スアレック・ルークカムイ選手 インタビュー公開!

インタビュー

公開日:2017/8/21

2017年9月6日(水)に後楽園ホールで行われます「REBELS.52」にて梅野源治選手と対戦いたします、「超攻撃型ムエタイ」スアレック・ルークカムイ選手&友里夫人のインタビューを公開させていただきます。

「こんなチャンスはないです。梅野に勝ち、有名になりたい」

聞き手・撮影 茂田浩司


 9月6日(水)、東京・後楽園ホールで開催される「REBELS.52」で梅野源治と対戦する「超攻撃型ムエタイ」スアレック・ルークカムイ(スタージス新宿ジム/元ラジャダムナンスタジアム・フェザー級7位)。
 2011年~12年、ムエロークを主戦場に在日タイ人4選手によるワンデートーナメント「ムエローク杯59kg級ムエマラソンJapan2011」優勝、カノンスック・ウィラサクレックに2戦2勝してM-1ライト級王座を獲得するなど活躍。タイに戻り、バンコクの禅道会・心技(しんぎ)道場でトレーナーを務めた後、15年11月に再来日。スタージス新宿ジムでトレーナーをしながら、REBELSに参戦。雷電HIROAKIや前口太尊に勝利し、現在はREBELS-MUAYTHAIスーパーライト級王座決定トーナメントに参戦中。6月11日のREBELS.51では同トーナメント1回戦でピラオ・サンタナ(ブラジル)に鮮やかなカウンターを決めて1RKO勝利。ベルトに最も近い存在であることを示した。
 そのスアレック、かねてから「日本のキックボクシングで有名になりたい」と発言していた。その真意は何か。日本語の堪能なスアレックだが、もっと突っ込んだ話が聞いてみたいと思い、友里(ゆり)夫人に同席していただくことに。夫婦揃っての取材は今回が初めてだという。
 「超攻撃型ムエタイ」スアレックの意外なプロフィールと「有名になりたい」との思いとは。




<バンコクで知り合って結婚。今春から東京で同居>

 大阪で英語の教員をしていた友里さん。文部科学省の海外派遣でタイに渡り、バンコクの日本人学校で英語を教えていた。
 スポーツが好きで「タイのスポーツをしてみたい」と思っていたところに、禅道会心技道場のムエタイクラスに通う同僚に誘われて、体験に行き、トレーナーをしていたロンさん(スアレック)に出会った。
 友里さん「ロンさんは人をちゃんと見ていて、ダイエット目的の人、選手とまでいかなくても『強くしてあげよう』とする人、と区別して教えてあげてて、凄いなって。会って1か月ぐらいで交際を始めました」
 スアレック「(夫人は)優しいです。結婚してからも全然変わらなくて、出会ってから一度も喧嘩をしたことがないです。僕はちょっと短気ですぐ怒るけど(笑)、彼女は大人だから」
 友里さん「職業柄、いろんな生徒を見てきているので、許してしまうというか(笑)。働いているうちにそうなりましたね(笑)」
 スアレックは15年11月に再来日。夫人は16年3月までタイで教え、帰国後は勤務先の大阪に戻った。
 友里さん「学校には、タイに2年間行かせていただいて、帰国してすぐ『辞めます』とは言えなくて。私が月1で東京に来る生活を今年3月まで続けて、退職して東京に来ました。ロンさんが大阪に来る、という話もあったんですけど、見てたら『これは来そうもないな』と思って(笑)」
 スアレック「大阪は友達もいないし、山ばかりでしょう(笑)」
 友里さん「私は岸和田なんですけど、山を一つ越えると和歌山県なんです(笑)」
 スアレック「東京には友達がいっぱいいます。サポートしてくれる人も東京にたくさんいますから」
 友里さん「しょうがないなあ、と私が東京に来ました(笑)。ロンさんが将来、ジムを開くにしても東京にいた方がいいし。私は教員免許を持っているので、仕事は東京でも出来ますから。講師登録をしたらお話がきて、今、都内の高校で英語の講師をしています」
 友里さんのタイ語力は「日常会話には困らないぐらいですけど、ロンさんの通訳は出来ます(笑)」とのことで、友里さんに協力いただきながら聞き出した「超攻撃型ムエタイ」スアレック・ルークカムイの知られざる経歴と、梅野源治戦の戦略などを紹介しよう。


