勝次(かつじ)インタビュー

インタビュー

公開日:2019/3/19

取材・撮影 茂田浩司

「蒲田のロッキー」勝次、知られざる「苦悩と失意の8年間」を語る。
~28歳で初戴冠、30歳でブレイクまでの軌跡

 4月20日(土)、東京・後楽園ホールで開催される「REBELS.60」のメインイベントは「ニンジャ」宮越慶二郎対「蒲田のロッキー」勝次。NJKFと新日本キックボクシング協会のエースがREBELSのリングで激闘するのだ。団体間の交流が急加速し「昔ならあり得なかった試合」が可能な時代を先取りした「夢の対決」の実現である。
 老舗・新日本キックの大看板を背負う勝次は、REBELS初参戦に燃えている。
「新日本キックボクシング協会はキックボクシング発祥の団体。だからこそ、他団体との戦いでは強さを見せつける責任があります。REBELSファンに『新日本キックの強さ』を見せます!!」
 勝次は、今でこそキックファンなら誰もが知る存在だが、初戴冠は28歳、KNOCK OUT初代ライト級王座決定トーナメントでの激闘の連続でブレイクしたのが30歳。格闘技界でも珍しい「遅咲きの男」である。実は、勝次は初めてチャンピオンベルトを巻くまでに「苦悩と失意の8年」を経験している。「蒲田のロッキー」が「引退寸前まで追い詰められた暗黒時代」を初めて告白する。






人生の指針を示してくれた父の死。
「親父の墓前にチャンピオンベルトを持っていく。
そうしなければ自分の人生は始まらない」



 勝次は1歳上の兄との二人兄弟。父は兵庫県で建設業を営み、バブル期は莫大な売り上げを上げて会社を急成長させた。だが、その後にバブルは崩壊し、株式市場は大暴落。父は、それまでに築き上げた資産を一気に失ってしまった。
「親父は株式投資で大損したらしくて、詳しく知らないんですけど、噂では『100億負債を抱えて、100億返した』そうです(苦笑)。今は兄が兵庫で建設業と不動産業をやっていて、最近は運送業も始めました」

 小中はサッカー少年。中学時代に見たテレビ番組「ガチンコファイトクラブ」で興味を持ち、高校から近所のキックボクシングジムに通い、アマチュアの試合に出て、タイ修行にも行った。
 そんな勝次に、父はいつもアドバイスを送ってくれた。
「ずっと『選手寿命よりも引退した後の方が長いんだから、そのことを考えながら選手生活を送りなさい』と言われてました。高校を卒業して専門学校に行ったのも親父の勧めです。専門学校でスポーツ、フィットネス、経営のことを勉強しました」

 高校時代にタイで開催されたアマチュアムエタイ世界大会に参戦した際、キック人生を変える出会いがあった。
「藤本ジムの鴇(稔之)さんが日本チームの団長で、参加していた石井達也さんと内田雅之さんにウォーミングアップでマススパーをして貰ったんです。そうしたら、僕の攻撃なんてなんも当たらないんですよ(苦笑)。『東京の選手はこんなにレベルが高いのか』とショックを受けていたら、一緒にタイに来ていた親父に『これからは鴇さんについていけ。東京に行ってこい』と言われて。専門学校を卒業して、二十歳の時に上京しました」

 藤本ジムに入門したが、当時はまだ簡単に考えていた。
「『1、2年でトップランカーになって、3年で兵庫に帰ろう』と思っていたんです。でも最初の頃は引き分けばかりであだ名は『分け次』、負けたら『負け次』と言われてました(苦笑)」

 なかなか勝てずに苦労していた頃、実家の母親から緊急の連絡が入った。
「上京2年目に母親から『お父さんにガンが見つかった。兵庫に帰ってこないといけないかもしれない』って。でも、その頃はキックを辞めることは考えられなかったし、このままやめて帰ったら東京に送り出してくれた親父にも顔向けできない、と思って。
 親父が一番応援してくれたし、レールじゃないですけど親父が『指針』を示してくれて『そこに向かって頑張ろう』と思ってやってきたんで」

 勝次は、ここで腹を決めた。
「チャンピオンになろう、親父にチャンピオンベルトを持っていこう、と決めました。それからもっと性根を入れて練習するようになって強くなりましたね」

 この時、21歳。だが、勝次にとっての辛く、厳しい試練はここから始まった。

 当時、新日本キックのライト級チャンピオンは同じ目黒藤本ジムの石井達也だった。
「達也さんがチャンピオンになった時は、一緒に練習してる先輩ですから本当に嬉しかったです。1年経って、達也さんが防衛した時も『よかった』だったんですけど、2回目に防衛した時はさすがに『俺にはいつチャンスが回ってくるんだろう?』と気づきました(苦笑)。同門対決はできなかったんで、達也さんがチャンピオンでいる限りは何年も待たなくてはいけなくて」

 悪いことは重なる。偶発的なトラブルに巻き込まれて、大怪我を負って入院。その入院中に父親の容態が悪化する。
「『親父が危篤』という連絡を受けて、すぐに退院して1か月間看病しました。親父は『余命3年』と言われながらも闘病して、頑張ったんですけどギリギリで3年持たずに亡くなりました。
 その時に『親父の墓の前に、新日本キックのチャンピオンベルトを持っていく』と誓ったんです。それをしないと自分の人生は始まらないな、と思って。導いてくれた親父に少しでも恩返ししないといけないんで、練習にも一層気合いが入りましたし、そっからまた強くなったんですよ」






何度も挫折を乗り越えて掴んだチャンピオンベルト
「長くて苦しかった。でも頑張る力は誰にも負けない」



 とはいえ、同門の石井がチャンピオンでいる限り、勝次にはタイトルマッチに出場する機会すらない。
「どうしたらアピールできるかを考えました。それで、興行のためにチケットを売る、熱い試合をして興行を盛り上げる、みんなから『達也さんより勝次の方が強いんじゃないか』という声が出るようにする。この3つを徹底的に頑張ったんですよ」

