ピラオ・サンタナ インタビュー公開!

インタビュー

公開日:2017/11/19


ピラオ・サンタナ!タイトル奪取へ向けて!



 ピラオ・サンタナがいよいよレベルスムエタイのタイトル決勝に挑む。
サンタナの本名はシェリー・サンタナ・ドス・サントス(Shely Santana dos Santos)という。
リングネームは本名を短くした「シェリー・サンタナ」とか「サンタナ」だけでも似合う気がするが本人はピラオ・サンタナ(Pilao Santana)を愛用する。ピラオとはMMAでのパウンドという意味。サンタナの出身ベースはMMAだからだ。

1986年3月19日、サンパウロ生まれの31歳。決して若くはない。そして身長160cmは格闘技ではかなり小柄だ。格闘技でタッパの大きさはかなりなアドバンテージになる。今回のレベルスタイトル認定戦の対戦者となる良太郎選手はサンタナが決勝相手と決まった瞬間に山口会長に推されてリング上に上がり、推した山口会長の気持ちを忖度し、得意のメンチ切りでサンタナに対峙した。顔を近づけて睨み合いとなりながら『こんな小さい選手なのか』とかなり驚いたという。

『リングに入ってきて握手でもするのかと思ったら突然睨みつけてきて驚きました(笑)成り行きで睨み合いです(笑)。みんな僕のことを小さいといいます。でも小柄な僕の全身はパワーの塊です。それに対戦相手のリョウタロウはツハシに負けている。背の高さでもツハシに負けている(笑)。そんなツハシを小柄な僕が1RKOで葬った。ツハシに負けたリョウタロウが僕に勝てる要素がありますか?何の問題も僕の方にはないと思いますよ』

弱点と思われる背丈など全く気にしていない。

『僕にとってオランダでの練習相手は誰もがみんな僕より大きい。僕より小さいのは小学生ぐらいです(爆)。だから試合での対戦相手の背の高さなど何の問題にもなりません。日々の練習すべてが大きい相手ですし家内まで僕より大きい(笑)。オランダ人は男女ともに世界一平均身長が高い民族です。日本人の背の高さなど僕には何の問題にもなりません』

笑いが多く明るい性格ながら強気だ。前回の津橋選手相手での戦いについて訊くと、

『事前に背がかなり高い選手だと聞いたとき、彼はそれを利用し首相撲とエルボーとかヒザで攻め込んでくるだろうと予想しました。念のため180cmほどの選手たちとスパーリングを重ねました。新K-1初代王者のマラト・グリゴリアンともスパーリングしました。マラトのパンチは痛いんです(笑)。ガッツンガッツンやられました。ツハシ首相撲に来るということは、逆に言えば僕の間合いに入ることです。ツハシが来たならすぐに下からアッパーやフックを見舞うよう考えました』




 序盤の作戦の一つとしてサンタナはカポエラのスピーディなバックスピンを一発披露した。津橋選手は上手くかわしたものの簡単にはサンタナへ近づけない状況になった。少々警戒気味にサンタナを首相撲につかまえに出た津橋選手はサンタナの思惑通りに下から伸び上がるパンチの連打を受けることとなった。

『作戦通りでKOできました(笑)』

初登場の6月に壮絶な殴り合いで1RKO負けを喫したとき、「俺にとっての憧れの日本はこれでもう終わりか」そう自覚するとリング上で思わず取り乱す姿を見せたサンタナ。しかし戦いの熱い姿を認めた山口代表は階級を下げてのトーナメント起用を決断。思わぬ再度のチャンスに今度は1RKO勝利。そして心に淀む不安が吹き飛び全身にカタルシスが訪れたサンタナはリング上で咆哮。コーチのマナート会長もともに咆哮した。

サンタナの本来のベースはカポエラだ。ブラジルの伝統競技。今では路上パフォーマンスなども多い伝統文化のようなカポエラだが、サンタナのカポエラはテコンドーの足技に近い実践力を持つ。バックスピンは破壊力が強い。異様にスピーディだ。日本では本格的なそれをまだ見せてないが津橋戦で軽く一度披露しただけだ。試合が膠着したときなどに瞬時に繰り出される彼の飛び道具カポエラは一撃KOの破壊力を秘めている。良太郎選手との決勝では間違いなく繰り出してくることだろう。


4年前に先に移住していた建築業勤務の兄を頼ってオランダにやって来たサンタナ。サンタナ自身はブラジルで4箇所のスポーツジムでMMAおよびカポエラのコーチをしていた。打撃をもっと極めたいという思いが強くオランダに渡ってきた。メジロで練習を重ねるうちに日本での試合が決まったが、オランダでは旅行者滞在だったことで日本入国ビザが取得できず、ビザ取得のためにブラジルに戻っている時間的余裕もなく、泣く泣く訪日を断念した過去がある。2014年秋のことだった。
今はオランダ人女性と出会いがあり結婚し身分的問題が消滅。正式滞在者となり、それに加えてカポエラ普及という名目でデルフト工科大学というオランダトップの大学でスポーツ客員指導員としての職も得ている。

