6.6 REBELS.56インタビュー

インタビュー

公開日:2018/5/17 3

取材・文 茂田浩司
試合写真 山口裕朗

「再び、世界で一番強い男になる夢に向かって」

 「日本ムエタイ界の至宝」が再起する。
 6月6日(水)、東京・後楽園ホールで開催される「REBELS.56」に梅野源治(PHOENIX)が出場する。今年2月18日の「REBELS.54」で史上初の日本人ルンピニースタジアム認定王者、同時にWBCムエタイ世界王座、ラジャダムナンスタジアム認定王座に続く「ムエタイ世界3冠王」という前人未到の記録に挑戦。しかし、対戦相手の「KOキング」クラップダムに4RTKO負けを喫して快挙達成はならなかった。
 試合翌日の会見では去就を明らかにせず、長く沈黙を守っていたが、5月1日の記者会見で「REBELS.56」に出場し、一階級上の現役ランカー、ピンペット(ルンピニースタジアム認定スーパーライト級5位)と対戦することが発表された。
 クラップダム戦の敗北や再起を決めるまでの葛藤、そして、強豪ピンペット相手の再起戦について、梅野がその胸中を明かした。






再起戦でいきなり1階級上の現役ランカー。 「最初はびっくりしましたけど、これからやっていくのはそういうレベルの選手たちですから」



 5月1日、都内のREBELS事務所にてREBELS.56(6月6日、後楽園ホール)の記者会見がおこなわれた。出席したのはルンピニージャパンのセンチャイ代表と、梅野源治。センチャイ代表からは「梅野源治vsピンペット」が正式に決定したとの発表があった。

センチャイ代表「前回(2月)、梅野選手はクラップダム選手と戦いましたが、その試合をタイのルンピニースタジアムの幹部とビデオでチェックしました。梅野選手は150%の自信を持って戦い、負けてしまいましたが、もう少し怖い気持ち、慎重な気持ちがあれば、勝てたと思いました。
 しかし、梅野選手に対する高い評価は変わりませんし、ルンピニースタジアムの幹部もいつも梅野選手に注目しています。そして、今回はピンペット選手、スーパーライト級5位の選手と戦っていただきます」

 タイトルマッチでのKO負けから約3か月半という短いスパンでの再起戦。何も一階級上の現役ランカーという、掛け値なしの強豪と対戦しなくても……。
 会見の取材に来た記者たちの空気を察したのか、センチャイ代表はこう付け加えた。

「梅野選手にも話したんですが、私がタイから呼ぶのは賭けがフィフティー:フィフティーになる相手です。勝つために弱い相手を呼ぶというのはないですね」

 センチャイ代表の話を聞いてた梅野は、表情一つ変えずにこうコメントした。

「復帰戦の相手としてはかなりの強豪ですけど、僕は年内にクラップダムにリベンジしたい気持ちを持っていて、ここで調整試合で軽い相手を持ってきても納得できないです。
 強豪に勝ち、クラップダムにリベンジした方がお客さんにも伝わると思うので。ピンペットはサウスポーなので『仮想クラップダム』のつもりで戦えますし。しっかりと、いい勝ち方をして、見に来たお客さんが『梅野は次にやればクラップダムに勝てるんじゃないか』と、いい期待感を持って貰えるような試合が出来るんじゃないかと思ってます」

 とはいえ、1階級上のランカーとは……。
 そんな記者たちの空気に、梅野はこう答えた。

「僕の想像では(復帰戦の相手に)1階級上のランカーが来るとは思っていなかったですね。『サウスポーの選手、パンチャーとやりたい』と言っていたので、それがランカーなのか、ランク外なのか、僕は分からなかったんですけど。想像を超える選手だったので最初はびっくりしました。
 だけど、これからやっていく選手はだいたいそういうレベルの選手になると思うので。これで(相手の)ランクを落として、勝って『俺、強いだろ!』と言ってるのは、僕はよいと思わないので。そういう意味では、僕のやりたい相手を用意して貰えたな、と感謝しています」

 強豪ピンペットに勝ち、王者クラップダムへのリベンジへ――。
 梅野の強い決意が感じられた会見だった。

 会見終了後、梅野に話を聞いた。






クラップダム戦の敗因は何か。
「クラップダムは強かったです。だけど……」



 まずは2.18「REBELS.54」でクラップダムに敗れてからのこと。

「試合の後、1週間は何も考えられなかったです。試合のことも、今後のことも、考えるのが嫌になって、考えることを拒否すると眠くなるんですね(苦笑)。だから、1週間は起きたらものを食べて、食べ終わるとまた眠くなるので寝て、の繰り返しでした」

 そうして、時間を掛けて傷ついた心と体を回復させて、ようやくこれからのことを考えられる状態になった。

「一番大きなところは『もっと強くなれるのか、なれないのか』で判断しているんです。僕は『世界で一番強い男になる』という夢を追っていて、そのためにラジャ、ルンピニーのベルトを取ることを目指してきた。でも、格闘家には限界があって、続けていれば打たれ弱くなったりもする。もし『弱くなっている』と感じたら、辞めようと決めているんです。有名になりたい、お金を稼ぎたい、が目標なら他にも手段はありますし、格闘技でしか稼げない、他のことは出来ない、という理由で格闘技を続けることを、僕はしたくないので」