 今でこそ勝次が出場する大会には客席を大応援団が埋め尽くすことで有名だが、その始まりは自身のタイトルマッチ出場のための懸命なチケット営業だった。
「熱心じゃない選手もいますけど、僕はチケットの営業は生きるためにやってきたし、自分をアピールするためでもあったんで、まったく苦じゃないんですよ。
 その頃はめちゃめちゃ貧乏でした。ただ、そういうことは一切言わなかったんですけど『お金のない雰囲気』が自然と伝わってたのか(苦笑)、よく初対面の人にご飯をご馳走になってました。『いつでもご馳走するから』って言って貰ったり『応援するよ』ってスポンサーになって貰ったり。そうしていくうちに、チケットを買って応援に来てくれる人たちが少しずつ増えていったんです」

 懸命にチケットを売り、試合で結果を出した。それでも、なかなかタイトルマッチのチャンスは見えてこない。
 ある時、とうとう勝次の思いが爆発する。
「試合に勝って、思わず『伊原代表! 僕にチャンスをください!』ってアピールしたんです。イコール同門対決ですから、そっからジム内でギクシャクしましたね(苦笑)。達也さんとのスパーリングは殺し合いになりました。
 僕も思いっきり拳を握ってて、お互いに血を出しながら殴り合うので、見かねた先輩が『おーい、大丈夫か』って止めに入ってくれたこともありましたよ」

 2014年、石井が怪我のために王座返上。勝次の王座決定戦出場が決まった。4年待って、ようやく得たタイトルマッチのチャンス。しかし、勝次の初戴冠は一人の「天才少年」に阻まれてしまう。
「プロになって初めてのタイトルマッチで、応援団も初めて300人を越えて。『お待たせしました、やっと日本チャンピオンになれます!』って言っていたら、まだ19歳の翔栄(治政館)に判定で負けてしまったんです。応援団全員をがっかりさせてしまって、あの時は言葉がなかったですね……」

 翔栄は当時、キック界で注目を浴びた「晴山兄弟」の弟。ジュニアの時代から兄の雄大と共に「次世代のエース」と注目を浴びる存在だった。
「あの兄弟はすごくて、揃ってアマチュアムエタイ金メダル、K-1甲子園優勝、そして新日本キックのベルトも獲りました。特に翔栄は、那須川天心君の前の、初代『ジュニアのカリスマ』ですね。本当に強くて、同世代の子は誰も勝てなかったんで」

 しかしながら、格闘技は非情な世界だ。勝次の初戴冠を阻んだ「天才少年」翔栄の選手生命は、タイトルマッチでの勝次の一撃で絶たれてしまった。
「タイトルマッチの4ラウンド目に、思い切り右ストレートが入ったんです。クリーンヒットして、手応えもあって『よっしゃ!』と思ったんですけど、翔栄は効いている素振りを一切見せなかったんです。それを見て、僕もそれ以上は深追いできなかった。
 判定で負けて、控え室に行ったら翔栄が寝そべって頭を冷やしながらぐったりしているんです。『あれ、ダメージはあったんだな。試合中にダメージ出してくれよ』と思ったんですけど……。
 その何日後かに脳内出血が見つかったそうで、ドクターストップで彼は引退、せっかく獲ったベルトも返上になりました。僕はその1年後にタイトルマッチが組まれて、翔栄には『俺が獲るからな』って伝えて、ようやくベルトを獲りました」

 2015年3月15日、王座決定戦を制して悲願の日本ライト級チャンピオンを獲得。上京から8年、28歳での初戴冠だった。
 父の墓前にチャンピオンベルトを供えて、ようやく勝次は「苦悩の時代」にピリオドを打った。
「タイトルを獲るまでは本当に長くて、苦しかったです。再起不能になるかもしれないぐらいの大怪我をして、親父が亡くなって、賭けていた大事な試合に負けたり。現役引退が頭をよぎることもありました。
 だけど、そういう経験をして、乗り越えてきたからこそ、今、根性と目標に向かって頑張る力だけは絶対に、誰にも負けない自信があります」






REBELS初参戦で熱い試合を見せて、
新日本キックの強さを証明します



 勝次の名前を一躍、キック界に知らしめたのが2017年に開催された「KNOCK OUT初代ライト級トーナメント」だった。
 1回戦で優勝候補の不可思、準決勝では前口太尊と「倒し倒され」の激闘を展開。「新日本キックの勝次」の名を一躍、格闘技界に知らしめた。ダメージの蓄積もあり、決勝戦では森井洋介に敗れて凖優勝に終わったものの、イベントを盛り上げた勝次こそトーナメントMVP級の活躍だったといえよう。
「KNOCKOUTのトーナメントは『これで人生を変えるんだ』と覚悟を決めて、あのとっても狭いリングで(苦笑)目一杯殴り合いました。ダメージも相当負ってしまったんですけど、見に来てくれた応援団の人たちも喜んでくれましたし、応援してくれる人も増えました。
 僕は目標に向かって頑張っているだけですけど、チケットを買って応援に来てくれる人たちは、勝ったらものすごく喜んでくれますし、負けたら一緒に悔しがってくれるんです。そういう時は『キックボクシングをやっててよかった』と思います」