対戦相手の良太郎選手もハードな運命を経ている選手だがサンタナも面白い。良太郎選手は、背負うものがあるからこそ戦える、という。自分を頼り慕う中高生の世代をまるごと抱えて日々やっている。サンタナは、

『リョウタロウが生徒を背負っている。僕も同じだ。来年の春にはパパになる。父親として家内と子どもを背負って生きている。そのための決勝だ。ここで負けるわけには行かない。リョウタロウは僕には勝てない。僕がベルトを巻く。そしてレベルスで防衛を重ねる』

メジロで練習を重ね、メジロジムを場借りして自前のMMAコースを持つサンタナ。己を鍛えるためにはオランダのあちこちのジムに赴いて出稽古を繰り返すサンタナ。ブラジル人という立場がそれを自由にしている。そのサンタナの自由な行動をマナート会長も認めている。

『メジロは自宅からちょっと遠いので毎日練習に行くわけじゃない。要所でポイントを指導される感じ。MMAコースはメジロで教えているし僕を頼ってブラジルからやってくる選手たちがいる。そして最近は欧州のあちこちからMMA選手のブッキング依頼がくる。僕はブラジルの仲間につないで選手をブックしている。セコンドとして一緒に行く。今年は特に週末になるとヨーロッパのあちこちの大会に随行している』

ファイトカテゴリーは57kg~62kg。ライト級はベストウエイト。だから、
『レベルスで58kgとかのトーナメントがあれば出たい。二階級制覇したい』
と狙っている。

今のところレベルスでの2試合でサンタナが見せた内容はどちらも1R。合計で4分ほど。2R~5Rのサンタナの動きやスタミナはどうなのか?まだ誰も分からない。過去のMMAの映像でスタミナは判明している。そしてバランスがいい。良太郎選手との決勝が5Rまでもつれこむのか。それともまた序盤で終わるのか。両者ともにそれぞれの思惑でそれぞれの作戦を立てていることは言うまでもないが、突貫小僧のサンタナが再び場内を急激にヒートアップさせる闘いを期待したい。


プロフィール
ピラオ・サンタナ
所  属:オランダ/メジロジム
生年月日:1986年3月19日生まれ
出  身:サンパウロ
身  長:160cm
戦  績:MMA戦績 12戦08勝03敗01ノーコンテスト
     ボクシング 02戦02勝
     キック戦績 10戦09勝1敗

国崇 インタビュー公開!

インタビュー

公開日:2017/11/10

「現在4連続KO中! 37歳・国崇を奮い立たせた『ある観客の言葉』」

文:茂田浩司

 11月24日(金)、REBELS.53(東京・後楽園ホール)にて、キック界のレジェンドがREBELS初参戦を果たす。
 現在37歳。プロ生活17年で85戦を戦ってきた、現ISKA&WKA世界フェザー級王者、国崇(くにたか。拳之会)である。
 NJKF軽量級の看板選手として他団体のリングに乗り込んで激闘を繰り広げ、2013年にはラジャダムナンスタジアム認定スーパーバンタム級タイトルマッチ、2014年にはルンピニースタジアム認定スーパーバンタム級王座決定戦に出場。国内屈指の実力者であることは誰しもが認めるところ。
 だが、ある理由から自分のスタイルを見失い、低迷した時期があったという。
「この年齢になると技術どうこうではなくて、大事なのは『気持ち』。今年に入って、本来の自分のスタイルを取り戻せました」
 レジェンドが低迷から脱するまでの苦悩と、REBELS初参戦に向けた思いを語った。






「スタイル変わった? 昔の国崇じゃなくなったな!」



 プロスポーツ界には「レジェンド」と呼ばれる選手がいる。葛西紀明45歳、イチロー44歳、三浦カズ50歳。
 ただ単に「長くやってる」なら「ベテラン」にすぎない。彼らレジェンドは、トップレベルで10代、20代の伸び盛りのアスリートたちと互角以上に戦い続けている。だから「レジェンド」には常に最大級の敬意が込められている。
 国崇、37歳。現ISKA&WKA世界フェザー級王者。特筆すべきは、練習環境や試合機会の点でどうしてもハンデを背負う地方在住(岡山県)でありながら、東京や大阪のトップ選手たちと互角以上に渡り合ってきたこと。彼は間違いなくキック界のレジェンドである。
 だが、そんな彼も人知れず悩んだ時期があったという。
「一時期、スタイルに迷ってたんです。タイ人の上位ランカーと戦って、首相撲に捕まったり、前半は相手を見る試合のリズムに自分のリズムを狂わされてしまったり。また、よくヒジで切られてしまって(苦笑)」
 国崇のスタイルは、序盤から前に出て、プレッシャーを掛けて相手を追いつめてチャンスには猛ラッシュ。そうして得意の左ボディやヒジ、飛び膝蹴りで仕留めるのが得意のパターンだった。
 だが、アグレッシブに攻めていけばいくほど、タイ人ファイターは首相撲で国崇の動きを止め、ヒジのカウンターを合わせてくる。
「あんまりやられるので、相手を見るようになってしまってたんです。そんな時、昨年10月の『蹴拳』の試合を小川会長の知り合いが見に来てくれました。昔よくキックを見に来ていた人で『国崇が出るなら』と」
 ディファ有明で行われた「蹴拳」で、国崇は野呂裕貴(エスジム)のヒジでまぶたを切られて流血。2RTKO負けを喫した。
 結果もさることながら、国崇は応援に来た観客の言葉に衝撃を受けた。
「その人は『昔の国崇じゃなくなったな。スタイル変わった? せっかく見に来たのになんだよ!』と言ったそうです。それがショックでした…。ガックリと落ち込みました」
 苦悩の末に、国崇は結論を出す。
「昔の、ガンガン前に出て、倒しに行くスタイルに戻したんです。本当にタイ人にはよくヒジで切られたんですけど(苦笑)、でもこっちのヒジを当てて切ってもいたんです。チャンスとリスクは本当に表裏一体なので。
 僕も、切られることを恐れて下がって負けるなんて最低だと思ってましたし、会長も『前に出て切られたら仕方ない』と言ってくれました。昔は、とにかく前に出るしかないと思ってて、その戦い方しか出来ないのもあって前に出ることしか考えてなかったんですけど(笑)。今年2月から気分を一新して、昔のように『とにかく前に出よう』と決めて試合をするようになったら、以前のように倒せるようになったんです。
 だから『ガッカリした』と言ってくれたお客さんには感謝しています」
 今年は2月、4月、7月、9月と4戦して、実に4連続KO勝利。アグレッシブな「国崇スタイル」を取り戻し、勢いに乗った時、REBELS初参戦が決まった。