 梅野には「自分は今よりももっと強くなれる」という確信があった。そして、周囲の声が梅野の再起を後押しした。

「試合翌日の一夜明け会見でも言いましたけど『負けたけど、もう一度』とか『いつでも挑戦させて貰える』というのが、僕は嫌なんです。そういうごっつあん体質のスポーツ選手が好きではないですし、僕はそうなりたくない。
 だけど、試合の後にいろんな人がアドバイスしてくれたんですけど、ある人に『梅野源治はもう一人だけのものじゃない』と言われたんです。会長やトレーナー、ルンピニーのベルトを取るチャンスを作ってくれたREBELSの山口代表やルンピニージャパンのセンチャイ代表、いろんな人が協力してくれて、みんなで『梅野源治』を作り上げてきたのに、挑戦しました、ダメでした、はい、お疲れさまでした、で終わっていいのか。
 そう思うとだんだん悔しくなってきて、クラップダムに負けたままで終わりたくない、もう1回やろう、クラップダムにリベンジしよう、と考えるようになったんです。
 周囲の力は本当に大きいです。僕ひとりでは大したことは出来ないですし、ここまで来れなかった。これまでもいろんな人が支えてくれましたし、今はさらにその輪が広がっているので『こんなに心強いサポーターがいるんだから、僕はまだいける。これからもみんなの力を借りてもっと強くなれる』と思えたんです」

 クラップダム戦の敗因は、梅野の中ではっきりとしていた。
「先に言っておきたいのは、あの試合で僕は100%の力を出したと思いますし、クラップダムの方が強かった、ということです。1ラウンド目から行ったのも作戦なので、間違ってはいないと今でも思っているんです。
 言い訳みたいになってしまうのが……。『実はこういう状況だった』というのは、僕しか知らなくていいことですし」

 だが、我々メディアが見た「クラップダムの奥足ローが効いて3ラウンドを取られ、挽回のために勝負に出た4ラウンドにパンチを喰らってTKO負け」は、梅野の実感とは大きく違う。
 ならば、あの試合で何が起きたのかを、見ている人のためにも説明すべきだろう。
 そのことを、梅野自身も十分に理解していた。

「見ている人は『梅野はクラップダムの重いローを効かされた』と思ったようですけど、ローは全く効いていなかったですし、クラップダムよりももっと重いローを蹴る選手はいっぱいいて、僕はそういう選手と戦ってきていますから。
 ただ、奥足(右構えの梅野の右足)を狙って来るローなので『このまま貰い続けると、後半、強いパンチや強い蹴りが打てなくなるな』とは思っていました。
 クラップダムの攻撃ではパンチですね。重かったです」

 そのパンチをなぜ貰ってしまったのか。
 梅野は3ラウンドのある場面のことを話し出した。

「僕の、二人のタイ人トレーナー(ウアントレーナー、ビントレーナー)に指摘されたのは『3ラウンド、倒れ際にクラップダムにヒジを落とされた。あれで梅野は動きが悪くなったよ』と」

 REBELSがYouTubeにアップしている「2018.2.18 REBELS.54 クラップダムvs梅野源治」の動画で確認すると、開始から8分30秒、組みに来るクラップダムに対して梅野は左足で払って崩しに掛かり、二人はもつれながら倒れた。



 ちょうどレフェリーの背中越しでカメラの死角になっているが、クラップダムは倒れながら左ヒジを梅野のアゴに落としていた。
 梅野は立ち上がった時に少しふらつき、それを見たクラップダムはパンチとヒジで攻勢を掛けた。

「試合の動画を見ると、それまで僕は顔にパンチを貰っていないんですよ。あの場面から明らかに動きが悪くなり、クラップダムも急に詰めてきているんです」

 もう一つの敗因は、試合に臨む精神面。
 2月18日の後楽園ホールは、指定席が完売し、立ち見のみの当日券も売り場には朝から行列が出来て、発売と同時に完売。超満員の会場は「歴史的な瞬間」を目撃すべく、熱気に満ち溢れていた。

「僕を応援に来てくれる人には『最初の方から来てくれ』と伝えてありました。やはり僕の試合だけを見に来てもらうよりも、REBELSの大会全体が盛り上がった方がいいですから。でも、みんな第1試合から来てくれていて、2、3試合目にバンテージチェックに行った時に驚きました。
 日本でタイトルマッチを組んで貰うにはお金も掛かりますし、いろんな人が動いてくれて実現した試合なので『勝ってベルトを巻いた姿を見せて、みんなに喜んで貰いたい』という気持ちが強くて…、普段とは違いましたね。後で『後楽園ホールの熱気が凄かった』と聞いても、まったく覚えていないんですよ(苦笑)。緊張していて、入場の時から覚えていないんです」

 対照的に、クラップダムは試合前日の計量と記者会見から終始リラックスした表情を浮かべていた。
 コメントを求められると「遊びに来たのではない。ベルトを持って帰るために来た」と自信を見せ、さらに「梅野の攻撃は何も怖くない。明日は逃げないで戦いましょう」と挑発さえして見せた。
 クラップダムに漂う「余裕」の正体を、梅野陣営のタイ人トレーナーは見抜いていた。

「僕は『ずいぶん自信満々に喋るな』ぐらいにしか思っていませんでしたけど、トレーナーには『クラップダムは勝っても負けても海外だからあまり関係ない。だから、ガンガン攻めて、KOで勝てば名前も上がるからいいや、という気持ちの余裕があったね。でも、梅ちゃんは“絶対に勝たないと”と硬くなってたよ』と言われました。
 クラップダムは日本というアウェーをプラスにしたんです。タイでやれば、ギャンブラーが見ているから負けたら信用を落としてしまうし、緊張する。海外ならそこまででもないので」

 冷静に試合を振り返り、敗因を分析し、その上で梅野は言う。
「再戦してクラップダムに勝つ自信、ありますね」






なぜ梅野源治はリベンジマッチに強いのか?