 今の目標は「WKBAのベルト」。3月の王座決定戦ではノラシン・シットムアンシ(タイ)の老獪さの前に、思うような攻撃を当てられず、延長の末に敗れた。
「前蹴りとコカしの上手さにやられました。最初に僕が踏み込む時のタイミングを読まれて、少し変えたりしたんですけど大きな修正ができなくて……」
 関係者によれば、勝次は試合前にコンディションを崩し、万全とは程遠い体調で試合に臨んだという。にもかかわらず、延長の6ラウンドまで戦い抜いたのだから、さすが「ド根性の男」だ。
「言い訳になるので言いたくなかったんですけど……、タイでの練習最終日、ペットモラコットに『勝次、来い!』と言われて予定外の追い込み練習に付き合って。そこで風邪を引いてしまって、帰国してから体調不良のまま4日で7・5キロ落としたんです。試合では全然動けなくて、悔しい負けでした。『次こそは』という思いが強くて、早くリベンジさせてください、と伊原代表にお願いしているんです。
 伝統あるWKBAの世界チャンピオンとしてREBELSに初参戦する予定で、本当に悔しかったんですけど、試合前からこの宮越戦が決まってたので、すぐに気持ちを切り替えました。
 僕は、他団体に出場する時『キックボクシング発祥の団体、新日本キックの強さを見せる』と決めてて、それは今回も変わらないです。タイでペットモラコットやペッタンたちトップ選手と練習して、ムエタイ特有の体をコントロールする技術や攻防の技術をたくさん学ぶことができたんです。そういう新たな面も見せたいですけど、きっと宮越選手とは殴り合いになると思うんですよ(笑)。
 KNOCKOUTのトーナメントで僕を知った人は『熱く、激しい闘い』を期待してると思いますし、宮越選手とならその期待に応えられると思うんです。僕も、気合いと根性の戦いになれば誰にも負けない自信がありますし、REBELSのファンの方に『さすが新日本キックのチャンピオンは強いな!』と言わせます。ぜひ期待してください」

プロフィール
勝次(かつじ/本名:高橋勝治)
所  属:新日本キックボクシング協会・藤本ジム
生年月日:1987年3月1日生まれ、32歳
出  身:兵庫県三木市
身  長:172cm
戦  績:60戦40勝(16KO)13敗7分。新日本キックボクシング日本ライト級王者

浅川大立(あさかわ・ひろたつ)インタビュー

インタビュー

公開日:2019/2/14

取材・撮影 茂田浩司

「責任世代」必読!!
37歳、会社社長、業務に忙殺される日々。
それでも浅川大立(あさかわ・ひろたつ)が「キックで完全燃焼」にこだわる理由

 2月17日(日)、新木場スタジオコーストで開催される「PANCRASE REBELS RING.1」(パンクラス・レベルス・リングワン)。午後5時半からの「NIGHT」には日菜太対現役ムエタイ王者シップムーン、「筋肉美女」ぱんちゃん璃奈vs「女子高生ファイター」川島江理沙のトライアウトなど注目カードが並ぶが、午前11時半からの「DAY」も負けてはいない。63㎏と60㎏の王座決定トーナメントやスーパーウェルター級リーグ開幕戦には、個性派や若手ホープがそろった。
 「DAY」のメインを飾るのは浅川大立vs才賀紀左衛門。才賀は、K-1やRIZINでの活躍で知名度抜群だが、実力と実績は浅川も負けていない。昨年5月にイノベーション王座を獲得すると、昨年12月の岡山59kg賞金トーナメントで3試合勝ち抜いて優勝。現在、37歳。建設業の会社を営み、多忙な業務に追われながら戦う「社長ファイター」。打ち合い上等、バチバチスタイルで毎度、熱い試合をすることで定評がある。
「完全燃焼することだけを考えて、1試合1試合、覚悟を決めてリングに上がっているんです」
 浅川の戦い続ける理由とは何か。






仕事と家庭で多忙な日々に、一度はキックを諦めかけた。
「一度きりの人生、後悔したくなくて32歳で復帰しました」



 子供の頃は、特にスポーツに打ち込んだ記憶はない。
「小中とサッカーをやってましたけど、そんなに真面目にやってなかったですね(笑)。高校ではアルバイトして、バイクが好きなんでツーリングして、運動はしなかったです」
 高校卒業後もフリーターをしながら趣味のバイクに没頭。20歳の頃に佐川急便に入社し、23歳の時に先輩に連れられてダイケンスリーツリージムへ。ここでキックボクシングに目覚めた。
「試合が大好きなんですよ。打ち合うのが楽しくて『俺は打ち合うために生まれてきたんじゃないか』と。これはね、本気で思っているんですよ(笑)」

 アマチュア大会を経て、26歳でプロデビュー。いきなり3連敗という試練を味わうが、4戦目でプロ初勝利を収める。しかし、そこから5年間、浅川はキックボクシングから遠ざかった。
「さあ、これからだ、という時だったんですけど、カミさんの家でやっていた住宅の基礎工事の会社を俺が継ぐことになったんです。
 子供も小さいし、仕事は休みなしでやっている状態で、正直、キックどころじゃなくなってしまったんですよ」

 無我夢中で働きながら、時折、キックボクシングのことが頭をよぎった。
「後悔がありました。『やり残した感』があったんです。ただ、仕事も忙しいし『このままやることはないのかな』とも思ったんですけど……。
 だけど、1度きりの人生で、あとで後悔することはしたくない。それで32歳の時に思い切って復帰したんです」

 社長業とキックボクサーの両立は、生半可な気持ちでは出来なかった。
「土曜の夜まで仕事をして、計量も俺だけ当日にして貰って、日曜の朝に計量してその夜に試合。月曜日は朝8時から現場に出て、普通に仕事をしていました。
 今は、怪我した時のことを考えて、試合翌日の月曜日だけは俺が休んでも支障のないように段取りしてます。2日休むことはないので、火曜日からは通常通りに仕事です」

 練習環境は決して恵まれているとは言えない。だが、浅川は復帰した時からすべて覚悟の上だ。
「山梨にもキックボクシングのジムが4つ5つあって、出稽古に行くこともありますけど、スパーリングはなかなか出来ないです。上のレベルになると、東京に出ていく選手も多いですよ。
 だけど、どんなに練習環境に恵まれていようと、自分次第ですからね。やるヤツはどんな環境でもやるし、やらないヤツはどこに行ってもやらないんですよ。
 俺は朝8時から夕方5時まで現場やって、その後は見積書や請求書なんかの事務仕事です。実はこの事務仕事が大変なんです(苦笑)。それでも1時間でも2時間でもジムに行って、ミット打ちとサンドバッグを目一杯やります。走ったりもしたいんだけど、そんな時間は取れないですよ」

