寄せる。

鈴木会長「今回のリーグ戦は、老沼のためのリーグ戦になる、と思っていますけど、1戦目、2戦目とまだハマっていないですね。彼はここで覚醒する予定ですから『次だな』と思っていますし、実際に次の試合が1番良くなるんじゃないですか」

 ちなみに、老沼は1998年8月4日生まれ。あの那須川天心とちょうど2週間違い。また、同じ足立区出身の同級生には平本蓮がいる。
 華々しく活躍する那須川天心を見て、どう思っているのか。

「正直言っちゃうと、天心君を見てるとジェラシーがヤバいです。誕生日が近くて、身長も近くて。本当に、俺もあそこまで絶対にいってやろう、という気持ちは大きいですね。
 昔から『ジュニアで凄い子がいる』って噂は聞いてて、天心君の存在は知ってました。同じ正道会館には、ケイリバー(天心や平本蓮を輩出したムエタイジム)やウィラサクレックジムにも行っている子がいて『顔面ありのルールをやらない?』と誘われたんですけど、お母さんが『子供で顔面ありはどうか』っていう考えで。僕も、その時は空手をやってるからいいか、と思って。
 平本選手とは喋ったことはないんですけど、友達の友達だったりして親近感はあります(笑)。足立区は武居由樹選手のいるパワーオブドリームもありますし、今、活躍している格闘家がものすごく多いです。
 僕はめちゃくちゃ負けず嫌いなので、刺激になりますね。平本選手はルールは違いますけどゲーオを倒したり、天心選手はスアキムに勝って、次はロッタンですから。  天心選手を別に見ちゃう選手もいると思うんですけど、自分は本当に負けず嫌いなので、天心選手に負けずに活躍していきたいです」

 そんな老沼を、鈴木会長はこう評する。

鈴木会長「天心選手は感覚的な部分で凄いものを持ってますけど、老沼も似ている部分があるんです。本人にも『近い感覚は持っているよ』とよく話していますし、今、そこの部分の開発をしています。ただ『感覚』だけでやるのは限界がありますから、ムエタイの流れやテクニック、相手がこう来たらこう返して、こう攻める、という方法と、そのバリエーションを教えてきて、少しずつ試合で出てきています。その微調整はずっとやっていて、あとは本人の感覚が抜けてきて、試合で『うわ、すげえな!』というのが出てきたら嬉しいですね。『ここでいける!』というのが身につくと試合で倒せるようになりますし、お客さんが付いてくる。メインイベンターを務められる選手になると思います」

 最後に、次戦のJIRO戦に向けて、老沼からコメントを貰った。

「1戦目、2戦目とリーグ戦を意識しすぎて倒せなかったんですけど、次は最後なので、次の日に歩けなくなってもいいぐらい、蹴りまくろうと思っています。空手の頃から蹴りが得意で、自分よりも大きな相手を蹴りで倒してきてるので、今回も蹴りで倒せたらいいですね。自分の長所は蹴りの綺麗さだと思っていて、それだけは自信があります。
 JIRO選手もすごい強くて、技術も上手い選手なんで、技術面だととんとんかもしれないですけど、スピードは自分が勝ってるのかなって。あとは、気持ちの強さは絶対に負けないんで、気持ちの強さを見てほしいです。
 最終戦の3戦目もしっかりと勝ち切って、必ずREBELS-MUAYTHAIスーパーフライ級のベルトを巻きます。ぜひ会場に応援に来てください」

プロフィール
老沼隆斗(おいぬま・りゅうと)
所  属:STRUGGLE
生年月日:1998年8月4日生まれ、19歳
出  身:東京都足立区
身  長:161cm
戦  績:10戦8勝(4KO)2敗
タイトル:J-NETWORK 2017年度スーパーフライ級新人王

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