<八百長の誘いを断り、ムエタイを引退。不完全燃焼のスアレックが日本でキックボクシングに出会い「ここで有名になりたい」>

 スアレックは異色のムエタイ戦士だった。
 通常、ムエタイ戦士の多くは田舎のジムでムエタイを始め、大手のジムに才能を見込まれて、スカウトされてバンコクへ、という道を辿る。だがスアレックのムエタイ人生は「家出」から始まった。
「実家はウボンラチャタニー県で畜産や農業をしています。お父さんは土地をたくさん持っていて、僕は6人兄弟の5番目。他の兄弟は真面目にお父さんの仕事を手伝っていますよ。でも、僕は『中学を出て、21、22歳で出家して、結婚して、仕事して』という決められた人生が嫌だった。ムエタイは12歳から始めて、もっと自由にやりたい、と思って、16歳の時に家出して知り合いのいるシットヨートンジム(パタヤ)に入りました」
 最高位のラジャダムナンスタジアムフェザー級7位になったのは「18歳か19歳」。その後、BBTV(テレビマッチ)に出場するようになって顔が売れて、田舎の父親から大目玉を喰らうこともあったという。
 やがて、スアレックは深刻な問題に直面するようになる。戦うことが好きなのに、純粋に戦えなくなったのだ。
「計量が終わって『お粥、何も入れないで』と言ったのに、食べたら変な味がする。でもお腹が空いてて食べてしまったら、その後はずっとトイレ(苦笑)。変な薬を入れられたのだと思う。その時は一杯練習していたのに、3Rになったらスタミナが全然無くなってしまって負けた。あと『お金をあげるから、わざと試合に負けないか?』と一杯言われました。それが嫌で『じゃあ辞めます』と言って23歳で引退したんです」

 24歳の時に初来日。トレーナーをしながら試合に出場した。2011年、田中秀和とヤスユキに負けたが、12年のカノンスック・ウィラサクレック戦は2戦2勝。
「相手が日本人だと舐めてて、ほとんど練習していなかったです。カノンスックの時は一杯走りました(笑)。やっぱり『先生、弱いね』と言われたくないから、勝って、強いところを見せたい」
 2015年11月に再来日。16年5月、J-NTWORKでの翔・センチャイジム戦では相手の顔面をヒジで大流血させて3RTKO勝利を収めた。
「久しぶりの試合で、最初にヒジで切られて『あららら』って(笑)。でも切り返して勝ちました。私は『チャイスー』(タイ語で強い心)があるから、ヒジで切られようが全然問題ないです」
 スアレックは「ムエタイと、日本のキックボクシングはまったく違うもの」という。
「タイはみんな賭けをしてる。日本のキックボクシングはみんな試合を楽しみに来てる。だから、日本ではみんなが楽しいと思う試合を見せたい」
 そのために、毎朝のランニングと、ジム始業前の1時間のウェイトトレーニングを欠かさない。「スタミナと、パンチのパワー」が「日本人が喜ぶ試合をする秘訣」だと考えているからだ。
 現在のスアレックの最大のモチベーションは「ジムのみんなの応援に応えること」だという。
「スタージス新宿ジムのみんなが応援してくれて、自分がやりたいことをやらせて貰ってます。練習でもジムのみんなが協力してくれて、僕の蹴りが重たいので体の大きな人がミットを持ってくれたり、みんなでスパーリングの相手をしてくれたり。僕もタイ料理が上手いので『練習に来たら、食べさせてあげるよ』と誘ったり(笑)。ジムでは先生だから、先生が弱いと格好悪いし、情けない。ジムの生徒や会員さんには『先生は強い』と思ってほしいし、僕も日本で活躍して有名になりたい。それに、僕が活躍すれば『スタージス新宿ジム』ももっと有名になるでしょう? 勝って、ジムのみんなを喜ばせたい」  そのために「大きなイベントにも出てみたい」と思っていた。そこへ、今回REBELSから「梅野源治戦」のオファーが舞い込む。