 浅川の練習に付き合い、浅川の苦労を一番近くで見てきたダイケンツリースリージムの森会長は「今回のような大きな大会に参戦できて嬉しい」と喜ぶ。
「浅川さんは仕事でどんなに夜遅くなってもジムに来るので、僕もミットを持って練習に付き合ってきました。この3年間は、本当に二人三脚でもがきながらやってきて、地方の選手でもこんなに強いぞ、といろんな人に見て貰えるのは嬉しいことですよ」

 キック復帰後、浅川の活躍は目覚ましい。昨年12月の岡山トーナメントは「ヒジありルール、1日3試合」という過酷な条件だったが、浅川は見事に優勝した。
「目の前の1試合にすべてを掛けてやりました。3試合目はさすがに疲れもありましたけど、次の試合まで2時間ぐらい空くんで、思ったよりも回復できた。ダメージだけはどうしようもないんだけど、優勝した時は『あと2、3試合できるな』という感じでしたよ(笑)。
 実際、まだまだ進化しているのを感じるんです。年齢は37なんだけど、始めたのが23歳と遅いし、ブランクも5年間あるんで、試合の経験を積んで『前より進化してる』っていう手応えがあるんです」

 浅川が今、唯一不満に思うのは「逃げのクリンチ」についてだ。
「俺のやりたいことと、お客さんが見たいものは一致しているんですよ。『漢同士、バチバチに殴り合う』、これですよ。
 だけど、俺が打ち合いに行くと必ずクリンチで逃げられるんです(苦笑)。ディフェンス技術なのも分かるんだけど、プロだからお客さんが見たいものを見せなきゃいけないじゃないですか。俺は打ち合いたい、お客さんは打ち合いを見たい、相手の選手だけが『打ち合いたくありません』っていう(苦笑)。
 少し前に、サッカーでバックパスをキーパーが手でキャッチするのを反則にしたじゃないですか。キックも3回クリンチで減点するとか、もっと厳しくして貰いたいですよ」






今、大きな怪我をしたらもう出来ない。
毎回「これで終わってもいい」と覚悟を決めて戦ってる。
今回も、バチバチの打ち合いで倒します。



 2.17「パンクラス レベルス リング1」で、浅川は才賀紀左衛門と対戦する。才賀といえば、バックステップやディフェンス技術を駆使し、カウンターの上手さで勝負する選手。1月17日の大会記者会見の際も「バチバチで殴り合いたい」という浅川に対して、才賀は「俺は痛いのは嫌(笑)」と殴り合いを拒否。  バチバチに持ち込みたい浅川、ステップを駆使してかわしながらカウンターを狙う才賀、という構図が見えてくる。
 しかし、浅川は「俺のやることは変わらない」とキッパリ。
「対策は一切立てません。昔は作戦を立てて試合したこともあるんだけど、俺はものすごく不器用なので全然上手くいかない(笑)。変に意識すると自分のいいところが出せなくなるんで、俺は俺のバチバチ打ち合うスタイルでいきますよ」

 浅川の出場する「DAY」は、エムキャス(パソコン、スマホで視聴)で生中継されて、日本全国で視聴できる。
 浅川には、心中期するものがある。
「嬉しいですよ。どうせやるなら、目立つ舞台、みんなが見る輝ける舞台でやりたい。才賀選手は名前が売れてる選手なので、勝てば俺の名前も売れるな、と思うと嬉しいじゃないですか(笑)。
 カミさん? きっと『そろそろ辞めてほしい』と思ってるかもしれないけど、俺が言われても辞めないのを分かってるから(笑)。会場に応援に来てくれますよ。子供は、娘が中2、息子が小5で、小さいうちには応援に来てくれたんだけど、今は部活やらなにやらで忙しくて応援に来てくれないですね。お姉ちゃんは吹奏楽、弟はサッカーで、毎週試合してますから(苦笑)。
 今、全国的に人手不足、業者不足で、やり切れないぐらいの量の仕事が来るんです。でも仕事は断るわけにいかないし、ありがたいことなんで。責任は全部しょってて、基礎のコンクリート工事の仕事はミリ単位、寸法とか高さで本当に神経をすり減らします。仕事はいかに精度良く仕上げるかが勝負で、俺はキックの精度には全然自信がないんだけど、コンクリート工事の精度にはかなり自信がありますよ(笑)。
 今、試合で大きな怪我をして、半年、1年休むようなことになれば、さすがにもう出来ないです。だから、とにかく後悔だけはしたくないんで、毎回『これで終わってもいい、全力を出し切る』と腹を決めてリングに上がってます。
 普段の生活、仕事も、キックも『完全燃焼』でやってきて、今度の試合も同じですよ。
 才賀選手がどんなに足を使って逃げようが、俺はどんどん追っかけて、この『漢気の拳』を打ち込んで倒します! 応援、よろしくお願いします!」

プロフィール
浅川 大立(あさかわ・ひろたつ)
所  属:ダイケンスリーツリー
生年月日:1981年10月15日生まれ、37歳
出  身:山梨県甲府市
身  長:172cm
戦  績:27戦18勝(6KO)9敗。イノベーションフェザー級王者。岡山59kg賞金トーナメント優勝


森貴慎インタビュー

インタビュー

公開日:2019/2/13

取材・撮影 茂田浩司

軽量級の倒し屋、“ベビーフェイス・アサシン”が待望のREBELS初参戦。
「相手の『穴』を見つけるのが得意なんです。僕のパンチが当たれば、老沼選手も倒れますよ」

 2月17日(日)、新木場スタジオコーストで開催される「PANCRASE REBELS RING.1」(パンクラス・レベルス・リングワン)。日菜太対現役ムエタイ王者シップムーン、「筋肉美女」ぱんちゃん璃奈vs「女子高生ファイター」川島江理沙のトライアウトなど、多彩なカードが並ぶ中、格闘技ファンにぜひ注目してほしいのが次代の格闘技界を担う若きチャンピオン対決、老沼隆斗vs森貴慎である。

