REBELS.57(8月3日(金)後楽園ホール)ハチマキインタビュー

インタビュー

公開日:2018/7/3

聞き手・撮影 茂田浩司

1年8か月ぶりの復活!!
オタクキックボクサー、ハチマキ(PHOENIX)インタビュー

 あの人気者がとうとうREBELSに帰ってくる。
 無尽蔵のスタミナを武器にREBELSで2階級制覇を達成する一方で、日菜太、町田光と結成した「IKG(イケてない格闘家グループ)」では朴訥とした人柄と、熱く「Kalafina(カラフィナ)愛」を語る姿が人気を博した「オタクキックボクサー」ハチマキ(PHOENIX)。
 2016年11月30日「REBELS.47」での不可思戦を最後に、長くリングから遠ざかっていたが、REBELS.57(8月3日、後楽園ホール)でいよいよ復活を果たす。
 実に1年8か月もの間、ハチマキはどこで何をし、どんなことを思っていたのか。復帰戦を前にした現在の胸中に迫った。






格闘技オタク→「就活しない言い訳」でプロキックボクサー→2階級制覇達成→長期欠場



  「ハチマキ」は異色の経歴を持つキックボクサーだ。
 子供の頃は運動嫌いのオタク。好きなものはゲーム、アニソン、そして格闘技だった。
「格闘技オタクで『カッコいいな、自分もやってみたい』と思って、最初はボクシングジムに通ったんです。高校生の頃、東十条のドリームジムに毎日通ってました。でも『俺はプロは無理だから、トレーナーになるか、ボクシングマガジンのライターになるか』って、そっちの方面で考えてました(笑)」
 親との約束で、高3でジムを辞めて、大学の受験勉強に専念。法政大学法学部政治学科に入学すると、また「格闘技オタク」の虫がうずき出す。
「大学に入ってからもドリームジムにちょっと行ったんですけど、面倒くさくなって行かなくなっちゃって。1年ぐらい何もしてなかったんですけど、ちょうどその頃にK-1、PRIDEの『格闘技ブーム』が起こったんです。テレビで見ているうちに『やってみたい!』って思うようになって」

 当時、ハチマキは深刻な問題を抱えていた。人と接することが大の苦手だったのだ。
「アルバイトをしても職場の人間関係が苦痛なんです。で『これは絶対に就職なんてできない』と。格闘技では食べていけないことも分かってたんですけど、とりあえず『プロ』の肩書きがあれば、就活しなくても親への言い訳になるな、と思って(笑)。それでキックボクシングを始めました」

 大学2年の時、PHOENIXに入門。その1年後に「あの男」が入ってくる。
「写真で見たことがあるかもしれないですけど、ロン毛の梅ちゃん(梅野源治)が入ってきたんです(笑)。最初から凄くて、僕の同期みたいなアマチュアの選手たちが、入ったばかりの梅ちゃんにやられちゃうんです。それを見て『最初は舐められないようにしないと』と思って、僕はスパーでローキックを蹴りまくったんですよ。でも、僕の記憶する限り、梅ちゃんをスパーでやっつけたのはそれが最初で最後だと思います(笑)。梅ちゃんは運動センスがあるし、気が強いし『高校では喧嘩をしてきた』というだけあってそういうキャリアもあるし(笑)。プロデビューしたのも、試合が決まってた選手がいなくなってしまって『誰かを代わりに試合に出さないと』ってなった時、まだアマチュアでも1戦しかしてない梅ちゃんが出ることになって、それで勝ってしまったんです(笑)」

 梅野があっという間にキック界で名前を上げていくのを横目に、ハチマキはコツコツと練習を続けた。
 2007年12月、21歳で念願の「プロ」デビュー。その後は勝ったり負けたりしながら、少しずつキャリアを積み、2013年7月にプロ20戦目でREBELS-MUAYTHAIライト級王座決定戦に勝利して初代王者に。
 その後も、勝ったり負けたりしながら、2015年1月、水落洋佑に勝利し、REBELS-MUAYTHAIスーパーライト級王座獲得。2階級制覇を達成した。
 しかし、2016年11月、3度目のタイトル防衛戦で不可思に5RKO負けを喫し、REBELS-MUAYTHAIスーパーライト級王座を失うと、ハチマキはリングから姿を消した。






キックボクサー引退も覚悟し、就活セミナーへ。
そこで大失敗。「俺、働くの無理……」



 ハチマキにとって、2017年は最悪の1年だった。体調不良のために練習も満足に出来ず、試合から遠ざかった。
 体調が上向くことを期待して、練習を一切止めてみた時期もあったが体調は良くならない。出口の見えない状況で「復帰するまで頑張るか、このまま引退するか」の間で揺れ続けた。

「去年は本当にどうしようもなくて、何度もキックボクシングを辞めようと思いました。体調不良は不可思戦の前からあって、その時は練習もしちゃってたんですけど。1度、REBELS-MUAYTHAIスーパーライト級決定トーナメントで試合を組んで貰いましたけど、やはり『試合が出来る体調』まで戻らなくて欠場してしまいました」
 休養中、就職活動をしたこともあった。