 これまで、梅野は再戦をして負けたことがない。
 ゴンナパー・シリモンコンには12年2月にルンピニーで判定負けをし、約2か月後「REBELS.11」(ディファ有明)で再戦して判定勝ち。
 チャンヒョン・リーには12年10月に判定負けをし、翌年3月の再戦で判定勝ち。
 ヨードレックペット・オー・ピティサックとは15年12月にラジャダムナンスタジアム創立記念興行で対戦して3RKO負けを喫するも、翌年10月「REBELS.46」(ディファ有明)で再戦して判定勝利。見事に、梅野はラジャダムナンスタジアム認定ライト級のベルトを巻き、史上8人目の外国人ムエタイ王者となった。
 なぜ、梅野源治はリベンジマッチに強いのか?

「僕がリベンジマッチに強いのは、タイ人がリベンジマッチに強いのと同じ理由です。
 これまで日本人は『パンチ、ローしか出来ない』と見られてた。僕はパンチ、ロー、ミドル、首相撲、全部の技が使えるので、再戦の時は使う技の比率を変えればいいんです。
 ゴンナパー・シリモンコンには首相撲に付き合いすぎて負けました。だからREBELSさんでリベンジマッチを組んで貰い、今度は首相撲に付き合わず、全部突き放して戦いました。これは首相撲のテクニックがなければ突き放すことも出来ないはずなので、僕は首相撲が出来るからこそ『突き放す』というテクニックを使えたのかな、と。
 チャンヒョン・リーとやった時は、パンチで殴り合い、雑になって負けた。なので、次は殴り合わず、ミドルキックを蹴っていったらまったく触れさせずに勝てた。
 ヨードレックペットとは、近い距離でヒザを打ちに行く時にヒジを貰ってしまった。だから、僕の方が身長も高いので組みに行く必要がないので、遠くからミドルキックを蹴っていった方がいい、と考えて、再戦ではミドルキックを蹴りまくって勝ちました。
 単純に、僕は使える技が多いのでそういう選択が出来るんです」

 クラップダムとのリベンジマッチのイメージもすでに出来ている。
「前回の戦い方が悪かったとは思っていないんですけど、多少は使う技を変えていきます。
 性格上、負けたままで終わるのは嫌なので、早くクラップダムとやりたいですね。目的はルンピニーのベルトを取ることですけど、一番の理想はクラップダムに勝ってベルトを取ること。もし仮に、クラップダムがベルトを失っても、やっぱりクラップダムとやりたいですし、リベンジマッチで勝つ自信はありますね」

 まずは6月6日(水)、後楽園ホールで1階級上のスーパーライト級5位、強豪ピンペットに勝つこと。
 ピンペットに勝ち、ランキングを上げておけばクラップダムとのリベンジマッチ実現に大きく近づく。

 この試合をマッチメイクしたセンチャイ代表は「ピンペットはかなり危機感を持って来日するはず」という。

センチャイ代表「梅野選手は現在ライト級9位です。ピンペット選手に勝てば、梅野選手のランキングは上がると思います。そうすれば、日本でクラップダムとタイトルマッチでの再戦も可能です。あとはクラップダムの試合予定が入っているかどうか。今、タイはムエタイを世界に広げたい気持ちを持っていますから、ルンピニーの幹部の方たちは梅野選手をすごく注目していますし、日本でクラップダムと再戦する可能性も高いです。
 危ないのはピンペット選手の方です。もし階級が下の梅野選手に負けてしまったら、ランキングを外れてしまう。だから気を引き締めて日本に来るでしょう」

 ムエタイの有力選手の情報や試合映像のチェックを欠かさない梅野は、ピンペットのことを以前からマークしていた。

「ピンペットのことは前から知っています。テクニシャンで、首相撲でも戦えますし、ミドルキックで距離を取って戦うことも出来る。ピンペットがインディトーン(昨年11月の「REBELS.53」で梅野が4Rにヒジ一撃でKO勝ち)と試合した時は、後半首相撲の勝負になっていましたね。スーパーライト級ですし、体がデカいのかな、と思います。
 僕にとっては、希望通りにサウスポーを用意して貰って『仮想クラップダム』でもありますし、僕はこれまでタイトルマッチでは3回連続サウスポーと当てられているので(苦笑)。今回のピンペット戦はサウスポー慣れするチャンスでもあるので、ありがたいですよ」

 クラップダムとのリベンジマッチ&ルンピニータイトル挑戦に向けて、勝ってランキングを上げたい梅野。対するピンペットも、ランキングを守るためにどうしても落とせない。
 どちらが勝ち上がるか。今回も激闘必至である。

 最後に、梅野にメッセージを貰った。
「生で見ないと伝わらないものがある、と僕は思っていて。激しい試合して、KOも狙っていきたいですし、プラス、ムエタイの技術もお客さんに見せたいです。
 これまでは『伝わらないなら仕方ない。自分でルールや技術を勉強してくれ』と思っていたんですけど、僕の試合を見て、ムエタイの技術に興味を持って自分で調べて詳しくなった人もいますし、ジムでムエタイを習うようになった人もいます。たとえ判定になっても『ムエタイってこういうルールなんだ』『ムエタイって面白いし、技も豊富なんだな』と、より興味を持つような試合ができればいい、と思うんですよ。
 あとは、試合だけじゃなく、入場の雰囲気も他の選手とは違うものを見せていければ、お客さんを引き付けられるのかな、とかも考えています。
 僕、動機なんて何でもいいと思っているんですよ。僕の試合はモデル事務所の仲間が20、30人来てくれるので、僕の応援に来てくれた人が『モデルの人と一緒に写真を撮っちゃった』と言っていたり(笑)。『梅野の試合を見に行くと、芸能人に会えるかも』でも何でもいいです。それをきっかけにして、結果としてムエタイに興味を持ってくれたら最高じゃないですか。
 格闘技を盛り上げていきたいですし、そのきっかけ作りをしていきたいので。ぜひREBELSの会場に足を運んで、僕とピンペットの試合を見てほしいです。YouTubeでは伝わらない、迫力とか熱気のある試合が見せられると思うので」