 REBELS-MUAYTHAI王者の老沼は弱冠二十歳。90年代を代表する「ムエタイキラー」、現STRUGGLEの鈴木秀明会長の薫陶を受け、ベルト獲得後も着実に成長を続けている。
 対する森は、デビューからわずか2年でベルトを巻くと共に、軽量級ながら7割のKO率を誇る「ベビーフェイス・アサシン」。

 実は、両者はかつて対戦した経験があり今回が再戦。だが、双方ともその事実を大会の記者会見では触れなかった。
 そこには「天才は天才を知る」森と老沼の互いの才能を認めあったリスペクトと、隠れたライバル関係があった。
「老沼君との試合がなければ、僕はここにいないです」
 森貴慎と老沼隆斗の間に、何があったのか。






荒れに荒れた十代。母親の涙で更生を誓い、
24歳でプロデビューしたものの、
18歳の「天才空手少年」老沼にKO負け…。



 トイカツ道場を主宰する戸井田克也代表が道場の様々な情報をYouTubeで発信する「トイカツの部屋」。2018年6月にJ-NETWORKバンタム級王者となった森貴慎が出演している。

https://www.youtube.com/watch?v=AXljJqEhmw8

 そこでは「母子家庭に育ち、グレて、母親を泣かせた」というエピソードが語られている。現在の優しい表情からは想像も出来ないが、十代は荒れに荒れていた。

「グレてましたね(苦笑)。中学を卒業して、美容専門学校に進学したんですけど、先生とちょっと揉めてしまって1年で退学して。
 資格も取れなかったし、地元でいろいろとヤンチャしました。だけど、警察に補導されて、母親が泣きながら、体を震わせて警察署に迎えに来たんです。その母親の姿を見て『ちょっと、俺はダメだな』と思って、ヤンチャするのを一切辞めました」

 18歳から板金工として働きながら、ボクシングジムに通う友人と週1でボクシングの練習をし、20歳から本格的にキックボクシングを始めた。これが森にとっての転機となる。

「子供の頃からスポーツは何でも得意で、野球でもサッカーでもすぐに出来てしまうんです。今もそうなんですけど、試合の動画を見てて『この技、いいな』と思うと真似したり、スパーリングしてて相手の技を受けて『これを自分もやってみよう』って。他人の技を見て、自分のものにするのが得意なんです。すぐに出来てしまうんですよね」

 23歳で上京し、東京・中野のセンチャイジムに通った。1年間、アマチュア大会に出て腕をみがきながらプロデビューを目指したが、また「ヤンチャな血」が騒ぎ出す。
「まだイケイケの頃で遊んでしまって(笑)。ジムと音信不通になった時があって、1か月ぐらいして連絡したら『また通っていいよ』と言われたんですけど。一度環境を変えて、しっかりやりたいと思ってトイカツ道場に入ったんです」

 2016年8月、24歳でプロデビュー。
 抜群の運動センスを武器に、プロでも勝ち続けてタイトルを獲りたい、と考えていた森の前に、一人の天才少年が立ちはだかった。
 まだ18歳で、当時は正道会館に所属していた老沼隆斗である。

「トリビュレイトで老沼選手の対戦相手が怪我をして、欠場になったんです。試合の1週間前で代役を探してて、僕に声が掛かったんですけど、その頃はまったく練習をしてなくて(苦笑)。体重だけ落として試合したんですけど、調整不足だし、そんな状態で勝てるほど甘くなかったです。
 2Rに老沼選手のハイキックを喰らって、KO負けしました」

 この2016年12月のプロ2戦目でのKO負けを機に、森は一層、キックボクシングに真剣に取り組むようになった。まず、自分のスタイルを見直した。
「実は、老沼選手との試合はオーソドックスでやったんです。元々、左利きですけど、野球は右投げだったんで『キックも右かな』と思ってやってたんですけど、何か上手くいかなくて。
 それで、老沼選手に負けて、サウスポーに変えてみたら、しっかりと攻撃に力が入るようになって『これだ』と。それから、試合でも倒せるようになったんです」

 リベンジの機会は意外に早く訪れた。ただし「間接的に」だ。2017年3月のJ-NETWORKで、森はSTRUGGLEの中田ユウジと対戦。左ストレートとヒザ蹴りで1RTKO勝利を収めた。
「バッチリ倒しました(笑)」






森は、己の感覚と拳に絶対の自信を持つ。
「老沼選手は強いです。厳しい試合になると思う。
だけど、僕のパンチが当たれば倒せますよ」



 いよいよ約2年ぶりの再戦の日がやってくる。
 ただ、不思議なのは、1月17日の大会記者会見ではチャンピオン同士の「王者対決」について両者ともに語りながら、この対決が「再戦」である点には一切触れなかったことだ。

「僕は『老沼選手から何か言って来るのかな?』と思っていたんですけど、老沼選手からなかったんで。あれから、老沼選手はSTRUGGLEに移籍して、試合をするたびに別人のように強くなってますよね。でも、僕もサウスポーに変えて、キャリアをしっかりと積んできたんで、自分の成長度合いが分かる試合だと思います。
 判定になれば不利だと思うんです。老沼選手はポイントを取るのがとても上手いので。だから、ダウンを奪ったり、倒すことは意識してますね」

 記者会見で、森はこう言い切った。
「REBELS初参戦で、インパクトのあるKOを見せたい」
「(老沼が)パンチで来てくれて、打ち合いをしてくれたら、上等で打ち合う気でいるんで。多分、蹴ってくると思うんで、自分も負けないように蹴り返して、パンチの距離で倒せたら、と思います」

