日菜太インタビュー

インタビュー

公開日:2019/1/11

聞き手・撮影 茂田浩司

「現役王者シップムーンとの対戦は世界的評価を上げるチャンス。
勝って、REBELSと一緒に僕も跳ねていきます」

 2月17日(日)、東京・新木場スタジオコーストで開催される「PANCRASE REBELS RING.1」(パンクラス・レベルス・リング・ワン)。DAY(昼の部)とNIGHT(夜の部)の二部構成で、当日はTOKYO MXとUFC FIGHT PASSにて生中継される。
 REBELS初の地上波ゴールデンタイム生中継の大会でメインイベントを飾るのは、REBELS70キロタイトルマッチ。王者日菜太(クロスポイント吉祥寺)が、現役のラジャダムナンスタジアム認定スーパーウェルター級王者シップムーン・シットシェフブンタム(タイ)を挑戦者に迎えて、防衛戦をおこなう。
 シップムーンは、過去に同門のT-98(たくや)からラジャダムナン王座を奪い、緑川創(藤本ジム)の挑戦を退けて防衛に成功。中量級日本人ファイターにとっての高い壁である。
 日菜太は「日本人キラー」シップムーンをどう攻略しようとしているのか。






緑川創との「日本最強決定戦」を制すも、
足の骨折で1か月のブランク



 「2018年は、すごく辛い1年でした。2試合して2骨折ですよ(苦笑)。今まで大きな怪我もなくやれてきたから、そんなに危ないと思えなかったんですけど、改めて『本当に危ないことを仕事にしているんだな』と思いましたね」
 日菜太にとっては怪我に泣かされた1年だった。3月にK-1で「欧州の覇王」チンギス・アラゾフの持つスーパーウェルター級王座に挑戦して2RKO負け。試合中に鼻骨を骨折し、治療のため半年以上のブランクを余儀なくされた。
 10月のREBELS.58で復帰し、新日本キックボクシング協会の中量級エース、緑川創との「70キロ日本最強決定戦」に臨んだ。試合は団体の看板を背負ったトップ選手同士の見応えのある競り合いとなり、日菜太が2-0の判定で勝利した。

 「緑川選手との試合は僕の中では完勝だったんです。もっとパンチで攻めてくると思っていたんですけど、僕の蹴りをすごく警戒して守備的で。ミドルキックのカットが本当に上手かったです。だから、逆に僕はパンチでいけてワンツーとかで攻めれた部分もあったかな、と。緑川選手が前に出てパンチをガンガン振ってきたのは3ラウンドだけでしたけど、前に出てこられても『効いたな』という攻撃は一発も貰ってないです。
 取られたと思ったラウンドもなかったですけど、もし延長と言われても戦う力は全然残ってたので、延長になればもっと差を付けられたんじゃないか、って。ただ、ツイッターでは『良くてドローだと思った』とか『REBELSだからひいき目で日菜太が勝った』みたいに言う人もちょろっと見えて。
 みんなが『日菜太が勝った』と納得する試合をしないといけないですけど、相手が強くなればなるほどギリギリの勝負になってくる。最近試合した日本人選手、緑川君もそうだし、廣野(祐)選手も地味に強いですからね(苦笑)。もっとハッキリした形で勝ちたいですけど、実際はなかなか難しいです」

 厳しい試練は試合後に待っていた。足の骨折が判明して「年内にもう1試合」という日菜太の希望はかなわなかった。
「試合が終わった直後は特にダメージもないと思ってました。試合の翌々日に足の指の骨が折れてることが分かったんです。2018年は本厄だったんですけどやっぱりツイてなかった(苦笑)。年間2試合なんて、こんなに試合数が少なかった年はプロになって初めてです」

 それでも、2試合で多くのものを掴んだ。アラゾフ戦では「世界の怪物」と戦い「絶対にかなわない相手ではない」との実感を得た。1年10か月ぶりのREBELS参戦となった緑川戦でも、貴重な経験が積めたという。

「今回、よかったなと思ったのは計量の後にしっかりリカバリーが出来たことです。REBELSはお昼に計量して、記者会見をして、1時間で解放してくれるじゃないですか。すごく気持ちよく帰れました(笑)。試合当日も、会場入りまで時間があるのでゆっくりと眠れましたし、リカバリーの時間をしっかりと取らせて貰えるのは選手からすればありがたいと思いました。その分、試合に集中できるので、コンディションの違いは大きいですよ」

 骨折による1か月間のブランクも、日菜太にとって「30代ファイターの現実と調整方法」を知るきっかけとなった。

「1か月休んでいる間はフィジカルぐらいしか出来なかったんです。それで、ようやく練習に復帰して久々にスパーリングをしたら思いのほかやられるんですよ(苦笑)。
 小西(拓槙)が年末に試合があって(*「RIZIN 平成最後のやれんのか」に出場)『じゃあ付き合ってあげよう』って久しぶりにスパーを3Rやったんです。そうしたら、最初はなかなか反応できなくてボコボコに殴られて(苦笑)。スタミナは僕の方があるんで3Rはやり返したんですけど。僕のイメージでは、体重差はありますけどこっちが手を出し続けて終わる感じだったんで『俺、弱くなったのかな?』と気持ちが落ちましたよ(苦笑)。
 1、2週間練習するといい状態に持っていけるんですけどね。やっぱり何をやるにも、スイッチを入れてからいい状態に持っていくまで時間が掛かるようになりましたね。昔は試合した後にちょっと休んでからスパーをしても、調子は落ちなかったんですけど。
 この年齢になると、長く休むのはダメですね。疲れが溜まったら練習量は落としますけど、練習自体は続けておいた方がいいな、と感じました」






『REBELSで活躍したい選手』が増えていい雰囲気。
これからREBELSはもっと跳ねていくし、僕も現役王者シップムーンに勝って世界的な評価を上げます。



 怪我による練習ブランクを経験したことで、最近のキックボクサー、特にクロスポイント吉祥寺の選手たちの練習に対する意識の高さにも気づいたという。

「昔は、試合が決まらないとジムに来ない選手も多かったんですよ。僕の中にも『試合が終わったら1週間はジムに来るな、休んだ方がいい』っていう風習があったんですけど(笑)。
 今、クロスポイント吉祥寺の(小笠原)瑛作とか不可思、潘(隆成)君なんかは、試合が終わって3、4日でジムに来て練習を再開しているんですよ。『若さだなー』と思うし(笑)、それを若いうちからやっておくのはすごい財産だと思いますね」