プロフィール
梅野源治(うめの・げんじ)
所  属:PHOENIX
生年月日:1988年12月13日生まれ
出  身:東京都
身  長:180cm
戦  績:53戦40勝(19KO)10敗3分
WBCムエタイ世界スーパーフェザー級王者、元ラジャダムナンスタジアム認定ライト級王者

4.27 REBELS.55インタビュー

インタビュー

公開日:2018/4/22 3

取材・文 茂田浩司
試合写真 山口裕朗
写真提供 KING強介

第4子誕生を控える「爆腕ビッグダディ」KING強介(きょうすけ)。
「KOUMA選手との闘いは“運命”。地方で頑張ってきて、辛い思いもしてきた。すべてをパンチに込めて、KOしたい」

「西からREBELSのリングを荒らしに来ました」
 その言葉通り、KING強介(ロイヤルキングス)は前回のREBELS.54で強烈なインパクトを残した。
 REBELS.53で世界2冠王の国崇を破り、勢いに乗る炎出丸に対して、KING強介は序盤から持ち前のハードパンチで攻め立て、2度のダウンを奪って完勝。噂通りのアグレッシブ&爆腕ぶりを山口代表が高く評価し、KOUMAの持つREBELS-MUAYTHAIスーパーバンタム級タイトルの挑戦者にKING強介を指名した。
 王者KOUMAは「KING強介君となら熱い殴り合いが出来る」と胸を高鳴らせているが、参戦2戦目でタイトル挑戦となったKING強介はどんな思いでいるのか。
 連絡を取ったところ、KING強介もまた様々な事情を抱えながら競技を続ける30代のキックボクサーだった。






仕事をし、練習し、単身赴任中のため家事もする
「すべて試合へのモチベーションにします」



 強気で鳴らすKING強介が、ある日、珍しく自身のツイッターでこんな弱音を吐いた。

<強介次戦レベルス55 vsKOUMA‏ @doublenein
3月26日 1人になると寂しさが襲ってくる だからずっと練習していたい。 #単身赴任 #寂しさが俺を強くする #レベルス55 #レベルスムエタイタイトルマッチ #東京後楽園ホール #5ラウンドまでにどちらかが倒れる #お互いにそう思ってるはず #決め手は恐怖心>

 家庭の事情でKING強介は現在、単身赴任中だった。
「嫁さんと3人の子供は嫁さんの実家に帰ってて、僕は一人で神戸で生活しながら仕事して、練習して、っていう生活をしてます。洗濯物が溜まってしまうんですよ(苦笑)。洗って干したら畳まないといけないし、ご飯も全部自分一人でやらなければいけないんで。この生活になって2か月経って、ようやく慣れてきましたけどね」

 子だくさんのにぎやかな家庭から一変、一人きりの生活にはわびしさが漂うが、KING強介にとって「家族」の存在が戦うモチベーションになっている。
「子供は5歳、3歳、1歳で、今年の8月にもう一人生まれてくるんです。『リング上で子供と写真を撮る』って決めてて、上の二人の子とは撮れたんです。去年、鈴木(真彦)戦の会場に一番下の子が来てたんですけど、負けちゃって撮れなかった。下の子と、今度生まれてくる子と、リング上で写真を撮りたい。それは試合へのモチベーションにもなってますし、仕事は大工をやってるんですけど、一生懸命にやってますよ。家族を養っていかないといけないんで。今は、家に帰ってきても一人なんで、仕事して、練習して、疲れ切って帰ってきてそのまま寝るだけの生活です」

 「試合のない時はキャバクラに行ったり、女の子と遊んでる」と公言するKOUMAとは真逆の生活だが、実はKING強介とKOUMAは同い年で、様々な共通点があるのだという。

「KOUMA選手のインタビューを読みました。僕も昔、少しやんちゃはしましたけどKOUMA選手に比べたら全然です(笑)。KOUMA選手は一回道を外れて、よう戻ってきましたね。戻れない人もたくさんいるのに、こっちに戻ってきて、チャンピオンに上り詰めるのもすごいことですよ。しっかりと練習に取り組まないと、通用しない世界ですから。
 KOUMA選手とは年齢も同じ、身長(163cm)も、ファイトスタイルも同じなんですけど、キックを始めたのが遅いのも同じなんです。
 昔から格闘技は大好きだったんですけど、近くにジムがなくて、KING皇兵に出会ってキックを始めたのが26歳。1から教わって、アマチュアを1年ぐらいやって、27歳でデビューしました。
 一人で黙々と練習するのもKOUMA選手と同じです。やるべきことは分かってるので」

 KOUMAのことは、以前から知っていた。
「面白い試合をする選手だな、と思ってチェックしてました。去年、MAでタイトルを防衛した時に『REBELSでKOUMA選手とやりたい』と言ったんですよ。すごいアグレッシブで、ガチャガチャですけど『この選手と試合したら会場をわかせられるな』と思ったんで。
 だから『いつかやりたい』と思ってましたけど、まさかこんなに早く、しかもタイトルマッチでやれるとは思っていなかったです。タイトルマッチまでは、もっと順序を踏むのかなと思ってましたから」