PANCRASE REBELS RING.1 公開記者会見 第1弾
https://youtu.be/x-GPPLb1CXQ?t=3355


 森の言葉からは「自分のパンチが当たれば必ず倒せる」という絶対の自信が感じられた。
 その理由は「倒して勝ってきた選手」だけが持つ「倒す感覚」を、森はすでに自分のものにしているからだ。

「どんな選手にも必ず『穴』があって、自分はそれを見つけるのが得意なんです。よく『当て勘がいい』と言われるんですけど、それは自分でも分かってて、試合中に相手の隙や『ここだ』というタイミングが分かるんです。そこで思い切っていけば絶対に倒せますし、逆に、少しでも躊躇してチャンスを逃すと負けてしまう。だから、今回も『ここだ』というチャンスには絶対に詰めますので、見ている人にぜひ注目してほしいです」

 森には、この試合に向けてさらなるモチベーションを高める出来事があった。
「結婚して、妻が昨年11月に出産したんです。より一層気合いが入りましたし『やってやろう』という気持ちはもっと強くなりましたね。ずっとJ-NETWORKで試合をしてきて、ベルトを獲った時に『次は何かな?』と考えて、一度止まって、半年間、試合をしなかったんです。
 でも、今回はREBELSの生中継のある大きな舞台で、老沼選手というトップ団体のチャンピオンと試合が組まれて、再戦ですし、気持ちが全然違います。かなり気合いが入ってます。
 正直、厳しい試合にはなると思います。だけど、必ず盛り上げたいし、一番いい試合をしたいですね。老沼選手に勝てば、ダイレクトでREBELS-MUAYTHAIのタイトルマッチを組んで貰えると思うし。ベルトを獲るためなら、スーパーフライ級まで落としますよ」

 森には、背中を見据えている目標の選手がいる。
「JIRO(創心會)とは昔から付き合いがあるんですけど、彼がクロスポイント吉祥寺でインストラクターを始めた頃『一人だと淋しいから来てよ』と誘われて(笑)、クロスポイントさんに出稽古に行ったことがあるんです。そうしたら、小笠原瑛作選手にボクシングスパーをして貰ったんですけど、何も出来ずにボコボコにされました(苦笑)。
 階級が違うので『戦いたい』はないんですけど、僕も瑛作選手のようになりたいですね。瑛作選手のように世界タイトルを獲って、強いタイ人と戦ってみたいです。REBELSで結果を出していけば、そういうチャンスも広がっていくと思うので。
 REBELSのファンの人は老沼選手の強さを知ってると思いますけど、僕のパンチが当たればその老沼選手も倒せると思います。しっかりと作戦通りに戦って、KOして、必ずインパクトを残しますので、ぜひ注目してください」

プロフィール
森 貴慎(もり・きしん)
所  属:トイカツ道場
生年月日:1992年1月13日生まれ、27歳
出  身:静岡県静岡市
身  長:167cm
戦  績:2016年8月プロデビュー、13戦10勝(7KO)3敗、J-NETWORKバンタム級王者

大谷翔司インタビュー

インタビュー

公開日:2019/2/10

取材・撮影 茂田浩司
撮影協力 BAR 30 CLUB(渋谷区道玄坂2-23-11)

元陸上自衛隊徒手格闘訓練隊。
現在は渋谷のBARで働く大谷翔司。
「自衛隊の5年間があるから今がある。地上波生中継の大舞台でベルトを巻いて、『キックの大谷』を知って貰いたい」

 2月17日(日)、新木場スタジオコーストで開催される「PANCRASE REBELS RING.1」(パンクラス・レベルス・リングワン)。日菜太対現役ムエタイ王者シップムーン、「筋肉美女」ぱんちゃん璃奈vs「女子高生ファイター」川島江理沙のトライアウト、「西の爆腕ビッグダディ」KING強介vs「破天荒な天才児」栗秋祥梧のハードパンチャー対決など多彩なカードが並ぶ中、REBELSファンの注目を集めるのがREBELS-MUAYTHAIライト級タイトルマッチ、王者良太郎対挑戦者大谷翔司である。

 王者の良太郎は、選手として活躍するかたわら、もう一つの顔「teamAKATSUKI」の代表として教え子の濱田巧や安達浩平をREBELSに送り込み、ファンにはすっかりおなじみ。対する挑戦者の大谷は、REBELSでデビューし、REBELSで育った期待のホープである。
 両者は一昨年の王座決定トーナメント準決勝で対戦し、良太郎がダウンを奪って判定勝ち。だが、1月23日の会見で大谷は「ダウン以外は自分が圧倒した」と主張。リング上のマイクパフォーマンスや記者会見でほとんど喋らない「寡黙な男」が語気を強めて発言する姿はとても珍しかったが、大谷自身はこう振り返る。
「『アピールするのはもっと強くなってから』と思っておとなしくしてましたけど(笑)、これからはそういう活動もしていこう、と」

 これまで自分のことを一切語らなかった大谷翔司が、悲願のタイトルマッチを前に、初めて自分の経歴とキックボクサーとして見据える未来を語った。






自衛隊の猛者たちに鍛えられた5年間
唯一の悔いは、震災の災害派遣に行けなかったこと



 大谷が子供の頃に熱中したのは野球。「甲子園に出ること」を目標に野球漬けの生活をしていた。
「小学校でソフトボール、中学では部活の軟式野球部と、硬式球を使う地元のクラブチームの両方でやってました。肩に自信があってずっとショートを守ってて、高校は全然無名の吉田高校でショートで3番を打ってました。最後の夏は、練習試合でコールド勝ちした相手で『余裕だな』なんて思ってたらまさかの1回戦負けです。涙も出なかったです(苦笑)」

 部活を引退すると、すぐに地元のキックボクシングジムに入門した。
「中学、高校がちょうどK-1とPRIDEが盛り上がってる頃で、格闘技に興味を持って休み時間は寝技で遊んでました(笑)。部活を引退して、すぐにやりたかったキックボクシングを始めたんです」