 ただし、例外もいる。昨年、クロスポイント吉祥寺に移籍してきた栗秋祥梧(元・Phoenixx祥梧)である。SNS上では山口代表やJIROに「朝、寝坊して走らない」等、いじられている。

「フェニックス祥梧は全然練習しないタイプですよ(苦笑)。だけど、クロスポイントの選手がみんな練習に来てるから、多分、アイツなりには頑張って練習している方だと思うんです(笑)。他のクロスポイントの選手に比べたらまだまだですけどね」

 日菜太は、栗秋の素質を高く評価している。

「アイツはいいものを持ってます。体重の乗せ方が本当に上手くて、攻撃力があるんです。あのペラペラな体で(笑)100の力を出せるんです。
 だけど、まだ体が弱くて、その100のパンチは10回に1回しか出せないし、打たれ弱いです。クロスポイントの練習で体が強くなれば、かなりいい選手になると思うんですけど。
 フェニックスは今、トップに行けるか、そこそこの選手で終わるかの境目にいます。あの若さ(23歳)でもう50戦やってて、キャリアは下手なタイ人みたいなものです。ここで『練習するクセ』を付けれたら、体も強くなって一気に伸びて、トップ選手になれる可能性がある。だけど、アイツは遊びというか『練習しないで試合やっちゃいます』みたいなところがあるので、そのクセがいつまでも抜けないと本当に強いヤツには勝てなくて、そこそこのところで負けて勝ってを繰り返して、そのうち辞めちゃうんだろうな、って」

 栗秋も、2月17日の「PANCRASE REBELS.1」(新木場スタジオコースト)に出場し、REBELS―MUAYTHAIスーパーバンタム級王者のKING強介(ロイヤルキングス)と対戦する。KING強介も強打が持ち味なだけに、栗秋とはKO決着必至。「豪腕対決」に注目だ。

 同じ日、日菜太はメインイベントで現役ムエタイ王者、シップムーンと対戦する。過去に64試合を戦ってきた日菜太だが、意外にもタイ人選手と試合をするのは2回目となる。

「21歳の時にラジャで試合してて、相手の名前が分からないんで『不明』なんですけど(笑)、2Rか3Rに奥足ローを効かせてKOしているんです。それ以来ですね。
 ただ、僕は外国人との対戦が多いんで、相手がタイ人だからという気負いはまったくないです。山口さんから『最近のシップムーンの試合』って映像が送られてきて見たんですけど、1、2Rは全然手を出さなくて、3Rにヒジが当たったら一気にヒジヒザでKO。全然参考にならなかったです(苦笑)」

 すでに試合のイメージは出来ている。

「僕は手数を出して勝負したいな、とは思ってます。ムエタイのペースではなくて、早い展開で、早め早めに勝負を掛けたい。
 いつものムエタイのペースになると手数も少ないんで、僕からどんどん手数を出すつもりです。組みの展開になっても、REBELSルールは膠着すればすぐブレイクが掛かるんで。とにかくムエタイに付き合いたくないんで『日菜太の試合』に持っていくつもりです」

 シップムーンが、ムエタイの現役王者にして「T-98(タクヤ)、緑川に勝っている選手」というのも、日菜太のモチベーションを高める要因となっている。

「この試合は負けたくない。本当に負けたくない相手ですね。負けたら『緑川、T-98に負けた相手に日菜太も負けた』となってしまう。だけど、ここで勝てば『やっぱり日菜太はもう一個上だ』と自分の価値を上げられる。僕にとってメリットが大きいですから、シップムーンと対戦が決まったことでまたモチベーションが上がりましたよ。
 ムエタイ信者には『ヒジなしルールでシップムーンに勝ってもどうだこうだ』と言われるかもしれないけど、記録上は『勝った』ということしか残らないものだし、僕はそこにこだわっていきたいです。
 32歳の僕があと何年やるか、あと何試合やれるか分からない中で、ここで星は落としたくないし、しっかりと自分の価値を高めておきたい。そうすれば、いいオファーも来ると思うので。
 現役で残り何試合やれるか分からないのに、用意された相手が『その選手に勝って、次に何があるの?』という感じだといい未来が見えないんですよ。自分のモチベーションの上がる相手との対戦オファーをいただけるように、ホームのREBELSでシップムーンにしっかりと勝って、自分の価値を上げて、いい感じで次戦を迎えたいんです」

 かつて日菜太は「K-1WORLDMAX」の活動休止に伴い、2011年から当時旗揚げ2年目を迎えていたREBELSを主戦場に移した。以来、2017年に新生K-1参戦を果たすまでREBELSのエースとして興行を引っ張ってきたが、その日菜太から見て、現在のREBELSは「いい雰囲気だな」と感じるという。

「最近思うのは『REBELSで活躍したい』という選手が増えたことですね。老沼(隆斗)君(REBELS―MUAYTHAIスーパーフライ級王者)とか蓮沼(拓矢)君とか、そういう『REBELS愛』のある選手が増えていて、本当にいいことだと思うんですよ。
 マッチメイクを見ても、他団体では明らかに『KOを見せよう』と組んでいる試合がありますけど、山口さん(山口元気REBELS代表)はあまりにも力の差があるマッチメイクはしないですし、選手が『この試合に勝てば、もっと上に行ける』と思えるマッチメイクをしてくれます。だから、REBELSは力が拮抗してて、モチベーションの高い選手同士が戦う、面白い試合が昔から多いですし、最近は『ホームのREBELSを盛り上げる』という選手が増えてきたので、とてもいい雰囲気ですよね。そういうところも評価されて、前回大会は『エアトリ』さんがスポンサーになって応援してくれましたし、これからもっともっと跳ねていく雰囲気を感じるんですよ。
 今回の『PANCRASE REBELS RING.1』はTOKYO MXで生中継されるので、一般の人にも『日菜太って強いな』と思わせる試合がしたいですけど、何よりもまず勝つことを考えて試合をします。世界的な評価を上げるためにも、全力で現役ムエタイ王者を相手に『日菜太ペース』に持って行って、勝つところを見せます。それがREBELSを盛り上げることにもなると思うので、会場に来られる人にはぜひ新木場スタジオコーストに来て生の試合の迫力を味わってほしいですし、会場に来られない人はTOKYO MXかUFC FIGHT PASSで僕の試合を見て応援してください」

プロフィール
日菜太(ひなた 本名:渡辺日菜太)
所  属:クロスポント吉祥寺
生年月日:1986年8月26日生まれ、32歳
出  身:神奈川県平塚市
身  長:181cm
戦  績:64戦46勝(15KO)18敗
K-1WORLDMAX08日本トーナメント3位
初代RISE70㎏級王者
REBELS70㎏王者