 同い年ながら、全く違う場所で、違う生き方をしてきた二人が、いつしか「コイツと戦えば面白い試合になる」と同じ思いを抱くようになり、まるで吸い寄せられるようにREBELSという戦場にたどり着き、拳を交える。
「KOUMA選手と戦うのは運命だったんでしょうね」






打ち合いはしたくないです。痛いの嫌いなんで(笑)
だけど会場をわかせる試合になるんでしょうね。
KOして、REBELSのベルトを巻きます。



 KING強介とKOUMAには共通点が多いが、明らかに違う点もある。それは、KING強介が常にアウェーで戦い続けてきた選手、ということだ。
「試合はいつもアウェーです。僕はKO率は低いですけど(28戦で7KO勝利)、勝った試合は全部ダウンを取っています。逆に言えば、いつもアウェーなんでダウンを取って、しっかりとポイントを取らないと勝てないんです。それで辛い思いもたくさんしてきたんで」

 アウェーでは「判定になれば不利」になるのは否めず、接戦になればホームの相手側にポイントが付く。そのため、KING強介は得意のパンチを磨き、倒し方を工夫するうちにタイトルを手に入れ、やがて「西の激闘派」として少しずつ知られるようになった。

 現在、33歳。守らなければならない家族もいるが、それでもキックボクシングで上を目指す姿勢は変わらない。
「体を動かすのが好きで、キックボクシングが好きなんで、自分が望んだ形でやめたいですね。中途半端に、思いを残してやめるのは嫌なんで。とことん自分がやりたいことをやって、上がりたいリングに上がって、ちょっとぐらい脚光も浴びてみたい。それに、強い選手は一杯いるんで、どれだけ強いのかを戦って知りたいんですよ。
 KOUMA選手は『打ち合い』を望んでますけど、僕は断ろうと思ってます(笑)。痛いのは嫌いなんで(笑)。
 まあ、誰もが予想する通りに、お互いにダメージの残る試合になるでしょうね。ただ、詳しくは言えないんですけど僕も幾つかの作戦を用意してて、パンチで打ち勝てると思ってますね。『タイミング』だけなんです。これ以上は言えませんけど(笑)。
 僕もパンチの強さには自信があります。KOUMA選手とは絶対に会場をわかせる試合になるんで、KOで勝って、REBELSのベルトを取って、次回大会も出たいです。6月6日、誕生日なんですよ(笑)。
 ずっと地方で頑張ってきて、僕のスタイルを山口代表に評価して貰えて、参戦2戦目でタイトルマッチをやらせて貰うのは嬉しいですし、今、すごくモチベーションが上がってます。
 必ず熱くて、面白い試合をするので、応援してください」

プロフィール
KING強介(きんぐ・きょうすけ)
所  属:ロイヤルキングス
生年月日:1984年6月6日(33歳)
出  身:兵庫県神戸市
身  長:163cm
体  重:55㎏(試合時)
戦  績:28戦14勝(7KO)13敗1分
タイトル:初代ホーストカップバンタム級王者、MA日本バンタム級王者

4.27【REBELS.55】パスカル・コスター試合直前取材

インタビュー

公開日:2018/4/21

王者良太郎とノンタイトルながらワンマッチ対戦するオトマニジムのパスカル・コスター。王者になったばかりの良太郎のモチベーションを上げるために山口会長の断によってオトマニジム選手の起用となった。
因縁浅からぬオトマニジムとの対戦。パスカルに試合直前の心境を訊いた。








胸のタトゥーC’est La Vie はフランス語でセラビと発音する決まり文句。
意味は『なるようになるさ』『仕方ないさ』『これが人生さ』

―― 日本からの試合オファーを聞いてどう感じましたか?

パスカル 『おおお、来たーー!』って感じ。瞬間的にクレイジーになったよ。舞い上がった(笑)。すぐ親父に連絡してさ。親父も大喜びでね。『絶対勝つんだぞ』って。空港へ見送りに来てくれるって言ってたよ。

―― ところで生まれは?

パスカル フローニンゲンというオランダ北方の街さ。アムステルダムからは車で2時間ほど。親父はオランダ人でお袋がイタリア人だった。僕はハーフさ。でもイタリア語はまったく話せない。だって物心つかないうちにお袋は病気で亡くなったからね。だからお袋のことはほとんど覚えてない。
親父はインドネシア人女性と再婚した。どうやら親父はオランダ人女性があまり好きじゃないみたいだ(笑)。だって気が強いからね。再婚相手には娘がいたので僕には腹違いの妹ができた。家族はみんな仲いいよ。日焼けサロンをやってる。

―― 今はアムステルダムで独り暮らしですね。

パスカル そう。ガールフレンドもいない(笑)。今はキックにのめりこんでいる。

―― 格闘技歴は?

パスカル 中学高校とテコンドーをやってた。卒業するまで毎年5年連続でトーナメントでオランダ優勝していた。でも卒業してテコンドーじゃ飯は食えないから地元のキックジムに所属したんだ。
でもさ、田舎だから試合チャンスというものに恵まれないんだよね。やっぱり中心地アムステルダムに行かないとだめだと思ってね。色々調べてカルビンジムに所属したんだ。

―― なぜカルビンジムを?