左から国崇選手、息子の徹心(てっしん)君、裕子夫人

来年3月に第二子誕生を控えて、益々充実の37歳。
「ムエタイ王座は常に意識しています」



 REBELS初参戦を聞き、国崇自身が驚いた。
「想像もしていなかったです。会場が後楽園ホールですし、盛り上がっているREBELSさんで試合ができるチャンスを貰って嬉しいですね。やはり後楽園ホールは雰囲気もいいですし、一番やりたい場所なんで」
 プロスポーツ選手が長く活躍するために必須なのが「良い環境」。この点も、国崇は「申し分ない環境でやらせて貰っています」という。
「僕は20歳の頃からキックボクシング一本でやらせて貰っています。
 拳之会ではインストラクターとして会員さんの指導をして、それ以外は自分の練習をして、木曜日の休みは趣味の釣りをしたり(笑)。日曜日は遠征に行くことが多いですけど、なければ自分の練習をしていますし、週6日、しっかりと練習しています。
 拳之会は若手が育っていて、白神武央(WBCムエタイ日本統一スーパーウェルター級王者)や小椋光人(NJKFフェザー級2位)たちと練習しています。東京のように出稽古に行っていろんな選手とスパーリングをすることは出来ないですけど、それをハンデとも思ってないんで。やれることをしっかりとやっています」
 家族にもしっかりとバックアップして貰っている。
「家族は僕と嫁と6歳の子供と、来年3月末に二人目が生まれます。嫁は、結婚前は東京で試合がある時も応援に来てくれて、普通に『勝ったら嬉しい、負けたら悔しい』という感じで。『また切られちゃったね』とか(笑)。今も地元での試合には応援に来ますけど『都合が合えば行くよ』とかそんな感じです。キックボクシングは詳しくないんで干渉もしないですし、いい意味で『自分は自分』というか(笑)。僕が試合で切られて帰ってきても冷静ですし、でも自分としてはしっかりとバックアップして貰ってると思ってます」
 現在まで、国崇は85戦を戦ってきた。周囲は「100戦」というが、そこに特別なこだわりはないという。
「周りが『100戦、100戦』と言い出してて、僕は『40歳まで』と言ったりしているんですけど、その辺りは全部会長に任せています。会長が『辞めろ』と言えば辞めますし『続けろ』と言えば続けます。会長任せなんですけど、それが僕の意志です。小さい頃からずっと見て貰ってるので、会長が『もう限界だろう』と判断したら止めてくれると思うので」
 国崇のこだわりは「ムエタイ王者」だ。2013年にラジャ、2014年にルンピニーのベルト獲得に「あと一勝」のところまで漕ぎつけたが、今なお視線は「頂点」を見据えている。
「常に考えていますし、前を向いて、勝ち続けていけば必ずチャンスが掴めると思っています。
 この年齢なので、技術的には大きく変わることはないんですけど、とにかく『気持ち』が大事なんだと思っています。
 僕には大した技術はないんで、とにかく前に出て『気持ち』を見せるのと、何より『強さ』をしっかりと見せたいですね。ただベテランで、たくさん試合をして、というのではなくて、常にルンピニーとラジャダムナンの王座は狙っていますし、そのためにはどんな相手に対しても『強さ』を見せなくてはいけないと思っているので。
 全力でREBELSを盛り上げますので、応援、よろしくお願いします」

プロフィール
国崇(くにたか)
所  属:拳之会
生年月日:1980年5月30日生まれ
出  身:岡山県
身  長:168cm
戦  績:85戦49勝(33KO)33敗3分
ISKA&WKA世界フェザー級王者。WBCムエタイインターナショナルスーパーバンタム級王者。元ルンピニースーパーバンタム級6位、元ラジャダムナンスーパーバンタム級9位


拳之会
岡山県倉敷市粒江2077-3
086-426-5560
kobushi@nifty.com

梅野源治 インタビュー公開!