ウザ強ヨシヤインタビュー

インタビュー

公開日:2018/11/29

聞き手・撮影 茂田浩司

ヨシヤ君のサクセスストーリー
「大学の4年間はキックばっかりで僧侶みたいな生活。
でもムエタイの試合で鼻を折られて病院送りになった『すべらない話』が就活でものすごくウケて、
大手メディア企業の内定が貰えました」

 12月5日(水)、東京・後楽園ホールで開催される「REBELS.59」に異色の現役大学生ファイターが参戦する。
 REBELS-MUAYTHAIライト級次期挑戦者決定戦で大谷翔司(スクランブル渋谷)と戦う、ウザ強ヨシヤ(テッサイジム)である。
 ウザ強は、今年7月のRIZINに出場。計量日前夜の緊急オファーに応えて「中量級日本最強」海人(TEAM F.O.D)と戦った。結果は2RKO負けだったものの、無茶苦茶なオファーを受けて大舞台に上がった度胸と、珍しいリングネームで、一躍、格闘技ファンに知られる存在となった。
 現在、日大の4年生。「大谷戦に勝ち、来年2月のタイトルマッチにも勝って、REBELSのチャンピオンになる」と語る一方で「もし大谷さんに負けたら、きっぱりとキックはあきらめて、残りの大学生活は目一杯遊びます(笑)」という。
 「人と殴り合って倒すとか、全然好きじゃない」というウザ強。
彼はいかにしてキックボクシングにハマり、ムエタイの試合で鼻を折られたエピソードを「すべらない話」に練り上げて就活に臨み、超難関の大手メディア企業の内定を勝ち取ったのか。






格闘技大嫌い、目立つのは大好きなチャラい少年は、
アマチュアで「勝つ喜びと負ける悔しさ」を味わい、キックボクシングにのめり込んだ。



 SNSでユニークなプロモーションを続けるテッサイジム。REBELS.59に出場する原島モルモット佑治とウザ強ヨシヤには「5分間耐久フリートーク」が課された。

 「格闘技を始めたきっかけは、可愛い彼女と付き合ってたらイカつい野球部に目を付けられて身の危険を感じ、護身のためにテッサイジムに入門したこと」だという。

「子供の頃は格闘技が大嫌いだったんです。親父は格闘技大好きで、年末は必ず格闘技番組を観るんですけど『変えてくれ。殴り合うなんて可哀想』って思ってました(笑)。
 親父は昔、喧嘩がめっちゃ強かったみたいで、俺のファイトスタイルは好きじゃなくて『もっと殴り倒せよな』って。厳しく言われることはないんですけど、那須川天心のお父さんみたいな人だったら絶対にスタイルを変えられてるでしょうね(笑)」

 父は会社役員、母は専業主婦で一人っ子。中学受験し、日大三中、日大三高、日大とエスカレーターで上がってきたが、学校生活では結構な「波」を経験した。

「中2まではホントにダメな子だったんです。サッカー部は練習がキツすぎて仮入部で辞めて、成績も悪くてプー太郎みたいな生活してて(笑)。でも学校から『このままだと上がれない』と言われて、そこから変わりました。個人塾に行って勉強したら成績も上がって、目立つのが大好きなんでバンドのボーカルをやって文化祭に出たり、可愛い彼女と付き合い出して、バラ色の生活をしてたんです(笑)。
 だけど、高校に行ったら、アイドル的な人気のあった彼女と付き合っていることで、野球部のイカツいやつらに『チャラい』って目を付けられて。先輩を間違えて後輩だと思って暴言を吐いちゃったりもして『これ、ヤバいぞ』と思って(苦笑)」

 身の危険を感じて「強くなろう」と近所のテッサイジムに入門。しかし、最初はキックにも身が入らなかった。

「高2の夏に入ったんですけど、1、2か月サンドバッグを叩いてたらプー太郎気質が出ちゃって(笑)。部活の陸上部もあったんで休会して、そうしたら高3の夏にテッサイジムの小磯会長から『アマチュアの試合に出ないか?』って連絡が来たんです。部活も引退して、日大への進学も決まってたんで『出てみようかな』と」

 軽い気持ちで出場したアマチュアの試合で、本気で何かに打ち込んだことのなかったウザ強は、初めて「勝つ喜びと、負ける悔しさ」を経験する。これが人生のターニングポイントとなった。

「最初の試合で、たまたま出したバックブローが当たって勝っちゃったんです。『俺、才能あるだろ。キックボクシングいけんじゃね?』と思って(笑)、次にJ-NETWORKのクラスBトーナメントに出たら相手が強くて(苦笑)。『やべえ』と思って時計を見たらまだ開始40秒で、心が折れた瞬間にボコボコにされました(苦笑)。それで『負けると悔しいな!』と思って。アマチュアでいきなり勝った時の喜びと負けた時の悲しみと悔しさ、その両方を味わってしまってキックボクシングのトリコになっちゃいました(笑)。高3の10月からは毎月アマチュアの試合に出ましたね」

 大学入学後は、新歓にも行かず、教室では誰とも喋らずに、授業が終わると真っすぐジムに向かう生活をした。

「家、学校、ジムを回るだけの僧侶みたいな生活です(笑)。高校のキャラで『お前、どうせ大学で遊ぶんだろ?』ってすげえ言われて、そういう視線も感じてて。『いやいや、俺はお前らより頑張ってるんだよ』と心の中で思いながら『見返してやろう』と思って練習してるうちに強くなっていったんですよね」


 『ウザ強ヨシヤ』の名づけ親、小磯会長はアマチュア時代のウザ強をこう振り返る。
「本当にウザかった(苦笑)。下手くそなのにパワーだけはあって、手加減もできないんでスパーで相手を怪我ばかりさせるし、ミット持ちの金的打ったり背中蹴ったり。で、練習後は『俺、どうでした? 俺、どうでした?』ってみんなにしつこく聞いて回る(苦笑)。
 アマチュアの試合に出たら出たで、リングに上がった途端に偉そうな態度になって、試合中に舌を出して挑発して相手をイラつかせたり。だけど、練習は本当に熱心で、ぐんぐん強くなっていくので『ウザヨシヤ』ではなく『ウザ強ヨシヤ』にしました」






キックボクシングで味わった壮絶な経験を「就活の最終兵器」に練り上げて、
超難関企業の内定を勝ち取った!



