6.6 REBELS.56 インタビュー
インタビュー
公開日:2018/6/1 3
聞き手・撮影 茂田浩司ラーメン店社員→溶接工→キック引退→ラーメン店店長
曲がりくねったデコボコ道を歩いてきた男、JIRO。
「現在の夢みたいな環境に感謝して、
生え抜きとしてREBELSを盛り上げる選手になりたい」
6月6日(水)、「REBELS.56」(後楽園ホール)でREBELS-MUAYTHAIスーパーフライ級(52.163㎏)の新王者が誕生する。
次代のキック界を担うエース候補4選手が結集し、2月大会から開幕した王座決定リーグ戦も第2戦まで終わり、2連勝した老沼隆斗(STRUGGLE)とJIRO(創心會)が最終戦で激突。勝者が第3代REBELS-MUAYTHAIスーパーフライ級チャンピオンのベルトを巻く。
老沼がキラリと光る天賦の才を見せつけて勝ってきたのとは対照的に、JIROは相手の長所を潰し、じりじりと自分のペースに引きずり込む老獪で「クセ者」らしい戦いぶりで勝ってきた。
「老沼選手に勝ってるのは、人生経験と知り合いの多さ」
というJIROが、自らの曲がりくねったデコボコ道人生と「どうしてもREBELSのベルトを巻きたい」強い思いを語った。
プロになる道が分からずに迷走。
一度はキックを辞めてしまったことも。
JIROが空手を始めたのは7歳。格闘技を見るのが大好きな父親の勧めだった。
「親父は厳しい時は厳しくて、ダメと言ったらガンとして曲げなかったんですけど、結構過干渉で、いろんなことを教えてくれました。3つ上の兄と、2つ下の妹の三人兄妹ですけど、僕が一番『お父さん子』だったんです。僕は小さい頃から体が小さくて、ひ弱だったので『何か格闘技をやらせたい』と思ってたらしくて、創心會の会長が中学の1コ下の後輩だったんで『やってみないか』と。
僕は何にでも興味を示すんですけど、空手の組手を見て『やりたい』と思って、空手を始めたんです。
小さい頃から結構強くて、相手の攻撃を貰わないで戦うのが上手かったです。中学生になると『大人とやりてえ』と思って、地元の湘南ジムにスパーリングしに通いました。今思えば、子供だから手加減してくれてたんだと思いますけど、大人とバチバチやりあっても全然負けなかったです」
高校生になる頃には「プロになりたい」という気持ちがかたまっていたが、当時は「格闘技冬の時代」。地上波中継が無くなり、格闘技界全体に熱のない頃だった。
「『どうすればプロになれるのか』が分からないし、ジュニアの頃は毎週あった大会も高校生になると出られる大会が減っちゃって、試合数が激減したんです。周りのプロを見ても働きながらやってて『いつ練習してるんだろう?』って。その辺から迷走しました(苦笑)」
高校を卒業し、JIROが選んだのはラーメン店への就職だった。
「オーナーに『キックボクシングの練習は行けるようにする』と言われて、自分では『二十歳までにプロになろう』と思ってたんですけど、働き始めるとなかなか練習に行けなくて。1年働いた後、会長に『プロになるなら俺のところで働きながら練習しろ』と言って貰って、溶接工になりました。でも、練習でも仕事でも会長と一緒の生活はなかなか厳しかったです(苦笑)。で、自分もだらしないところがあって、二十歳の誕生日に粗相(そそう)をしてしまいまして……」
JIROはアマチュアREBELS「BLOW-CUP」を勝ち上がり、55kgトーナメントで優勝(決勝戦の相手は、現在プロで活躍するクロスポイント大泉の三浦翔)。
「決勝戦はプロルールでやって、勝ったんで『俺はプロになれるんだ!』と嬉しかったし、その時が19歳で『ギリギリ間に合った!』と思って。だけど、二十歳の誕生日に酔っぱらって、次の日も仕事なのに昼過ぎまで寝ちゃって(苦笑)。連絡も出来なかったんで、無断欠勤に怒った会長に『プロには行かせない』と言われて、それでくじけて『仕事もキックも辞めます』って、辞めてしまったんです」
JIROはかつて働いていたラーメン店に戻った。
「オーナーに『人がいなくて困ってる』と言われて、つなぎとしてアルバイトで入ったんですけど『店長になったらこれだけ給料をあげる』と言われて、店長になりました(苦笑)」
そのままラーメン道を突っ走る人生になるかと思いきや、運命のいたずらがJIROを「キック道」に引き戻す。
「たまたま、その店の横に『横浜総合格闘』というジムがあって、行ってみたらトレーナーのナルンチョンがいたんです。練習してたら、ナルンチョンに『なんでプロにならないの? プロになれば?』って言って貰って『やっぱりキックをやりたい』と思って。
それで、会長に『またやりたくなっちゃって』と言いにいったら『全然いいよ』と。怒られると思ったんですけど、喜んでくれたんでキックに復帰したんです」
その後、アマチュア大会に優勝し、2017年4月の「REBELS.50」でプロデビュー。結果はドローに終わった。
「親父は亡くなる3年前に脳梗塞で倒れて、デビュー戦だけは会場で見て貰ったんです。でも、デビュー戦はドローで、その後に亡くなってしまったんで、僕が勝ったところを見せられなかった。そのことは、今でも自分の中に引っ掛かってます」