インタビュー

公開日:2017/11/2

「梅野源治が描く『現役ルンピニーランカー攻略』の戦略図」

文・撮影 茂田浩司

 11月24日(金)、REBELS.53(東京・後楽園ホール)のメインイベントを飾るのは、梅野源治(PHOENIX)とインディトーン(ルンピニースタジアム認定ライト級9位)の激突。
 2014年にWBCムエタイ世界スーパーフェザー級王座、昨年10月にラジャダムナンスタジアム認定ライト級王座を獲得した梅野が、いよいよ史上初の「ムエタイ世界3大王座」獲りへの残り一つ、ルンピニー王座に向かって第一歩を踏み出す。
「9月にスアレック選手と戦い、勝利したことで自信を持ってインディトーンという『強いヤツ』と戦える」
 決戦を前に、梅野の胸中に迫った。







「負けたら引退」と覚悟を決めて臨んだスアレック戦。



 9月6日、11か月ぶりのREBELSのリングで梅野源治は躍動した。「超攻撃型ムエタイ」スアレック・ルークカムイ(スタージス新宿ジム/元ラジャダムナンスタジアムフェザー級7位)は得意のパンチを打つチャンスを狙い続けたが、梅野はミドルキックで終始、距離を支配。バッティングのアクシデントに梅野が激怒してスアレックに詰め寄る場面もあり、緊迫感の中で濃密な15分間の攻防を繰り広げ、判定は3-0で梅野が完勝。
「スアレック選手とやって、パンチも見えていましたし、1発も貰わずに勝てて安心しました。やっぱり見えてる、大丈夫だ、と」
 梅野にとっては、様々な葛藤や苦悩を乗り越えてのスアレック戦だった。
 4月のKNOCKOUTでのロートレック戦は激闘の末に判定負け、5月のラジャダムナンスタジアムでのライト級王座初防衛戦では初回にダウンを奪われて判定負けを喫して王座陥落。このプロ初の2連敗で梅野の体はボロボロになった。
「腕が折れて、鼻が折れて、鼓膜は破れて、目を傷めてモノが二重に見える。強豪ロートレックと戦って評価を落としてしまい、ラジャではみんなで獲ったベルトも失った。僕が格闘技を始めた時の夢は『世界で一番強い男になること』なのに、5月の試合から1か月経っても、トレーナーの構えるミットに当てられなかったんです(苦笑)。このままだと自分で自分の夢をおとしめてしまうことになると思って、加藤会長に『一番強い自分になれず、最初の目標からズレてしまうなら辞めます』と伝えました」
 周囲の慰留で「ここで諦めるわけにはいかない。みんなと一緒にもう1回頑張ってみよう」と思い直した時、REBELSから「スアレック戦」のオファーが届く。
「トレーナーには反対されました。『スアレックは危ない。勝てるけど、パンチを1発でも貰えばまた期間が空けなければいけない。今、パンチャーと戦う必要があるのか?』と。確かに『このタイミングでスアレックか…』という思いはありました。僕にとっては勝たなければいけない相手で、でも1発でもパンチを貰えば怪我が悪化するリスクはあるし、もちろん負けたら終わりです」
 2連敗中の梅野にとって、復帰戦でのスアレックは危険すぎる相手。普通は断るところだが、梅野はオファーを受けた。
「僕は加藤会長を信頼してますし、その会長が山口代表と話し合って出した結論がスアレック戦なんです。それに、相手を選ぶなんておかしい、と思ったんです。『世界で一番強い男になる』と公言している男が相手を選ぶのはおかしいし、絶対に勝たなければいけない相手に勝てないようなら、と。それに、僕が『現役のランカーを呼んでください』というのはこっちのやりたいこと。REBELSさんにも何かメリットを残さなければいけない。だから、僕がREBELSの看板選手のスアレック選手とやって、スアレック選手が勝てば『梅野源治に勝った男』としてK-1に出たり、いろんな道が開けるじゃないですか。スアレック選手も今回の試合のためにタイに帰って練習したり、モチベーションも高い。だから、スアレック選手に負けたら僕は引退でいい。だけど、いい勝ち方が出来ればもう一度『世界で一番強い男』を目指せる」
 スアレック戦は一か八かの「賭け」だったが、梅野は見事に勝った。
「正直、やる前は40%はいけるだろう、60%はどうなのか、いけるのかという思いでした。でも、スアレック選手というリスキーな相手に勝って『もう一度、世界で一番強い男を目指せる』と確信しました。もし『復帰戦だから』と弱い相手を用意して貰っていたら、僕は次の試合も『本当にやれるのか?』と不安を抱えたまま臨んでいたはずなんです。だから、モチベーションの高いスアレック選手と組んでくれた山口代表に感謝しています」