パスカル カルビンさんってほら伝説の人だから。オランダキックの基礎というか形をつくり上げた人だって聞いたからね。きちんと基本を習おうと思って。それに好きな選手でアジス・カラーという選手がカルビンジムにいたのも理由の一つなんだ。

―― 今はオトマニジムですね。

パスカル 昨年の春先に移籍した。もっとたくさん試合がしたかったから。カルビンジムにはなぜだかあまり試合オファーが来ないんだ。
オトマニジムを見ていると選手たちがどんどん国内外で活躍している。試合チャンスが多い。海外遠征も多い。僕もその中に入りたいと思ったんだ。移籍したらすぐにクンルンから試合オファーが来た。驚いたよ。昨年クンルンで2試合もした。そしたら今回は日本からオファー。夢みたいだ。オトマニジムの勢いを感じる。
ベルギーから3時間かけてオトマニジムに練習に来ている選手たちもいるんだよ。オトマニジムの渦に巻き込まれたいんだよ。試合チャンスを狙っているんだよ(笑)。



一昨年K-1とクラッシュで大活躍したイリアス・ブライド選手と練習。

―― 今回の対戦相手のことは知ってますか?

パスカル リョウタロウ選手はレベルス王者ですよね。トーナメント決勝でメジロの選手を破って王者になったって聞いた。オトマニジムが日本へ行くと必ずセコンドヘルプしてくれた人だって会長から聞いた。今回はヘルプじゃなくて対戦相手となるんだから面白いというか因縁というか。
でもオトマニ会長は喜んでいた。リョウタロウは素晴らしい人間だって。対戦相手となったけど敵という感じはまったくしない。彼は友人だし仲間だって言ってた。
でも試合は試合。負けるわけにはいかない。ノンタイトルマッチで王者に勝てばリョウタロウ選手も黙っていられないはずだ。きっと再戦希望するからそのときはタイトルマッチでやりたい。そんな展開になるように大勝利したい。

―― 日本のことで知っていることは?

パスカル 武道の国。キックの国。K-1の生まれた国。キックボクサーなら世界中の誰もが試合したい国。
僕はかなり興奮している。コンディションはばっちりだしウエイト調整も問題ない。最高の状態で試合に臨み勝ちます。勝って再びレベルスに呼ばれたいし継続参戦したい。

―― 健闘を祈ります。凱旋帰国の節はインタビューをお願いします。

パスカル インタビューしてもらえるように頑張ります。

プロフィール
パスカル・コスター(Pascal Koster)
所  属:オトマニジム
生年月日:1993年10月30日(24歳)
出  身:オランダGroningen(フローニンゲン市)
身  長:172cm
体  重:ライト級
戦  績:32 戦 24勝 7敗 1分4KO。テコンドー5連覇。

4.27 REBELS.55インタビュー

インタビュー

公開日:2018/4/1 3

聞き手・撮影 茂田浩司

「実録あしたのジョー」KOUMA(コーマ)。
「本物の格闘技、ムエタイとの出会いが、自分の人生を新しい道に導いてくれた」

 昨年6月のREBELS.51で炎出丸(クロスポイント吉祥寺)をKOし、REBELS-MUAYTHAIスーパーバンタム級王者となったKOUMA(ウィラサクレックフェアテックス荒川ジム)。今大会では挑戦者にKING強介(ロイヤルキングス)を迎えて初防衛戦に臨む。
 どんな相手、どんな試合展開でも必ず前に出てKOを狙うKOUMA。そのハートの強さと、この階級屈指のハードパンチャーぶりはよく知られているが、格闘技を始めたのが26歳、プロデビュー時にすでに28歳と、若年化が進むキック界では異色の存在でもある。
 しかし、格闘技を始める26歳まで何をしていたのか。「元暴走族」と聞くが、その年齢まで暴走していたわけでもあるまい。高い身体能力を活かして他競技に打ち込んだ後、格闘技に転向してきたのか。
 KOUMAにたずねると、彼は淡々とした口調で「格闘家以前」のことを語り出した。

「自分、19歳から23歳まで少年刑務所にいたんですよ」






暴走族に入り、荒れた十代を過ごす
「成人式は塀の中でした。丸坊主で行進して『自分は何をやってるんだろう?』」



 KOUMAは東京都荒川区生まれ。普通の会社員の家庭に生まれ、普通に育った。
「三人兄妹で、ウチの姉ちゃんはめちゃくちゃ頭が良いんですよ。成績が優秀で、国からの奨学金を貰って学校に行って今は学校の先生です。でも、自分と双子の兄貴は頭が悪いんで『双子だから脳みそ半分ずつだ』って言われてました(笑)」

 子供の頃から運動は得意で、スポーツでも活躍していた。
「運動神経は良かったですよ。小学校では短距離、幅跳びとかずっと1位でした。スポーツは学校のクラブ活動で、野球とかサッカーをやってて。中学でもクラブ活動でサッカーをちょこっとやりました。ちょうどW杯のフランス大会かなんかあって。プレースタイルは今の戦い方とまったく同じで、荒削りでした(笑)。昔の岡野(雅行)みたいにひたすら走って『足が速いだけじゃん』っていう。兄貴はサッカー推薦で高校に行きましたよ。今は結婚して子供もいて、トラックの運ちゃんをやっています。
 自分は高校に一瞬行ったんですけど、すぐ退学になりました(苦笑)。喧嘩とかバイク通学したり、髪型もパンチパーマで(笑)。16歳ぐらいから暴走族に入って、そっから変わった人生を歩んだというか」

 十代は荒れに荒れて、やがて少年刑務所へ。
「喧嘩もあったんですけど、昔みたいな土手でタイマン張って、みたいなことはなかったですね。暴力というかバットとかそういうので傷害事件を起こしたり。
 16歳から19歳までは鑑別所や少年院に入ってました。逮捕されて半年入って、出てきてまた逮捕されて次は1年とかになって。それは暴走行為とか、喧嘩して傷害とかで。それで19歳の時にちょっと大きな事件を起こして、そっから4年間、少年刑務所に入ってたんですよ」