 2016年7月、大学2年の時にREBELSでプロデビュー。その翌年、ウザ強は「プロで試合をした証」を勝ち取るべく、J-NETWORKの新人王トーナメントにエントリーする。
 何かの肩書きを得て、就活を有利にするためだ。

「大学3年の時が一番キックボクシングに夢中で、いろんな欲も無くなってましたけど、就活だけは意識してましたね(笑)。
 まずJ-NETWORKで新人王になって、その後にREBELSに出ようと思ったんです。J-NETWORKからは最初『4人トーナメントだから3月と5月で終わる』と聞いてて、春休みにタイに1か月行って練習して帰ってきて、1回戦を勝ったら『もう1ブロック追加して8人トーナメントにする』って(苦笑)。ふざけんなよって思ったんですけど、2回戦も勝って、その後、タイに行ってまた1か月練習して。その時にタイで試合して鼻を折られて。結果的にはこれ(鼻に出来た骨折のあと)が就活でめっちゃ使えたんで(笑)今思えば超ラッキーでしたけど」

 タイでは「試合が決まった」と言われ、慣れない土地で自己流の減量に入ったところ、体が栄養不足となってヒジに蜂窩織炎を発症。そんな苦労の甲斐もなく、計量3日前に突然「今回は計量なし」と告げられて、ガックリと肩を落とすことに。

「タイもひどいですよね(苦笑)。会場はアンバサダーホテルの屋上みたいなところのリングで、みんなビールを飲みながら見てるんですけど、試合はめちゃめちゃいい試合だったんですよ。鼻は折られましたけど5ラウンドまで戦って、日本だと『勝ってたかな?』ぐらいの感じで。相手は1階級上のタイ人で、後でFacebookをフォローしたらベルトを幾つも巻いてる写真が載ってました(笑)」

 鼻骨が折れたため、J-NETWORK新人王の決勝は12月に延期された。その試合前、ウザ強をかつてないプレッシャーが襲う。

「新人王を取るか取らないで、就活で話した時の印象が全然違うぞ、と思ったら気持ちが入りすぎちゃって。オーバーワークになって、試合の10日前から寝れなくなりました(苦笑)。試合も、絶対に勝てると言われてた相手にすげえ苦戦して。だから、那須川天心とか凄いですよ。背負ってるものがもの凄くデカいし、年下ですけど尊敬してます。新人王になった時は『これ以上、上に行ったらもっと注目されてプレッシャーがキツいんだろ? 精神的に持たないぞ。もう一生やりたくない』って思いましたから」

 新人王を取り、ウザ強は就活を始める。第一志望はテレビ局だったが、志望者はもの凄く多く、採用数が少ない超難関。しかも、自分の個性に自信のある者ばかりが集まる激戦区だ。
 だが、そんな個性派大学生の中にあっても「プロキックボクサー・ウザ強ヨシヤ」はひときわ異彩を放った。

「就活では『タイで試合して、鼻骨を折られた話』を練って練って、どの角度からの質問にも『タイの話』が出来るようにしました。
 たとえば、喜怒哀楽、すべての質問をタイのエピソードに結びつけて話せるようしたんです。嬉しかった話なら『試合の後、海外のお客さんにめっちゃ喜ばれたのが嬉しかったです』、悔しかった話なら『鼻を折られてめちゃめちゃ悔しかったです』とか。タイの話を全面に出して、新人王の話はとっておく作戦だったんですけど、タイの話がめっちゃウケが良かったんですよ(笑)。
 俺は見た目が格闘家っぽくないんですよね。普通の大学生に見えるんで、それと『プロのキックボクサーで、タイで試合して鼻骨を折られた』というギャップも良かったのかな、って」

 プロキックボクサーとしての経験を最大限に生かし、超難関の面接を次々と突破。ウザ強は、第一志望の大手メディア企業の内定を勝ち取った。

 ウザ強の「強運ぶり」は、今年7月のRIZIN出場時にも発揮された。

「試合の話は偶然、聞いたんです。合同トレーニングしてたカズ・ジャンジラさんのところにRIZINからオファーがあったんです。それが計量前日だったんで、カズさんは『体重が落とせないから無理』と断ったんですよ。俺も『相手は海人ですか? それは止めた方がいいですよ』って言ってたら『お前、出れば?』って話になって(苦笑)。ジャンジラジムの人たちはノリがいいんで『出ろ、出ろ』って、それで断り切れなくなって出ることにしたんです(笑)。
 俺も、自信過剰じゃないんで『海人には勝てないだろう』とは思ってましたけど、試合直前のアップが終わったら動きもキレキレだし、ゾーンに入ってて『勝てる』って。動いて、ハイキックを当てるイメージが出来てて、一度ボディ打ってガードが落ちたところにハイキックを蹴ったんですけど、肩に当たってしまったんです。あれが当たってたら、と思いますけど、海人はデカかったですね。それに練習なら当たったと思うんですけど、試合ではちょっと硬くなってしまうんで。
 でも、海人も僕のことを知らないし、動いてくるとは思ってなかったみたいでやりにくそうでしたよ。俺も『やるしかねえ』って楽に試合が出来たんで、あれはあれで楽しかったです」

 今回のREBELS.59での大谷翔司戦に、ウザ強はキックボクサーとしての進退を賭けて臨む。

「負けるならここだな、と思うし、タイトルマッチに行けるならこの相手に勝ってだな、と思うし。
 大谷さんとはこれまで2回試合してますけど、常に強くなったきっかけの人なんです。アマチュアの時は、勝ち続けて『これ、プロでやれんじゃね?』と自信を付けた時に大谷さんに負けて。プロデビュー戦の時は、先にプロデビューした大谷さんが当時プロ無敗で。俺が勝ちましたけど、試合前は『デビュー戦でいきなりプロ無敗の大谷さんなのか』って思ってましたよ(苦笑)。

 今回は圧倒的な差を付けて勝ちたいです。デビュー戦の頃の俺とは違うぞっていうところを見せたいし、ここで勝てなかったらこの先もキックを続けていく自信はないです。
 2か月前からファイトクラブ428(しぶや)で、集中してタイ人トレーナーのミットを蹴ってきて、スパーリングの相手も増えてガッツリと練習してきました。今回はホントに練習環境が良くて、いい練習が出来てます。
 『格闘技が自分のすべて』という人はある意味、うらやましいですけど、僕にとって格闘技は人生の1ピース。ここで勝って、来年2月のタイトルマッチにも勝って、REBELSのチャンピオンベルトを巻けたら『その先』も見てみたい。だけど、負けたら『努力したけどここまでだった。しょうがない』と思える。残りの大学生活は、全然遊べなかった4年分、遊ぶつもりです(笑)。
 試合が本当に楽しみだし、観てる人にも楽しい試合をするんで、ぜひ会場に来てください」