梅野自身がテクニックを解説!
「僕はどう現役のランカーを攻略しようとしているか」



 梅野対スアレックは激しい攻防を繰り広げ、満員の後楽園ホールが大きく揺れた。一度のダウンもなく、KO決着でもなかったが、試合を支配し続ける梅野と、最後の1秒まで『1発』を狙い続けたスアレックの攻防が観る人の心を捉えたのだ。
 梅野は「難しい試合だった」と振り返る。
「スアレック選手は『パンチとローでガンガン来る』というイメージだと思いますが、僕はポンサネーのような本当にガンガン攻めてくるタイプではなくて、スアレック選手は頭を使って、よく相手を見て打ってくるタイプだ、と考えていました。
 また、対戦した前口(太尊)さんに聞くと『ローよりもミドルが効いた』という。そうなると、パンチ、ミドル、ロー、ヒジとほとんどの技が危ない、ということになる(苦笑)。しかも、今回はタイで練習してきてモチベーションも高い。間違いなく、僕が今まで見てきた以上のスアレック選手が来る。
 僕には目の不安もあったので『1発も貰えない』と気をつけて戦いましたけど、気をつけすぎてパンチやヒジがあまり出なかった、という反省点があります。僕の戦い方は、ムエタイでいけば間違いなく正解です。別に下がったわけではないですし。ですけど『全局面で勝ちたい、圧倒したい』と言ってた割にはパンチをガードするばかりになって、あまりパンチを返せなかった。それはトレーナーにも試合後すぐ指摘されて、反省すべきだったと思っています」
 その上で、観客の反応が良かったことを、梅野はこう分析する。
「REBELSさんに上手く煽って貰いましたよね。スアレック選手がこれまで日本人選手のトップどころをKOしたり、ダウンを奪ってきたことや、試合前にタイで合宿までしてきたことを紹介して『打倒梅野に燃えるスアレックの強打が当たれば、梅野も危ない』と煽ってくれました。
 だから、お客さんも『スアレックの1発が当たるのか?』『梅野はどう戦うのか?』という見方になって、僕がミドルを蹴り続けて、スアレック選手にパンチを当てさせないことを『凄い』と評価してくれた。応援に来てくれたみなさんも喜んでくれましたし、改めて『試合の見方』を示しておくのは大事だな、と思いましたね」
 スアレック戦完勝という結果を受けて、REBELSはさらなる強敵を梅野のために用意した。
 ルンピニースタジアム認定ライト級9位、「空飛ぶムエタイ」インディトーンである。梅野源治、ルンピニー制覇への道がここから本格的に幕を開ける。
 今回は、梅野自身に「インディトーンの特徴」や「梅野源治対インディトーンのポイント」を解説して貰った。
「インディトーンは飛び膝蹴りをよく打ってくるので『空飛ぶムエタイ』は分かりやすいキャッチコピーだと思いますね。
 特徴は、とにかく体が強くて、見た目はゴツくて、ライト~スーパーライトでよくやっていますが、彼がKO負けをしたところを僕は1度も見たことがないんですよ。今、タイで11戦無敗9KOというクラップダムという選手が話題になっているんですけど、そのクラップダムともインディトーンはやっていて、判定で負けましたけどKOされてない。とにかく打たれ強いです。ローやミドルを喰らってもよろめかない、パンチも嫌がらない。組んできて、ロックする力が強く、主にミドルキックと首相撲で戦う選手です」
 その相手を梅野はどう攻略しようというのか?
「もちろん、組んだ展開で負けないようにはしますけど、相手の得意なところで勝負する必要はないですからね。
 REBELSで初めて僕を見る人に分かりやすく伝えておきたいんですけど、前回のスアレック選手はパンチャー。パンチャーにはミドルを蹴った方が勝ちやすいので僕はその戦法を採りました。
 今回のインディトーンのような首相撲の選手には、組み際にパンチを打っていきます。その方が勝ちやすいですから。
 ムエタイにはセオリーがあって、これがテクニックを駆使する選手であれば、僕はどんどん前に出て、組んでいって、相手の体力を削っていきます。  インディトーンのような『組む選手』も色々なタイプがいます。パンチを打ってそこから組む選手、ひたすら組む選手、ミドルキックをバンバン蹴ってから組む選手。タイプによって戦い方は変わってきます。相手によって「蹴り30%、パンチ40%」というように、比重を変えていきます。
 僕は今回、パンチを多めに使いますが、インディトーンの出方次第でミドルキックは、ローは、ヒジは、首相撲は、と使う技の比重を変えて対応します」
 ムエタイに勝つためのカギは「いかに臨機応変に戦えるか」だと梅野は考えている。
「僕は、試合前に相手の動画を見ておいて『だいたいこう戦おう』と決めておきますけど、実際にやってみないと分からない部分も大きいです。基本的に、タイ人は何でも出来ます。今回も、僕がパンチを多めに使うと、インディトーンが『じゃあミドルを蹴ろう』と試合中に作戦をチェンジしてくることがあります。それに対応して、僕も蹴りやパンチの比重を変えていく。どっちが臨機応変に変えていけるかで勝敗が変わってくるんです。
 スアレック戦を経て『いける』という確信が僕にはあります。
 簡単なことをやっているわけじゃないので、苦悩も挫折もありますし、ダサいところを見せてしまうかもしれないですけど、僕は世界で一番高いところを目指して、絶対に夢を掴んで『応援してくれたみんなのおかげで獲れました』と言いたいです。
 今回はそのための第一歩。絶対に勝利を掴んで、世界初の『WBC、ラジャ、ルンピニー王者』へ前進します。みなさん、ぜひ会場に足を運んで、応援をよろしくお願いします」