 高校を卒業すると、陸上自衛隊に入った。
「特にやりたいこともなくて、父親が公務員なのでその影響です。就職先といっても愛媛県はいい企業がなくて、みんな県外に出ていくか、漁師になって海に出るか、公務員になるかです。野球部からは僕を含めて3人が自衛隊に入って、他の2人はまだいます。辞めたのは僕だけです。
 入隊して、香川県の善通寺市の駐屯地で6か月間教育を受けた後、全国に配属されるんですけど、僕はそのまま善通寺の普通科という歩兵部隊に配属されて、そこに5年間いました」

 自衛隊では、思いがけず「仕事として格闘技の練習」をするようになる。これが人生のターニングポイントとなった。
「自衛隊の中に『訓練隊』というのがあって、ランニング専門、ラグビー専門、剣道専門と分かれていて、僕は徒手格闘(としゅかくとう)専門の徒手格闘訓練隊のメンバーに選ばれたんです。自衛隊時代はだいたいそっちで活動してました」

 徒手格闘は、自衛隊格闘術とも呼ばれ、敵を徒手(素手)で制圧することを目的として編み出された「実戦」を想定した格闘術。
 その訓練は過酷を極めた。
「行事があると、武器を持った敵を制圧する演武を見せたりしますけど、普段の練習は基本的にフィジカルトレーニングと日拳(日本拳法)です。
 訓練は、朝8時から夕方4時頃まで。1日6、7時間はやってました。午前中がラントレでずっと走ってて、午後からはスパーリングです。僕は元々、体幹にあまり自信はなかったんですけど、徒手格闘の訓練で相当鍛えられたと思います。
 当時の訓練隊のメンバーには、自衛隊体育学校から帰ってきた人とか30代後半から40代のデカくて、強い人が一杯いたんです。そういう人たちが1日中バリバリ練習してて、バケモノみたいな強さなので、僕はよくぶん投げられてました(苦笑)。『すぐにプロでやれるだろうな』っていう人たちがゴロゴロいましたね」

 自衛隊の猛者たちに揉まれて、大谷は心身共に強くなった。

「一般の日拳の大会にも結構出て、四国大会では2、3回優勝してます。ただ、有段者と級で分かれてて、僕は級のクラスに出たので四国大会で優勝したから次は全国とかではないですね。参加者はそんなに強い人もいないですけど、人数が多くてトーナメントで120人ぐらい出ます。だから、1日で7、8回は勝たないと優勝できなかったです(笑)。
 練習は月曜から金曜まで。2、3か月に1回遠征があって、沖縄とか練馬にも来てました。行った先の訓練隊と合同練習をして、最後は試合をして。そういう遠征も楽しかったです」

 大谷は、5年間の自衛隊での生活を「楽しかった」と振り返る。
「1日中、日拳の練習をしたり、訓練をして、それでお金が貰えるんですから(笑)。僕は体を動かすのが好きで、格闘技も好きで、全員寮生活なので友達も一杯出来ましたし。家賃がいらなくて、飯も全部出るので貰った給料は全部自由に使えたんです」

 そんな大谷が唯一、表情を曇らせたのが東日本大震災のこと。
「先輩や同期が災害派遣で被災地に向かったんですけど、僕はちょうど肩を脱臼して入院していて行けなかったんです。参加したかったですね……」






スクランブル渋谷で練習し、渋谷のBARで働く生活
プロ3連敗、試合中の脱臼、様々な試練を乗り越えて、上京4年目に掴んだチャンス。
「死んでも負けられないです」



 23歳になると「もっとキックボクシングをやりたい、プロで自分の強さを試したい」と思うようになり、自衛隊を辞めて、地元のジムでキックボクシング団体「イノベーション」のプロライセンスを取得。2015年5月に上京した。
「ネットで色々と調べたら、イノベーションの加盟ジムに『スクランブル渋谷』が出てきて。渋谷にあこがれがあったので(笑)、REBELSにも出れるし『ここだ』と思って。連絡して『イノベーションのライセンスを持ってるんですけど、プロ練に参加していいですか』と聞いたら『いいよ』と言われて」

 職場も渋谷にこだわり、探し回って、現在も働く「BAR 30 CLUB」を見つけた。
「僕は、やりたくないことはあまりやれない性格で、どうせなら意味のあることをしたい、と思って。昼夜逆転のリスクはあるんですけど、今はやりたいことは全部やっとこうかなって。現役を引退したらバーの経営をしたいので、勉強のために働いてます。
 人見知りなので最初はきつかったですけど、今は慣れて、楽しいです。お客さんに応援して貰ってて、僕の試合には毎回5、60人来てくれます。みんな格闘技に興味ないのに(笑)。オーナーも無茶苦茶応援してくれて、デビュー戦から毎試合来てくれますし、メインスポンサーなんです。新しくキックパンツを作るんですけど、大きく広告も出してくれました」

 2016年4月、REBELS.42でのプロデビュー戦に勝利し、2か月後のイノベーションでも勝利して2連勝。順調なスタートだったが、プロ3戦目にウザ強ヨシヤ(テッサイジム)に判定負けを喫すると、そこから3連敗を喫した。

 当時の大谷を、スクランブル渋谷の増田博正会長はこう振り返る。
「ジムに入会してプロ練に来るようになった時『独学でやってきたんだろうな』という印象でした。センスはあるんですけど、基礎からしっかりと教わってなくて、自分の好き勝手にやってきた感じだったんです。ウチに入ってからも『練習をただこなすだけ』でした。
 それが3連敗したことで意識が変わりましたね。サンドバッグもミットも集中してやるようになりました」