プロフィール
ウザ強ヨシヤ(うざつよ・よしや)
所  属:テッサイジム
生年月日:1996年10月15日生まれ、22歳
出  身:東京都世田谷区
身  長:169cm
戦  績:6戦4勝1敗1分
2017年度J-NETWORKライト級新人王

丹羽圭介インタビュー

インタビュー

公開日:2018/11/23

聞き手・撮影 茂田浩司

「キックボクシングをやればやるほど、『キックはチーム競技』だと思うようになった。
TEPPEN GYMでの練習で自信もついて、負ける気がしない。
僕が63キロの主役だと今回の試合で証明します」

 12月5日(水)、東京・後楽園ホールで開催される「REBELS.59」で注目の1戦が実現した。「REBELS次期エース」潘隆成(ぱん・りゅんそん。クロスポイント吉祥寺)と「キックボクシングの運動お兄さん」丹羽圭介(TEAM KSK)の対戦である。
 丹羽は、前回のREBELS.58でREBELS初参戦。「激闘大魔神」橋本悟(橋本道場)との打ち合いを制して勝利し、一躍、来年新設予定の「REBELS63キロ級王座」の有力候補に躍り出た。
 丹羽といえば、人気パーソナルトレーナーとして忙しい日々を送りながら、練習では主にTEPPEN GYMを拠点に「神童」那須川天心や若手ホープたちと切磋琢磨していることで知られる。
 早速、千葉県松戸市のTEPPEN GYMを訪れて、丹羽にインタビューすると、甘いマスクの裏に秘められた知られざる過去や、TEPPEN GYMと出会うまでの道のりを明かした。






プロデビューは26歳。遅咲きの理由は
「大学卒業して上京、3年間、売れない役者をやってました」



 JR常磐線新松戸駅から10分ほど歩くと、壁に那須川天心の大きな看板が掲げられたビルが見えて来る。階段を上がり、3階のTEPPEN GYMのドアを開けると中では那須川天心や渡部大基らが試合前の追い込みミットの真っ最中。周りの選手たちは大きな声で叱咤激励を続けて、ジム内は熱気が渦巻いていた(*取材は11月17日RISE両国大会の前)。
 そうした輪の中に、最年長の丹羽がいた。

「ここは志の高い選手が集まって、試合前の追い込みの選手にはみんなで声を出して励まし合います。競い合って、高め合って、協力して『チームで強くなる』という意識なんです。それを肌で感じて、体現できない選手はここにいられないと思いますよ。天心が先頭に立って、那須川さん(会長)がガツンと引っ張ってくれる。来るたびにすごく良い刺激を受ける。僕にとってのパワースポットなんですよ」

 TEPPEN GYMは、丹羽が「強くなるため、チャンピオンなるための環境」を求め、右往左往し、試行錯誤した末にようやくたどり着いた場所である。
 そもそも、丹羽がキックボクシングの世界に足を踏み入れる経緯から異色である。
 丹羽が格闘技を始めたのは大学時代。追手門大学の日本拳法部で主将を務めたが、当時は「格闘家になる」という考えは全くなかった。

「大学を卒業してから、大阪から上京して3年間、売れない役者をやってました(笑)。小さな舞台をやったり、映画のちょい役をやったり、モデルの仕事をしたり、細かい仕事をしたんですけど、その頃の自分の表現では全然食えなかったんです。何か人よりも秀でたもの、人にはない特別に売るものがないと売れない。それは何だろうと考えて悶々としてた時、今、ロシアで活躍してる映画監督、俳優の木下順介さんから声をかけてもらいました」

 それは映画の出演依頼ではなく「HAYATOのスパーリングパートナーをやってくれないか」というものだった。当時、木下監督はK-1ファイターのHAYATOと同じ事務所で、HAYATOが「コスプレファイター」長島☆自演乙☆雄一郎との試合が決まって「日本拳法の経験者」のスパーリングパートナーを探しており、丹羽に声が掛かった。
 このことが、丹羽の運命を変えた。

「HAYATOさんとスパーリングをしたら、HAYATOさんに『丹羽君は筋がいいから、俺、セコンドに就いてあげるからアマチュア大会に出てみようよ』と言われたんです。最初は体重70㎏の階級に出場して、勝ったり負けたりだったんですけど、65㎏に落としたら負けなくなりました。アマチュアの全国大会で優勝してプロに上がれるタイミングと、HAYATOさんが引退してジムを立ち上げるタイミングがほぼ同時期だった事もあり『一緒にやっていこう』と言われたんです。
 その時、人にはない、自分にしかできない特別なもの、売れるものはこれだ!と思って『やらせて下さい』と。それからHAYATOジムで選手兼インストラクターとして7年間働きました」

 26歳と遅いプロデビューだったが、RISEのルーキーズカップに出場して優勝。インストラクターの仕事も順調そのものだったが、やがて次々と怪我に見舞われてしまう。

「呪われてたんですよ(苦笑)。まずアゴが折れて、治ったと思ったら今度は腕が折れて、治ったと思ったらまた折れて。結局、アゴ1回、腕を3回折って、2年半、地獄の日々を過ごしたんです。
 新人王になった後は調子に乗った毎日を過ごしてて、何の節制もせず生活も適当。怪我も他人のせいにしてたんです。なかなか自分と向き合うことをしなくて、怪我が続いてからは家を引っ越したり厄除けしたり、いろいろしたんですけど『そういう外に向けることじゃない』と」

 ようやく自分と向き合い、怪我をしない、強くなるための生活をするようになって11連勝をマーク。RISEのタイトルマッチまで漕ぎつけたものの、王者の水町浩に敗れて戴冠はならなかった。
 その後、丹羽は低迷する。トップどころとの対戦が増えると勝てなくなってしまったのだ。その原因は、丹羽自身がよく分かっていた。

「迷っていたんです。『どうなんだろう?』と思いながら練習してて、それが試合に出てしまっていて。
 その頃、僕は相手に当てさせない『二ワールド』という、絶対聖域の距離感を保って相手がやりたい事をさせない、光を消す戦いをやってました。今考えると、倒すというよりもポイントゲッターで上手く負けない戦い、日拳の時に培った自分の距離を守り抜いて勝ってました。でも、その戦い方ではトップ中のトップには通用しなかったんです。
 それで、練習の時から迷って、セコンドの声にも『どうなんだろう?』と思ってたら勝てないですよ。『どうしたら勝てるかな、どうしたらチャンピオンになれるんだろう?』ってずっと考えてました」








左は那須川天心の父でTEPPEN GYM会長の那須川弘幸氏。

Jリーガーの実弟、丹羽大輝のアドバイスで独立を決意。
TEPPEN GYMで那須川親子と練習して覚醒。
「来年、REBELSのベルトを取って、僕がREBELSを盛り上げますよ」