プロフィール
梅野源治(うめの・げんじ)
所  属:PHOENIX
生年月日:1988年12月13日生まれ
出  身:東京都
身  長:180cm
戦  績:52戦40勝(18KO)9敗3分
WBCムエタイ世界スーパーフェザー級王者、元ラジャダムナンスタジアム認定ライト級王者


PHOENIX
東京都千代田区岩本町3-7-2スヂノビルB1F
03-6277-5881
PHOENIX@luck-das.co.jp

良太郎 インタビュー公開!

インタビュー

公開日:2017/11/2

【REBELS.53】「元藤ジム内弟子。現在、選手兼トレーナー兼チーム代表」良太郎(池袋BLUE DOG GYM所属、team AKATSUKI代表)インタビュー

文・撮影 茂田浩司

 11月24日(金)、REBELS.53(東京・後楽園ホール)にてREBELS―MUAYTHAIライト級王座決定トーナメント決勝戦に出場する良太郎(池袋BLUE DOG GYM)。
 リングに上がれば喧嘩上等、バチバチの殴り合いで会場を沸かせる彼には「もう二つの顔」がある。ある時はK-1やKrushで活躍する「闘うビッグダディ」闘士のトレーナー、またある時は千葉県鎌ケ谷市にあるteamAKATSUKIで選手の育成やマネジメントを手掛ける日暮良太郎(本名)代表。
 リングネーム「藤良太郎」時代は黒星先行の選手だったが、今やチームからはプロ選手を何人も輩出し、自身も「REBELSの激闘男」として「メジロジムの豪腕」ピラオ・サンタナ(オランダ・メジロジム)とタイトルを賭けて戦うまでに成り上がった。ここに至るまでは紆余曲折、波瀾万丈だ。
「こんな経験をしてる選手は他にいないでしょうね…」
 良太郎が「数奇なキック人生」を語った。








チームアカツキにて。左から安達浩平、良太郎、濱田巧、佐藤レイナ

年中無休、朝10時から夜10時の内弟子生活



 「キックは中3から、地元の柏ジムで始めました。喧嘩が強くなりたくて始めて、当時は魔裟斗さんがバリバリな感じだったから『すぐイケるっしょ』と(笑)。入門2日目にリングに上げられてトレーナーの人にボコボコにされましたよ(苦笑)。和式便所に座れないぐらいボロボロにされて、逆に『面白いな』と思って(笑)。次の日、足を引きずりながら『もう1回やらしてくれ』って。それを繰り返すうちに『コイツ、面白いな』と認めて貰えたんです。
 今の立場になって分かるんですけど、とんがった子は一度潰して、ほとんどの子はそこで終わるんですけど、中には『もう一度』って来る子がいる。そういう子は跳ね上がるし、変わってくる。そこで査定されてるんですよね」
 キックを始めるまでは喧嘩に明け暮れていたが、そんな生活に嫌気が差していた頃だった。
「見た目通り、元気が有り余ってたタイプです(笑)。学校にも散々ご迷惑をおかけしたんですけど、僕らの場合、外で1対1で喧嘩しても次は1対3、こっちが5を出せばあっちは10来るで、どんどん果てしない道になるんですよ(苦笑)。だけどリングは関係ないじゃないですか。1対1でやり合って、終わったらノーサイドで。トレーナーの人には『殺し合いをして、終わったらノーサイドで抱き合うなんて、こんなスポーツは他にないだろ?』って」
 転機は高校卒業時に訪れた。
「そのトレーナーの方は、元藤ジム総本部の一番最初の内弟子だったんですよ。その人が『独立する』と藤ジム千葉県支部を設立したので、僕は高校を卒業してそのまま内弟子に入ったんです」
 藤ジムの加藤重夫会長は、極真空手では松井章圭館長の師匠であり、キックボクシング藤ジム設立後は魔裟斗を育てたことで知られる。良太郎は加藤会長から直接、魔裟斗が若手時代にいかに努力したかを聞ける恩恵に預かったが、内弟子生活は厳しいものだった。
「道場には朝10時から夜10時までいて、飯は40秒で食わなければいけない(苦笑)。それで月給〇万円で、食費は出ないので生活は苦しかったです。会員さんには僕がジャブから全員教えて、中にはアマチュアから10連勝して、J-NETのスーパーライト級4位まで一瞬で駆け上がった子もいました。
 僕はアマチュアなしで、いきなりプロデビューです。加藤先生に『試合決まったぞ。体重は適当に決めとく』ってスーパーライトでデビューして、その後はスーパーライトかライト。どっちの階級になるかは先生の気分次第です(苦笑)。僕は一度も申告したことがないので」
 デビュー戦で負けて、その後も勝てない日々が続いた。毎日道場で練習している良太郎を見て「あんなに練習してるのに負けてばかり」という陰口も聞こえてきた。
「だけど、そこでサジを投げたら何も残らない。僕は意外と楽観的で『俺は大器晩成型なんだ』と(笑)。でも内弟子だから、結果が出なくて練習を変えようにも出稽古にも行けないんですよ。僕がいないと道場が回らないから。で、減量法も僕が実験台になって選手たちに教えてたんで、たまたまテーマが『減量方法』だった土居(進)先生の勉強会に行かせて貰ったんです。それから土居先生の勉強会はすべて出て、運動生理学を勉強しながら走り込み(スタミナトレーニング)も始めて。そこでブルードッグジムの人と会ってパイプが出来て、僕が練習時間を決められるようになると、空いた時間にブルードッグジムへ出稽古にも行けるようになったんです」
 すべて「押忍」の内弟子生活は、終わり方も突然だった。
「2013年2月に『今月で支部を閉める』って言われたんです。僕はブルードッグジムに移籍できることになったんですけど『ウチの子たちをどうする?』ってなって。3月に試合の決まってた子もいて、それから1か月間、僕は死ぬほど動きましたよ」