<梅野に勝てば有名になれる。こんなチャンスはない>

「この試合、僕は負けたら普通、勝ったら有名(笑)。逆に、梅野は勝ったら普通、負けたら大変なことになるよ(笑)。そう考えたら、僕にとってチャンスだし、試合がとても楽しみ(笑)」
 「梅野に勝った超攻撃型ムエタイ」となれば、本当にK-1やKNOCKOUTからオファーが来るかもしれない。そういうと、スアレックは目を輝かせた。
 友里さん曰く「ロンさん、よくK-1をAbemaTVで見ながら『いいな~、いいな~』って言っているんですよ」。
 とはいえ、梅野が大変な相手であることはスアレック自身もよく分かっていて、すでに戦うための準備を始めている。
 ちょうどジムがお盆休みに入ることもあり、スアレックは帰国して8月13日~31日の約2週間、タイで合宿を敢行。しっかりと自分の練習に専念する。
「梅野、めっちゃ練習しているから(苦笑)。僕もどれぐらい出来るか、タイでしっかりと練習してやってみたいです。
 梅野の攻撃で警戒しているのはヒジです。緊張するから試合の映像はまだ見てないけど(笑)、タテヒジとか上手いな、という印象があります。だから最初は少し様子を見て、2、3ラウンドからはいつもの僕のペースで攻めていきます。
 梅野のパンチはそんなに重くない。僕の方がパワーはあるね。あと、梅野はパンチが大きい。僕はショートで打てるのでパンチは僕の方が先に当たります。
 ショートのパンチは、タイにいた時によくテーパリット(亀田大毅や名城信男に勝利)とボクシングのスパーリングをして覚えました。あと、ジムのフランス人トレーナーに教わったり。ボクシングの試合を見るのも大好きで、パッキャオの打ち方を見て勉強したりもしています」
 タイではMMAの試合も経験。将来的にはMMAで戦うこともしてみたいという。根っからの格闘技好きなのだ。

 友里さん「タイに土地も買ってあって、50歳とかでリタイアしたらタイに帰ろう、って話してます。今のうちに苗を植えておいて、世話はロンさんの兄弟がやってくれるそうなので」
 スアレック「タイだとゆっくり出来ます(笑)。でも、まだまだ日本にいますよ。今はキックが面白いから。知り合いに『ロンさん、ONE FCなら行けるよ』と言われたこともありますけど『先にキックをやります』と言いました。僕、頑固だから(笑)」
 友里さん「MMAはもっと年を取ったらやる、と言ってますね。寝技ありだと休憩できるから、って(笑)」
 スアレック「MMAのグローブはとても小さいから、僕が思い切って殴ったらみんな一発で倒れちゃう(笑)」

――怪我をするから、そろそろやめてほしいな、とは思いませんか?
友里さん「心配ですけど、強いのも知ってますし、言っても頑固だから(笑)。大きな怪我をして、もし後遺症が残ってしまっても一緒にいるからいいか、と思ってます。私も経済力がないわけではないので、好きなだけやって貰ったらいいと思います」
スアレック「ありがとうございます(笑)」
友里さん「心配なのはお酒だけね(笑)」
――毎日飲むんですか?
スアレック「試合がないと毎日飲んでます(笑)。でも、いつもは試合の2週間前から飲まないですけど、今回は1か月前から飲んでいませんよ。梅野はアゴが弱いから、僕のパンチかヒジで倒して有名になりたいです。もっと大きな会場でも試合がしてみたい」


 ちなみに、スアレックがしきりに「有名になりたい」というのは、理由がある。かつて、彼のプライドが酷く傷つけられることがあり「有名になって、見返したい」という思いがあるのだという。
 圧倒的な攻撃力でチャンピオンクラスを倒してきたスアレックだが、とてもクレバーで、観察力があり、相手の分析に長けた人、という印象を受けた。
 「超攻撃型ムエタイ」スアレックは「日本の至宝」梅野源治をどう攻略しようというのか。一瞬たりとも目が離せない、スリリングな戦いになることは間違いない。

○プロフィール
スアレック・ルークカムイ
所  属:スタージス新宿ジム
生年月日:1986年5月16日生まれ
出  身:タイ
身  長:166cm


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