 大谷にとっても3連敗のショックは大きかった。一瞬「辞めて、愛媛に帰ること」も頭をよぎったという。
「『センスがないのかな?』と思って。でも、カッコつけてカバン1個で上京して、3連敗して『ごめん、無理だった』と地元に帰るのは恥ずかしくて出来なかったです。もうやるしかない、勝って立ち直るしかないんだ、と思いました。
 今考えたら、あの頃は気持ち的に全然乗ってなかったです。何となく『この練習さえしておけば勝てるだろう』という感じで『自分はどうなりたいのか』も明確じゃなかったです。1度負けて『やべえ』って気持ちが落ちて、そこからズルズルと、気づいたら黒3つ付いてました」

 今は違う。大谷には明確な目標がある。
「ベルトが3つ欲しいです。REBELSと、愛媛にいる頃からあこがれだったイノベーションのベルトを獲って、世界のベルトが1つ欲しいです。(増田)会長みたいなベルトの獲り方がしたいです」

 大谷を育ててきた増田会長は、伝説の団体「全日本キック」の黄金時代に数々の激闘を繰り広げ、2階級制覇した後、WPMF世界王座を獲得した名選手である。
「会長はあこがれです。選手としてもそうですけど、分析能力とか人を見る目に長けていて。試合中も『ここがダメ』とか、とても的確なアドバイスをくれて、いつもすごいな、と思ってます」

 現在、大谷はバーで週6日働く生活をしている。
「バーは毎日営業しているんですけど、僕は土曜日だけ休みを貰っていて、月曜から金曜は夜8時から朝4時まで、日曜は深夜2時まで働いてます。日曜日の営業が終わったら、帰ってソッコーで寝て、10時に起きてトレーニングキャンプ吉祥寺でフィジカル、昼食の後で少し休んで、午後3時からスクランブル渋谷で練習して、終わったらまたバーに行って働く、という生活です。
 キックで稼げるようになったら? バーの仕事もまだまだ学ぶことがたくさんあるので、バイトの日数は減らすかもしれないですけど、ずっと働きたいと思ってます」


 今大会に向けた1月23日の記者会見では、これまでにないほど強い口調で大谷は発言した。

「タイトルマッチでいい勝ち方をすれば多くの人に注目して貰えると思うんで。勝つのは最低条件で、いい勝ち方をしてベルトを巻きたいと思います」
「(良太郎との一昨年の試合について)内容的には五分五分か、僕の方が圧倒してた。自分がミスさえしなければ、今回はベルトを巻けると思います」
「この1年半の自分の成長は(良太郎に比べて)絶対に負けてない自信があるんで。その辺も注目して見て貰いたいですね。(成長したところは)トータル的に伸びてるんですけど、モチベーションも全然違うし、練習に対する姿勢、考え方も全然変わってて。それプラス、フィジカル、テクニックも上がってます」

 こうした発言も、大谷の中の「変化」の一つ。
「今までは強さばかりを求めてて、知名度を上げようとかそっちの活動を全然してなくて。ずっと『もっと強くなって、チャンピオンになってから』と思ってたんですけど。今のうちから言いたいことを言ったりしておかないと、と思って。
 記者会見では『アピールしよう』とちょっと意識しました。ただ、ああいう感じの方が自分の素といえば素なんです。今までは意識して控えめにしてました(笑)」

 一昨年の王座決定トーナメントで良太郎に敗れた後も、決して順調ではなかった。昨年2月のREBELS.54で雅駿介(フェニックス)との試合中に左肩を脱臼してTKO負け。大谷は激痛でうずくまり、担架で退場する屈辱を味わった。
 脱臼癖のあった左肩を手術し、ようやく昨年12月のREBELS.59で復帰。ライト級次期挑戦者決定戦でウザ強ヨシヤにリベンジを果たし、とうとう悲願のベルトまで「あと1勝」というところまでこぎ着けた。

 増田会長も、大谷の成長ぶりに期待を寄せる。
「当て勘もいいですし、フィジカルは自衛隊で鍛えられていて元々強かったですけど、吉祥寺でのフィジカルトレーニングでさらに強くなってます。今回は地上波生中継ですし、ベルトを獲ったらたくさんの人に『大谷翔司』を知って貰えます。大谷には『これで獲らないと意味ないよ』って言ってます。ベルトを獲って、もっと上を目指せる選手ですから」

 大谷自身、自衛隊での安定した生活を捨てて上京し、4年目にしてようやく掴んだチャンス。心中には期するものがある。
「愛媛にいた頃、REBELSのベルトは『夢のまた夢』でした。上京して、実際にREBELSの試合を見たら強い選手が揃ってて『やべえ団体だな』と思ったので、今、自分がREBELSのベルトまであと一歩まで来てるのがちょっと信じられない気持ちも正直、あります。
 だけど、今の位置では全然満足してないです。この地上波ゴールデンタイム生中継の大会が来たタイミングもピッタリで『こんなチャンスないだろう』っていう。
 この試合が決まって、自衛隊時代の幹部の人たちからもたくさん連絡をいただきました。『がんばれよ』って。そんな喋ったことのない上官からも『応援してるから』ってLINEが来たり。地元の友達はみんな興味なくて『何やってんの? 飲みにいこうぜ』みたいな感じなんですけど(苦笑)。
 プレッシャーはありますけど、今回は死んでも落とせないです。勝ちに行くのが大前提で、変に『倒そう』と考えると大振りになって首相撲でスタミナを奪われて、っていう展開になるリスクがあるので、今回は勝ちに徹します。それがイコール、倒しに行くことになるのかな、と思うんですけど。
 しっかりと自分の強さを見せて、REBELSのベルトを巻きますので、TOKYOMX2の生中継かエムキャスで、ぜひ試合を見て貰って、応援をよろしくお願いします」

プロフィール
大谷翔司(おおたに・しょうじ)
所  属:スクランブル渋谷
生年月日:1991年1月12日生まれ、28歳
出  身:愛媛県宇和島市
身  長:178cm
戦  績:2016年4月プロデビュー、12戦7勝(3KO)5敗

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