ブルードッグジム移籍、チームアカツキ設立



 良太郎はスーツを着て、近辺の学校に「体育館を使わせてくれませんか」と頭を下げて回った。
「学校の体育館は『1つの団体に貸せるのは週1回』という決まりがあって、月曜日は小学校、水曜日は中学校、土曜日は自衛官の会員さんの口利きで自衛隊の体育館を使わせて貰えるようになったんです。それと並行して、藤ジム千葉県支部の撤去作業ですよ。業者に頼むとお金が掛かるから、僕がハンマーしょって、みんなでジムを壊しました(苦笑)」
 その後は、チーム設立の挨拶回り。教え子たちの活躍の場を作るべく、アマチュア大会を主催する格闘技団体に頭を下げて回った。
 当時、良太郎は24歳。プロ戦績は3勝7敗4分と、黒星の先行する選手である。
 ブルードッグジムへの出稽古や、土居進トレーナーの主宰する走り込みやウェイトトレーニングにも参加して、選手としては「いよいよこれから」という時期。「選手に専念したらどうか」という声もあったが、良太郎の答えは明快だった。
「知ったこっちゃないですね。何も背負わないで、のうのうとやってたらとっくにキックは辞めてます。なんかしょってやってるから、死に物狂いで、体に不具合があろうが週6日は必ず練習をやりますし、試合の翌日、僕は必ずジムに行ってミットを持ちます。逆に、僕が休んだら教え子たちが『入院でもしたんじゃないか?』と騒ぎますよ(笑)。
 薄いですよね。選手だけやって、勝った、わー、あそぼ―、なんて。クソほど面白くない人生だな、って思うんですよ、ハハハ。僕が変わってるのかもしれないですけど」
 「チームアカツキ」の由来を、良太郎はこう説明してくれた。
「よく『NARUTO-ナルトー』の暁、と言われるんですけど違います。僕の背中に入ってるタトゥーが『ルシファー』で、元々天使長だったのが神に反逆して地獄に堕ちて堕天使になるんです。その異名が『暁の輝ける子』。暁は英語に直すとドーン、夜明け。だから反骨心で、そこから成り上がっていく、という思いを込めて付けました」
 目標を決めたら一切妥協しない。チーム設立に当たり、良太郎は目標を決めた。
「フィットネスとかじゃなくて、僕も本気で教えるんで結果が出なかったらスッパリ辞めよう、と決めてました。僕の中の『裏プラン』として、1年でアマチュアのチャンピオンを作れなかったら辞める。2年で3本ベルトを取れなかったら辞める。3年目になって『5本、取ろう』と決めたら取れたんですよ。そのうち、選手のお父さんがこの場所を見つけてくれて、元々あった建物を改造して常設のジムにしたんです。電気と水道は通ってますけど、シャワーはないんで、僕は冬でも水をかぶってますよ(笑)」
 現在は週3日池袋ブルードッグジムで練習とクラスの指導、週3日はチームアカツキで練習と指導。その合間に、ShimokitaGYMでヌンポントーントレーナーのミットを蹴り、土居トレーナーの走り込みとウェイトトレーニングに参加。1日2部練、3部練は当たり前。
 取材日は土曜日だったが、良太郎は金曜夜の土居トレーナー主宰のスタミナトレーニングに参加し、翌土曜日は午前中からチームアカツキの選手たちと前日のスタミナトレーニングと全く同じメニューの走り込みをする。
「僕は態度で示すんで。自分が試合前の追い込みをせずに、選手に『やれよ』と言っても説得力がないじゃないですか。『お前ら、俺は数時間前に同じメニューをやってきたんだからな!』と言いながら、一緒に走り込んでいますよ(笑)」
 また、トレーナーとして闘士や時にMMA選手のミットを持っている。「トレーナー良太郎」は選手たちにも好評で、特に闘士は良太郎のミットを蹴るためにチームアカツキまでやってくる。
「僕に師匠はいないんですよ。ブルードッグジムでも自由にやらせて貰ってますし、しいていえばYouTubeです(笑)。世界中のトレーナーのミットを見まくって、キックやボクシングやいろんなトレーナーを参考にして、いつも研究しています。たまにMMAのミットを持ちますけど、みんな『こんなミットは経験したことがない』って言いますよ」
 週6日練習して、日曜日は教え子や仲間の試合に足を運ぶので休日はほとんどない。その上、他に仕事はせず、収入は格闘技の指導料とファイトマネーのみなので生活は苦しい。
「超ハイパーギリギリです(苦笑)。彼女? いや、僕の生活に付いてくる子がいたら頭おかしくなっちゃいますよ(苦笑)。現役を引退するまで結婚とかはないだろうし、今『子供が出来ました』ってなって、貧乏生活をさせるのも可哀想。教え子たちが活躍して、もっとジムが大きくなってから、ですね」
 良太郎の熱意に、教え子たちも応えている。
 10月29日のJ-NETでは、安達浩平が2017年バンタム級新人王トーナメントで優勝、濱田巧は同スーパーフライ級トーナメント準優勝。佐藤レイナは昨年10月のNJKFミネルヴァ・アトム級王座決定戦で延長戦の末に敗れたものの(公式記録はドロー)、ベルトまであと一歩のところまで来ている。
「教えてきた子が結果を出してくれるのは本当に嬉しいですよ。僕自身はやれK-1だなんだと憧れを抱いたこともないですけど、光輝くスターダムは僕の教え子たちが上がっていきます」