 自業自得ではあるが、19歳から23歳という人生で一番充実し、楽しい時期を少年刑務所で過ごしたことで、KOUMAの人生観は変わった。
「受刑生活は厳しかったですよ。丸坊主にして、番号で呼ばれて、行進したり。成人式は塀の中で『俺は何をやってるんだろう?』って。一番きつかったのは、食べたいのに食べれなかったことです。少年刑務所の中は食事の量も全然足りなかったですし。
 でも、その4年間で反省して、精神論で鍛えられたと思います。あの時の生活が全部今に生きてるな、って、自分で正当化してます(笑)。いつも『あの生活に比べたら』っていうのがあるし、役立ってるって思いたいし、今も格闘技やってると、あの経験は活きてるな、って思う部分はあるんですよ」

 刑期を終えて出所した時、KOUMAは24歳になっていた。
「特にやりたいこともなくて、プラプラしてました」
 その2年後、KOUMAは人生を変える大きな出会いを果たす。






ステゴロじゃ負けねえだろ、って思ってたのが全然かなわない。『なんだムエタイって!?』と。地下格闘技のオファーは断りました。一緒にされたくなかったんで。



 26歳の時、総合格闘技をやっている友人に誘われてウィラサクレックフェアテックスジム荒川に遊びに来たところ、成り行きで入門することになってしまう。
「友達に『遊びに来れば』って言われて、見学に来たんですよ。そうしたら『また来なよ』って言われて、次に行ったらアマチュア大会の出場者に自分の名前が書かれていたんです。『あれ?』って言ったら、タイ人の先生に『大丈夫、勝てるから』って訳の分からないことを言われて(笑)。『じゃあやるしかないじゃん』って入門しました」

 それまで、KOUMAは格闘技にまったく興味がなかった。周囲が格闘技ブームに夢中になっていても、冷めた目で見ていたという。
「格闘技のカの字も知らなかったです。みんな、K-1とかDynamite!とかHERO’Sとか流行ってたっていうけど興味がなくて。ここに来るまで総合とK-1の違いもわからなかった(笑)。素人中の素人だったんです」

 少年刑務所の中でも格闘技は人気だったが、KOUMAは一切見なかった。
「みんなテレビで格闘技を見て『山本KIDがうんたら』とかよく喋ってましたけど、どうでもいいな、と思って自分は本を読んでました。全然興味なくて。
 悪いことやってるヤツにありがちなんですけど『自分たちの方が強い』って思ってましたから(笑)。真面目に格闘技をやってるヤツらよりも『オレらの方が強い』っていう、子供っぽい意識があったのかもしれないですね」

 だが、ウィラサクレックフェアテックスジムに入門し、ムエタイを体験して、KOUMAは現実を知る。
「やってみたら、普通の子がめちゃくちゃ強かった(苦笑)。普通に『ゲームセンターにいたらカツアゲされんじゃないか』って感じの子にボコボコにされました」

 ごく普通の子にまったく歯が立たず、その屈辱感が逆にKOUMAの闘志に火をつけた。
「格闘技って面白いな、と思ったんすよね。それまでは『ステゴロじゃ負けねえだろ』って思ってたのが、やってる子はめちゃくちゃ強い。『なんだこのムエタイっていうのは!?』って思って、面白くなってきて、タイ人の先生たちに色々と教わるようになったんです」

 元々、身体能力が高く、体も頑丈。タイ人トレーナーに鍛えられて、KOUMAはアマチュア大会で連戦連勝を飾る。
 その頃、人気のあった地下格闘技大会からもオファーを受けたが、KOUMAはきっぱりと断った。
「ちょうど地下格闘技が流行ってた頃で『出ないか?』って誘われましたよ。自分の周りには地下格闘技で活躍してる子もいたんですけど『そこは違うな』と思って、一切、見にもいかなかったです。
 自分なんかタトゥー入ってるんで『格闘技をやってる』と言うと『アウトサイダーですか?』なんて訳の分からないことを言われて(苦笑)。それもすごい嫌でしたね。
 人気があるみたいですけどアマチュアだし、プロとは全然レベルが違うんで。一緒にされたくないんですよ。プロでやってる選手はみんなそういう思いはあると思いますよ」

 アマ大会の実績をひっさげて、2013年1月、28歳でプロデビュー。これまでプロで15戦して13勝しているKOUMAには「今でも思い出す」忘れられない試合がある。
「アマチュアでほとんど負けがなくて、プロでもデビュー戦から6連勝したんですよ。で、7戦目にめちゃめちゃ戦績の悪い相手と組まれたんですよ。自分なんか無敗なのに、相手は6敗とかしてて『なんでこれと試合を組むの? 練習しなくても勝てるでしょ』って思いがあって。全然練習しないで、体重だけ落として、試合まで当時付き合ってた彼女とイチャイチャイチャイチャしてました(笑)」

 KOUMAは「スパーリングぐらいの感覚」。だが対戦相手はKOUMAの6戦全勝、うち6戦目はタイ人選手をヒジで切っての流血TKO勝利という戦績と好戦的なスタイルを恐れ、十分に研究して試合に臨んできた。
 その結果、KOUMAは判定負け。しかも、アゴの骨を折られるという屈辱的な敗北を喫した。

「自分が突っ込んだところに相手の前蹴りがモロにアゴに入って、全身に電撃みたいのが走ったんです(苦笑)。『やべえ、これ歯が折れたな』って思って、それが2ラウンド目で。3ラウンドやって判定負けして、控え室に戻って歯を触ってみたらアゴごと動くんですよ(苦笑)。
 相手の選手が控え室に挨拶に来て『恐かったです』って言ってました。きっと死ぬ気で練習したんでしょうね。周りには『ドクターに見せた方がいい』と言われたんですけど、負けたショックもあって『大丈夫、大丈夫』って勝手に彼女と帰っちゃいました。
 で、次の日に歯医者に行ったら『アゴが折れてる』って、そのままお茶の水の医科歯科大に緊急入院して手術しました。骨が2か所折れてずれちゃったんで、今でもアゴにチタンプレートが入ってます」