クロスポイント吉祥寺での練習ですべてが変わった。
生え抜きとしてREBELSを盛り上げる
プロになってからも、順風満帆とはいかず、4戦目で大失態をおかしてしまう。
REBELS.51、52と連勝して迎えた昨年11月のREBELS.53。フライ級(50.8kg)契約だったが、前日計量で1.7キロもの大幅オーバーで失格となった。
かねてからJIROの才能を高く評価する一方で、大幅な体重超過を重く見た山口代表は、JIROから事情を聞き「生活と練習環境に問題がありすぎる」として改善策を講じる。
JIROをクロスポイント吉祥寺のインストラクターとして迎え入れると共に、クロスポイントのプロ練に参加させた。
クロスポイントの選手たちは、JIROの食生活や減量方法を聞いて呆れかえったという。
小笠原瑛作「計量の1週間前にメンチカツを6個食べたり、漫画喫茶のコーンポタージュが美味しくてたくさん飲んじゃった、とか、JIROはめちゃくちゃで(苦笑)。みんなに怒られたり、パン君(潘隆成)に注意されてました。JIROはキャラが面白いし(笑)、練習を楽しそうにやるんでそれはいいと思いますけど」
JIROは、クロスポイントの選手たちと接して、自分の減量方法の間違いに気づいたという。
「ずっと走って落としてたんです。いつもは1週間前から、朝と夜で20キロぐらい走って落としてました。でもオーバーした時は、走っても走っても全然落ちなくて、水分も摂らないんで全然汗もかかなくて落ちないんです。周りには『もうちょい水を飲んだ方がいい』と言われてたんですけど、体重計に乗って全然減っていないと嫌な気持ちになるので。
クロスポイントに来てから、潘さんとか周りの人に減量の仕方を逐一聞くようにしました。通常体重もそれまで62、63キロあったんですけど、今は試合に向けてしっかりとした練習に入る時は58キロをキープしています。潘さんを見習って、昼と夜食の二食分の弁当を作ってジムに持って来るようにしてて、食事面を変えたのは大きいです」
練習内容も一変した。
「昨年1月から東京に出てきて、他のジムで指導しながら練習してたんですけど、練習はほぼ一人で、1時間サンドバッグを蹴ったりとかで(苦笑)。
クロスポイントに来て、まず一般会員さんもヒジ、ヒザが出来ることに驚きました(笑)。プロ練に参加して『これがちゃんとしたプロ練なのか』って。密度が全然違って、1回1回の練習が濃いし、スパーでは不可思さんとかにボコボコにされてますけど、充実してます。『ちょっと打たれたな、ダメージが溜まりそうだな』と思ったら次の日はスパーを休んでダメージを抜いたりしながら(笑)。こんな有名な人たちと練習できるなんて、夢にも思ってなかったんで」
今年2月から始まったREBELS-MUAYTHAIスーパーフライ級リーグ戦では、ここまで2連勝しながらもまだ納得いく試合は出来ていないという。
「クロスポイントで練習するようになって、もっと強くなってると思ってたんですけど(苦笑)。試合になると縮こまってしまって、ガチガチで何となく動けないんです。今いち、一皮剥け切れてないです。
僕はアマチュアの時から『相手の攻撃を貰わないで、自分だけ当てる』をずっとやってきて、プロになってもついついポイントゲームをしちゃうんです。『どうやって倒す』とか考えてないんですよ。こう来たらこう蹴る、組んできたら組み負けないで倒す、とか単純な動作しかできないんです。試合運びは、自分が勝てるように上手く持っていけるんですけど、今まで『どう倒す』まで考えたことがなかったんで、それが今の課題かな、と」
JIROの武器は「分析力」。対戦相手は注意深く観察し、わずかな変化も見逃さない。
対戦相手の老沼隆斗もすでに分析済みだ。
「老沼選手は速いし、手数が多いし、結構ヒット&アウェイでやりにくそうです。あと、スタイルが変わりましたね。最初に試合を見た時と全然違うな、と思って。空手っぽさがちょっと抜けつつあって、リズムの取り方がムエタイスタイルっぽくなってますよね。
試合は、今回こそスカッと勝ちたいです(笑)。よくミットを持ってくれるジャルンチャイは『パンチもいいし、左ミドルもいいし、組んでヒザでも負けないよ』って言ってくれてます。
自分よりも年下には負けたくない、って思います。老沼選手は19歳、僕が19歳の時はアマチュアのBLOW-CUPに優勝したぐらいなんで、きっちりと『差』は見せて勝ちたいですね」
JIROは「自分はREBELSで育てられた」という自覚がある。
「目標はREBELSをもっともっと有名にすることです。僕がチャンピオンになって、いろんな選手と試合して『REBELSの選手は強いね』って言われるように。
ずっとREBELSで育てて貰ったのに、少し有名になると離れていっちゃう選手も多いじゃないですか。僕は上手く盛り上げていけたらいいな、って思ってます。僕はREBELSでデビューして、REBELSで育てられた『生え抜き』ですからね(笑)」