 丹羽は、実弟のJリーガー、大輝(FC東京)との話し合いの中で独立を決意する。

「弟は、全ての時間をサッカー選手として、一流のアスリートとしての過ごし方を徹底していてハイパーポジティブ。それでいて発想も発言もストレートで、シンプルなんですよ」

 2歳下の弟は、迷う兄に対してこう言い切った。
「兄ちゃん、本気でチャンピオンになりたいと思ってるなら、今のままの環境で悶々としてても絶対に勝たれへんで。その迷いがリングで出てる。俺はタイトルマッチで相手と対峙した瞬間に、負けるって思った」

「そうか、そうだな、と思って、ジムを辞めることにしたんです。
 自分のレベルを上げるには、常に刺激が入って、自分よりも強い相手が常にいる緊張感のある状態じゃないと、強くなるための良い練習もできない。それで那須川さんと話した時に『強くなりたいんだったらウチにいつでも来て良いよ』と言って貰って、お願いします、と。それでTEPPEN GYMに行かせて貰うようになったんです。
 HAYATOジムがあったから今の僕がありますし、限られた現役生活を感謝の想いで一戦一戦、命懸けで戦っていきます。活躍する姿とチャンピオンベルトを取って全ての人に恩返しがしたいと思ってます」

 現在、練習のスケジュールは丹羽自身が決めている。

「TEPPENには週3とか4。あとは自分のパーソナルがあったり、ちょこちょことプロが集まって練習したり、菊野克紀さんとも練習してて、沖縄拳法空手の稽古会に参加したりもしてます。あとはボクシングも葛西裕一さんと西島洋介さんに教わってます」

 那須川天心や若手ホープとの切磋琢磨の成果は、前回のREBELS.58(10月8日、後楽園ホール)で存分に発揮された。
 「激闘大魔神」橋本悟を相手に、丹羽は1ラウンドの途中で左ミドルを蹴った際、肉離れを起こしてしまう。試合のプランが大きく崩れてしまうピンチを迎えた。

「倒そうと思ってたんで、怪我した時は内心『ヤバい!』と思いました。インターバルで那須川さんに『もっと蹴れよ!』と言われて『左足が死にました』と伝えたら『マジか。じゃあ作戦変更しよう』と。左は蹴れないんで、右ミドルを蹴れるなら蹴っていこう、ということで臨んだんですけど」

 左足の負傷は、丹羽とセコンド陣が考えていた以上に深刻だった。

「2ラウンドが始まって、動いてみると全然踏ん張りがきかないんです。ヒザカックンみたいになったらヤバいなと思いながらも、ポーカーフェイスで戦ったんで誰も気づいてなかったようですけど(笑)。でも、自信があったんです。相手のパンチはよく見えてたし、自分がパンチを当てる自信もあって『このまま行こう』と。その思いでやり切りました」

 打ち合いを得意とする橋本相手に、丹羽は一歩も退かずに打ち合い、パンチを的確にヒットさせてポイントを奪い、3-0の判定勝利を収めた。

 実に、約2年ぶりの勝利だったが、セコンドに就いたTEPPENの那須川会長は「まだまだ」という。
v 那須川会長「丹羽はあんなもんじゃないですよ。来年は、REBELSの63キロのベルトを取るんだから、次もそこに繋がる試合を見せていかなきゃいけない」

 丹羽は、橋本戦で確かな手応えを感じたという。

「キックボクシングをやればやるほど『キックはチーム競技なんだ』と思うんですよ。選手だけの力では勝てなくて、指導してくれるトレーナー、スパーリングしてくれる仲間、試合ではセコンドもそうだし、応援に来てくれるお客さんも、会場のエネルギーが一つになった時に勝てるんです。試合中に怪我して、蹴れなくなった時も負ける気が全然しなかったのは、お客さんも含めた『チーム』で戦っていて、僕を後押ししてくれたからだと思います」

 次戦の相手は潘隆成(クロスポイント吉祥寺)。REBELSの次期エースと期待され、スーパーライト級を引っ張ってきた。

「潘選手は…、テクニシャンなんで上手いなって思うんですけど、以上です。上手い、以上(笑)。
 試合を見てても、迷ってるというか。迷ったらリングに迷いの悪魔が降り立つんです。だから、僕は向こうの土俵でテクニックで勝負してもいいし、それを突き抜けてる感じで倒しにもいけます。迷いの悪魔、迷いの心を打ち砕く戦いになります」

 丹羽の口調から、どこか「上から目線」を感じるのは、丹羽自身が強烈な体験をしているからだ。
 昨年5月、丹羽は中国で「怪物」と拳を交えている。那須川天心との激闘で一躍日本でも有名になった、あのロッタン・ジットムアンノン(タイ)である。

「センチャイ会長(ルンピニージャパン代表)に『ローキックの出来ない、首相撲の上手くないタイ人と決まったから、勝って帰ろうよ』と言われて『分かりました』って。そんなに映像を見たりもせずに、中国に行ったんです。

 試合前、ゲートの横で待機してたら、僕は集中しているのに、ロッタンがめっちゃケツとか触ってきてふざけてるんですよ(苦笑)。こっちは真剣に試合しに来てるのになんだ、と思ってリングに上がったら、さっきまで隣で遊んでたガキはいなくて、目を光らせた『野生の黒ヒョウ』がいたんです。
 もう人間じゃないというか、試合が始まったら『ヤバい、殺される』と思いました。水町選手とか試合して『強いな』と思ったことはありましたけど『殺される』とまで思ったのはロッタンだけです。

 今、考えれば、天ちゃん(天心)とやる前でよかったです。天ちゃんとのあの試合を見た後なら嫌ですよ(苦笑)。だから、あのロッタンと打ち合える天ちゃんは本当に素晴らしいです。傍で見てても努力の天才だと思います。才能があって、努力を惜しまない。
 でも僕も、ロッタンとやってよかったです。人間じゃない、野生の黒ヒョウと戦ったんで、これからどんな相手が来ようと同じ人間ですからね(笑)」

 潘戦は、丹羽にとって大事なステップとなる。

「前回の試合で1度、のろしは上げたと思うんですけど、今回はしっかりと『俺がREBELSの63キロを引っ張っていく』と示す、大事な試合だと思ってます。(潘は)それに値する強くて上手いファイターだと思うし、そういう選手を超えていかないと先はないと思ってるので。
 僕は、REBELSのテッペン(ベルト)を取るためにやってます。微妙な試合をしても仕方ないんで、誰が見ても分かりやすい戦いをしていきます。
ベルトを取ることで、今まで応援してくれたすべての人への恩返しになりますし、それがREBELSを盛り上げることにもなる。僕がベルトを取って、それで周りも盛り上がってくれて相乗効果になってくれれば“最幸”です。
 僕は確実に盛り上げる自信があるんで、12月5日、ぜひTEPPENに上がる試合を見に来てください」