 プロ初黒星を喫し、勝負の厳しさを知り、KOUMAは気持ちを入れ替えた。
「周りには『負けた方がいい。負けを覚えないと強くならないから』って言われてましたけど、自分は『弱いから負けるんだろ』ぐらいの思いだったんですよ。でもそこで負けて、アゴを粉砕されて『やめようかな』とも考えたんですけど。やっぱちょっとテングになってたんで練習内容を変えて、試合までの調整も全然変えたし。ターニングポイントになりましたね。
 結構、今でもあの試合のことは思い出しますよ」






KING強介君となら熱い殴り合いができる
最終的な目標はムエタイの世界ベルト。自分なりのサクセスストーリーを作っていきたい。



 来たる4月27日(金)、東京・後楽園ホールで開催される「REBELS.55」では、REBELS-MUAYTHAIスーパーバンタム級王座の初防衛戦に臨む。対戦相手は、ハードパンチャーで鳴らすKING強介。
「強介君は同い年で、同じ身長で、まあ体重も同じ、タイプも同じじゃないですか。西のKOUMA、みたいに思ってて(笑)。前回のREBELS.54は会場で見てて『面白い選手がいるな、ちょっとやりたいな』って思ってたんですけど、その時は別の選手とやるオファーがあったんであまり意識しないで『いつかやるんじゃないか』と思ってました。
 そうしたらすぐ組まれて(笑)。やっぱいいっスよね。
 前の試合(17年11月、M-ONE)では浜本キャット(雄大)君とやって判定負けしたんですけど、全然かみ合わなくて(苦笑)。正直、自分のパンチがバンバン入って、キャット君の顔もボコボコだったんですけどムエタイのポイント的なもので負けちゃったんで。それもキャット君のテクニックなんですけど、その場でソロバンを叩きながらサラリーマン的な試合されてちゃったな、って(苦笑)。
 強介君は大阪から出てきて『のし上がってやろう』っていう気持ちが前の試合でも伝わってきたし『倒れたら負け』で来ると思うんで、自分もそれに応えるような、変な駆け引きなしの熱い試合をしますよ。『今、ポイントを取ってるから足を使って下がろう』なんていうのはないと思うし(笑)、強介君とならお客さんを喜ばせる試合が出来ると思うんで」

 KOUMAは今、バイクショップの店長をしながら、朝・晩とハードトレーニングに明け暮れている。睡眠時間は4時間ほど。それでも「充実している」と笑顔を見せる。
「自分は練習する時はいつも一人です。ここはプロも僕一人なんで、朝はタイ人の先生とここで練習して、仕事をして、終わったら夜中に墓地の横にいい坂があるんで、一人でダッシュして追い込んでます。
 クロスポイント吉祥寺とか三ノ輪(ウィラサクレックフェアテックスジム本部)は『みんな仲良く』でやってますけど、リングの中は一人じゃないですか。(試合中に)セコンドが『相手、ボディが空いてるよ』なんて言ってもシカトです(笑)。先生には悪いですけど、現場で血を流してるのは自分なんで。応援に来てくれるお客さんも見えてなくて、自分は相手だけを見てるんで。
 自分は自分を信じてるんで。
 練習とかスパーリングはちゃんとムエタイの動きもするんですけど(笑)、試合になるとリングに放たれた獣みたいに本能で戦うんで。軍鶏(シャモ)とか闘犬ですよ。犬も人間の言葉なんて分からないんで。
 最近よく、会見で『ぶっ倒してどう』とか言う選手が多いじゃないですか。ガンガン行くっぽく言ってて、試合になると行かなかったり、なんかダイコン感あるんスよ(笑)。自分は論より証拠で、全部試合で見せるんで。
 自分にとっては今の環境も合ってるんでしょうね。選んだ環境じゃないから逆にいいのかもしれないです。自分の人生をそのまま導いてくれた感じのジムなんで」

 KOUMAは現在33歳。「終わり」を見据えながら、より大きな夢を描いている。
「やれるのはあと2、3年だと思うんですけど、最終的にはムエタイの世界ベルトに挑戦したい、っていうのはありますね。ウチのジムでは『WPMF』のベルトは特別なんで、WPMFの世界ベルト。もちろんラジャ、ルンピニーもやれるなら挑戦してみたいですよ。自分はトップレベルにどこまで通用するのか、っていう。これまでタイ人と2回やって、2回ともKO出来たんで『噛み合えばパンチが入るな』っていうのは分かったんで。
 ムエタイの世界ベルトを意識しながら、自分なりにサクセスストーリーを作っていきたいですね。やるからには上に上がりたいんで、今年は有名な選手ともやってみたい。
 今、KING強介君の試合に向けてめちゃめちゃ追い込んでますよ。仕事して、練習して、すごく楽しいし、ムエタイと出会って本当によかったです。充実してます」

プロフィール
KOUMA(こうま)
所  属:ウィラサクレックフェアテックス荒川ジム
生年月日:1984年12月17日(33歳)
出  身:東京都荒川区
身  長:163cm 体 重:55kg(試合時)
戦  績:15戦13勝(7KO)2敗、ラウェイ1戦1分
タイトル: REBELS-MUAYTHAIスーパーバンタム級王者、前WPMF日本スーパーバンタム王者

^