山口代表の作ったストーリーを僕が完結させます。



 指導者として教え子たちが順調に結果を出し、トレーナーとしての評価も高い良太郎だが、悩みは「選手・良太郎」のこと。
 11月24日のREBELS―MUAYTHAIライト級王座決定トーナメント決勝戦、ピラオ・サンタナ戦でも最大の課題がある。
 それは「殴られても、カチンとこないこと」だ。
「一発喰らうと『はぁ?』となって、殴り返しにいってしまうんです(苦笑)。僕はブルードッグジムに移籍してから、セコンドに褒められたことが一度もないんですよ。コーナーではいつも『お前、ふざけてるだろ!』って怒られてますし(苦笑)、僕も教え子が同じことをやったら『お前!』って引っぱたきますね。
 9月の大会で、僕が大谷選手に勝って、サンタナが津橋選手に勝ったら『リングに上がって』と言われて。メンチを切ればいいのかな、と思って咄嗟にメンチを切ったんですけど向かい合って驚きました。小さくて(笑)。こんなに身長差のある相手は初めてですし、しかもあのパワーですからね。
 真面目な話、5ラウンドあるんで普通にやれば後半勝負で勝てると思いますけど、サンタナのパンチはガードの上から喰らっても『カチン』と来ると思うんで。今はパンチを打って貰って自分を律する練習をしてます(苦笑)」
 良太郎には、REBELSに対する熱い思いがある。
「僕はマッチメイクもするんです。教え子たちには最速最短でベルトを獲らしたいんで『次はコイツとやって、勝ったら次はタイトルマッチで』と一番いいプランニングをして団体と交渉してます。そうすると大体そうなるんで(笑)。
 だから、REBELSのマッチメイクも予想できます。(山口)元気さんはビジョンがしっかりとあって、ストーリーを作っていくマッチメイクをするから、雷電さん引退を聞いて『ライト級トーナメントをやるな』と思ってたし、津橋君が反対ブロックに来るのも分かってた。でもサンタナというどえらいのを連れてくることまでは読めなかったです(苦笑)。
 最近も、いろんな会場で元気さんに会いますけど、僕が同じ立場ならああやって穏やかでいられるかな、と思いますよ。
 選手のために、強くなれる良い環境を作って、そうやって育った選手が『K-1に出たい』といえば、自分の興行があるのに快く送り出すんですよ。元気さんはリアル反逆者、まさにREBELS(反逆者たち)だと思うし、その裏でどれだけ頭を下げているか。僕はチームアカツキを作った時に、いろんなところに頭を下げて回った経験があるからよく分かります。クロスポイントの選手はもっと元気さんに感謝すべきなんですよ。
 REBELS―MUAYTHAIのベルトは僕が取ります。記者会見でも言ってますけど、REBELSで育てて貰った僕が、REBELSで2戦しかしてないサンタナに負けて、ベルトを持っていかれるわけにはいかない。このベルトを獲ってからの来年のビジョンも見えていますから。
 元気さんがせっかく作ってくれたストーリーなんで、僕が完結させます」

プロフィール
良太郎(りょうたろう)
所  属:池袋BLUE DOG GYM
生年月日:1988年12月21日生まれ
出  身:千葉県
身  長:178cm
戦  績:24戦10勝(4KO)10敗4分


池袋BLUE DOG GYM
東京都豊島区池袋2-62-10 武蔵屋第三ビル B1F
Tel:03-5957-0399

team AKATSUKI
千葉県鎌ヶ谷市粟野513
問い合わせはFacebook、インスタグラム、ツイッターにて。

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