プロフィール
丹羽圭介(にわ・けいすけ)
所  属:TEAM KSK
生年月日:1983年7月23日生まれ、35歳
出  身:大阪府
身  長:176cm
戦  績:22戦15勝(1KO)7敗
元RISEライト級1位

宮越慶二郎インタビュー

インタビュー

公開日:2018/11/6

聞き手・撮影(ジム) 茂田浩司
撮影 山口裕朗

「メインイベントでスアレック戦、モチベーションは最高に上がってます。
『ニンジャステップ』を駆使して、メインらしく爆発的な試合をします!」

 12月5日(水)、東京・後楽園ホールで開催される「REBELS.59」。メインイベントを飾るのはK-1から凱旋の「超攻撃型ムエタイ」スアレック・ルークカムイ(スタージス新宿)vs「ニンジャステップ」宮越慶二郎(拳粋会宮越道場)である。
 宮越は2016年にNJKFのMVP&年間最高試合(対羅紗陀)とMVPを獲得。だが、ここ2年は思うような結果を残せず、足踏み状態が続く。それだけに2年ぶりのREBELS出場、そしてスアレック戦に賭ける思いは強い。
「強敵ですけど、必ず盛り上げて勝ちます」という宮越がその胸中を明かした。






エリートの兄・宗一郎に鍛えられて、
気づけば日本のトップクラスに。



 宮越慶二郎といえば、言わずと知れた格闘一家のサラブレッド。父・宮越新一氏(拳粋会会長)は、かつて「内藤武」のリングネームで「怪鳥」ベニー・ユキーデと戦ったキックボクシングの名選手。兄・宗一郎氏(拳粋会本部師範代)は、長く70㎏の日本人トップファイターとして活躍。15年には兄弟揃ってWBCムエタイインターナショナル王座を獲得(兄はスーパーウェルター級、弟はライト級)して話題となった。宗一郎氏は17年に緑川創に勝利し、18年4月のラストマッチでT-98(タクヤ)とドロー。国内トップの実力を保持したまま、惜しまれつつ現役を引退した。

 弟の慶二郎は「僕は兄と全然違うんですよ」という。

「お兄ちゃんはアマチュア時代から強くて、エリートだったんです。僕も、こういう家に生まれたので空手をやりましたけど(苦笑)、試合に出ても勝てなくて、ずっと『俺は無理だ。大学に行って、普通に就職しよう』と思ってました」

 代わりに熱中したのがバスケットボールだった。

「中学、高校とかなり本気でやってて、高校はチームとしては強くなかったんですけど『地元の埼玉ブロンコスに入りたい』と思って毎日練習しました。それがかわなかった時に『二十代は普通の人が出来ないことをしたい』と思うようになって。その頃、お兄ちゃんがデビューしてて、キックボクシングのきらびやかな世界を見てやってみよう、と。でも、自信がなかったので『負け続けたら辞めよう』とも思ってました」

 18歳でプロデビューすると、順調にステップアップして3年後にNJKFライト級王座を獲得。これは兄・宗一郎氏とのスパーリングが大きいという。

「お兄ちゃんには毎日ボコボコにされてました(苦笑)。向こうも『弟なら怪我させてもいいや』っていうのと『弟だけには絶対に負けられない』っていうのもあったと思いますし、僕も『今日こそ1発入れてやろう』って思ってて。20歳の頃は、ほぼ毎日スパーして鼻血を出してるうちに、自然と強くなってましたね(笑)。他にも強い選手は一杯いたんですけど『チャンピオン(宗一郎氏)と毎日スパー出来るなんてうらやましい』と言われました」

 宗一郎氏は70㎏級の日本人キックボクサーの中でも屈指のパワーを誇った。ライト級の宮越は、常に3階級上のチャンピオンとバチバチにやり合う中で、様々なことを学んだという。

「試合になると楽でした。今まで『相手にパワー負けした』と感じたことは一度もないですし、補強と自重トレーニングだけで特別なフィジカルもやってないですけど、帝拳ジムのフィジカルの日に行ったら『君、強いねー』と驚かれたり。お兄ちゃんはナチュラルであの体格で、腕相撲なんてピクリとも動かないんですよ(苦笑)。そういう選手と毎日練習していたら、自然とフィジカルは付いてくるんです」

 試合で使うテクニックも、宗一郎氏とのスパーリングを通して身につけたものだ。

「お兄ちゃんの試合が決まると、僕が対戦相手の真似をして『仮想○○』にならないといけないんで。相手がサウスポーならサウスポーでスパーをして『俺、サウスポーもできるな』って気づいたり。対戦相手の真似をするうちに僕の引き出しが増えました。今、試合中に頻繁にスイッチすると相手が嫌がるのが分かるんですけど(笑)、そういうテクニックもすべてお兄ちゃんとのスパーで身につけたものです」

 宮越の代名詞「ニンジャステップ」もこの頃に磨かれた。そのルーツは、史上初の外国人(タイ人以外)ムエタイ王座「キックの神様」藤原敏男氏にあるという。

「父は現役の頃、目白ジムに出稽古に行って大先輩の藤原さんにボコボコにされながら、藤原さん独特のステップの技術を習得したそうです。僕が小2で空手を始めた時、父に『こうやって、こう叩くんだ』とステップを踏みながら戦うやり方を教わって、それからずっとステップを踏んでいます(笑)。いまだに、空手流のどっしりとした構えでやろうとすると不安になってくるんですよ(笑)。
 あと、自分でもかなり研究しました。家に藤原さんのDVDがあるので繰り返し見たり、藤原ジムの小林聡さん、前田尚紀さん、山本真弘さんが好きでよく試合を観ていて、特に山本真弘さんのステップは真似しましたね。それにプラスして、中高でやってたバスケのフットワークもアレンジして取り入れてます」

 多彩なステップワークと頻繁なスイッチで、相手を幻惑する「ニンジャステップ」を武器に、15年にWBCムエタイインターナショナル王座獲得、16年には羅紗陀戦でNJKF年間最高試合とMVPを獲得。その勢いを駆って、さらなる飛躍を果たすべく森井洋介、海人、重森陽太という日本トップクラスや海外での試合に挑んだが、思うような結果は残せなかった。






キックボクシングの盛り上がりを実感しながら
「もっと世界の、華やかな舞台で戦っていきたい」
そのために、スアレック戦は絶対に勝ちたい



 ここ2年で結果が残せなかったことについて、宮越は「気持ちの部分が弱くなっていた」という。

「昔は、技術はなかったんですけど、気持ちは強かったのでどんどん勝てたんです。今はそれが逆転してて、色々な技術を覚えて使えるようになったんですけど、最後の最後に『やべえ、負けるかも』って気持ちの部分で負けてしまったり。
 そういう面を補うために、最近はアナログ的なトレーニングをしています。サンドバッグを蹴り続けたり『これ』と決めてそれだけをやり続けたり。今までなら『これは無駄だろう』と思うことも、試し試しでやっています。
 心技一体というか『気持ちの大切さ』は痛感してますね。気持ちがダメな時は練習にも身が入らないですし、試合にも勝てない。自分の弱い部分と向き合いながら練習しています」

 現在、メイントレーナーは宗一郎氏だが、試合が決まると練習を出稽古中心に切り替えている。

「兄は道場での一般会員さんの指導で忙しくて、ミットを持って貰うのは週1ぐらいです。試合が決まると色々なジムに出稽古に行ってスパーリングしたりしています。
 良太郎さんのいるブルードッグジム。あと、シーザージムに行って村田聖明選手とか笠原兄弟と練習しています。最初はスパーだけだったんですけど、シーザー会長に『宮越、練習もやっていけよ! ほら、サーキットもやれ!』と言われまして(笑)。
 ボクシングジムにもずっと通っていて、帝拳ジムで1年間じっくりと基本やテクニックを教わって、最近、日菜太選手も通っているEBISU K‘s BOXに通い出して、ボクシングスパーとか実戦的なことをやっています。色々なトレーナーに教わって、ボクシングテクニックはかなり付いてきたかなと思います」

 今、宮越は主にキックボクシングフィットネスのトレーナー業で生計を立てている。週6日、スケジュールはぎっしりと詰まっているが、それでも「キックボクシングをやりたい」という要望に応えきれない状況で、最近もレッスン場所を増やしたばかり。

「3年前にここ(新所沢バンブールーム)を始めて、今はここで週4日、9レッスンをやっています。あとは新所沢カルチャーセンター、所沢のキッズクラス、川越、最近は目黒でも始めました。ここは3年前に始めたんですけど、都度払い制でハードルが低いのでめっちゃ来てくれますね(笑)。今、一般の方の『キックボクシングをやりたい』っていう要望が本当に多いです」

 キックボクシングトレーナーとして忙しい日々を送りながら、現役選手としてもさらなる高みを目指す。
 REBELS.59のメインイベントでスアレック・ルークカムイとの試合が決まり、宮越のモチベーションは上がった。

「ずっと明確な目標が無くて『有名になりたい』とか漠然としていたんです。最近はあまり勝てていなくて苦しい状況ではありますけど、ここを乗り越えて、もっと上を目指したい。そう考えていた時に、いいタイミングで、いい相手と決まりました。僕はこの試合をきっかけに、いろんなところに出ていきたいです。
 下手な相手とやってもしょうがないですし、モチベーションの上がる相手とやっていきたいです。最初にスアレック戦のオファーをいただいた時は『K-1に出ているのに、本当にやれるのかな?』と思ったんですけど『やれる』というんで『よし!』となりましたね。
 スアレック選手は強いし、勢いもありますし、特に今回はムエタイルールですから。ゲーオ、ゴンナパーもそうですけど、K-1で活躍しているタイ人選手は元々ムエタイが本業。ヒジありのルールの方が得意だし、強さを見せられますよね。
 だからこそ、本当に楽しみなんです。僕もヒジありでずっとやってきたんで自信はありますよ。1、2Rをしっかりと様子を見れば、後半は自分のペースでいけると思ってます」

 宮越が得意とするのは後半のスタミナ勝負。最近では今年2月の重森陽太との1戦(KNOCKOUT)がそうだった。
 前半は重森得意の蹴りで距離を取られて、思うような攻撃が出来なかったものの、4Rから距離を詰めてパンチで攻め込み、5Rに渾身のヒジ打ちでダウン寸前まで追い込んだ。判定は三者三様のドロー。

「ムエタイだと負けている試合でしたけど、あのヒジが当たった時は神様が『まだ現役で頑張れ』と言っているのかな、と思いました。4Rからようやく距離を詰めてパンチが当たる距離に出来たんですけど、なかなか決定的なダメージを与えられなくて。とっさに『まだ見せてなかったヒジだ』と思って打ったんですけど、まさかあそこまで綺麗に入るとは。自分でもビックリしました(笑)。
 スアレック選手は、圧力が相当あると思います。だけど、僕は兄とのスパーで『圧力』の対処方法はよく知っていますからね(笑)。スアレック選手は3R用のスタミナだと思いますし、あれだけ強く打ってきたら後半は持たないですよ。僕は尻上がりですから(笑)、後半勝負でいけると思っています」

 宮越が今、見据えているのは「世界」と「華やかな舞台」。最近のキックボクシングの盛り上がりも追い風だと感じている。

「REBELSが来年から地上波ゴールデンタイム進出と聞いて、なんで今回からやってくれないのかな、と(苦笑)。せっかく試合をするんですから、テレビに出てナンボじゃないですか。正直、ガッカリはしましたけど、逆に『地上波で放送しておけばよかった』とREBELSの山口代表が思うような試合をしよう、と(笑)。
 でも、どんどんキックボクシングの地上波放送が始まって、いい時代になったと思いますし、夢がありますよね。
 僕の『ニンジャ』も、元々は世界で活躍するために考えたこと。中国で試合した時に『チャイニーズドリームを掴もう』と思って、英語で『俺をニンジャと呼んでくれ』と言ったらものすごくウケまして(笑)。海外ではこれだな、と。日本では健太先輩に『ニンニン』といじられまくるんですけど(苦笑)。
 だから、来年はONEにも出てみたいですし、もっと世界の舞台で活躍したり、地上波放送にも出たいです。そのためにも、スアレック戦は大事ですし、メインらしい、爆発的な試合を見せたいですね」

プロフィール
宮越慶二郎(みやこし・けいじろう)
所  属:拳粋会宮越道場
生年月日:1990年1月28日生まれ、28歳
出  身:埼玉県所沢市
身  長:170cm
戦  績:38戦24勝(6KO)11敗2分1無効試合
WBCムエタイインターナショナルライト級王者
WBCムエタイ日本ライト級王者
NJKFライト級王者

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