「キックを辞めて、何をしようか、と考えて。これは『新しいことをやれ』という神の啓示なんじゃないか、って(笑)。
 大学生の頃は人間関係が苦手すぎて『絶対に就職できない。プロになれば親への言い訳になる』と思ってキックボクサーになりましたけど(笑)、今はパーソナルで教えることもしてますし、人と接することに苦手意識はないんです。普通にデスクワークにも興味があって、30歳ならギリギリで間に合うかもしれない、と思って。
 『遊びでも、一度就活してみたら』とアドバイスされて、リクルートに登録して、就活セミナーに足を運びました」

 ハチマキには苦い記憶があった。
 大学を卒業するタイミングで、一度、正社員としてデスクワークを経験したがそこで大失敗しているのだ。

「設計事務所を紹介されて『とりあえず3か月間アルバイトで』と言われて入社したんです。3か月経って『電気の設計をする人が定年退職するから、勉強してやってみないか?』と言われて、やってみようかな、と甘い考えで正社員になったんですけど。
 最初のうちは、勤務時間中に座って設計の本を読むのが仕事だったんですけど、本を読んでいるとついウトウトしてしまって(苦笑)。最初は教えてくれる人も笑っていたんですけど、居眠りを繰り返すうちにどんどん険悪な感じになって……。『これは無理だ』と思って、結局、正社員としては半年間いただけで辞めました」

 当時は埼玉県に住んでおり、朝走り、都内に出勤し、その後にジムワークをして埼玉に帰る生活だった。睡眠時間は4時間ほどしか取れていなかった。
「元々寝ないとダメな子なので(苦笑)。そんなこともあって、睡眠時間を取れるように都内に住むようになったんです。会社で居眠りした時は睡眠時間4時間の生活でしたし、就活セミナーの前夜はしっかりと7時間寝て、万全の体調で臨んだんです。だけど……、耐えがたい睡魔に襲われてやっぱり寝ちゃったんです(苦笑)。椅子に座っているとまぶたが重くなってきて、それで『俺、働くの無理』と思いました(苦笑)」

 PHOENIXジムのオーナーに相談すると、こんな答えが返ってきた。
「『30歳までまともな職歴もないヤツが就職できるところなんて、どうせブラック企業しかねえぞ』と言われました(苦笑)。それなら、トレーナーなら今までやってきたトレーニングの経験が活かせますし、資格も持っていれば一つの売りになるんじゃないか、と思って、勉強してNSCA―CPT(NSCA認定パーソナルトレーナー)の資格を取りました」

 ハチマキは、平日は運送会社で契約社員として働く生活を7、8年続けている。これに加えて、昨年から土日をパーソナルトレーナーとして契約したクライアントのトレーニング指導に充てている。完全休養日なしの生活だが、苦にはならない。

「気づいたら、3か月間1日も休んでなかったな、という時はレッスンをお休みさせて貰って、趣味の一人旅をしてます。ただ、日曜日のパーソナルもたとえば2人の方に1時間ずつ、とかですから。家にいて何もしないよりは体を動かした方がいいですし、教えることも好きなので」

 ハチマキはパーソナルの様子をSNSにアップしている。みるみるうちに体が変わっていくクライアントの様子が大きな反響を呼ぶなど「パーソナルトレーナーハチマキ」は順調に成果をあげているが、ハチマキは心の隅に常に「リングに上がれない自分」へのもどかしさを抱えていた。






IKGの仲間やかつて対戦した相手の試合を見て「気持ちを切らさないようにしてた」
復帰戦への思い。そしてハチマキの「夢」は?
「梶浦由記さんに入場曲を作って貰えたら、と……」



 ハチマキが欠場している間、REBELSで一緒に戦っていた仲間や対戦した選手たちは新たな舞台で活躍し始めていた。
 IKGのメンバーでは日菜太がK-1に電撃参戦を果たし、町田はKNOCKOUTに出場。REBELSのベルトを奪われた不可思、過去1勝1敗の水落洋佑と山口裕人もKNOCKOUTに参戦。ゴンナパー・ウィラサクレックはK-1、Krushでの活躍で一気に知名度を上げた。
 気づけば、ハチマキだけが「試合すら出られない」という状況に追いやられていた。

「毎試合『これで終わっても悔いのないようにやろう』と思ってやってました。プロで10年以上試合して、タイトルも獲れて、しかもREBELSで2階級制覇まで出来ました。それに、一緒に練習してた選手が難病になってプロデビューできなかったり、週1でミットを持っていたTRIBE(TOKYO MMA)の秋葉(尉頼)君がまだ21歳の若さで交通事故で亡くなってしまったり。そういうやりたくても出来なくなってしまった人のことを考えると、僕はもう十分にやったのかな、と思ったり。
 でも、まだどこかに『復帰したい、試合をやりたい』という気持ちもあって、そういう気持ちを切らさないように対戦した選手が出場する大会にチケットを買って見に行ったりもしました」

 ハチマキの中では、まだ『やり切った』という思いを持てなかった。
「自分の限界というか『こんなもんなのかな』と思うことも、努力をし続ければまだこの壁を超えられるんじゃないか、もうちょっと夢物語を信じたい、と思ったんです。
 あと『また試合を見たい』という人たちの声も励みになりました。だからこそ『どうしても、1回だけでも試合をやらないといけない』と思っていましたし」

 今年に入り、ハチマキは本格的な練習を再開した。すると、去年苦しめられた体調の波も無くなり、日に日に調子が良くなっていく。
 その矢先に、REBELSの山口代表から復帰戦のオファーが届く。対戦相手は、4年前にヒジ打ちでKO負けしている翔センチャイジムだった。

「最初に聞いた時は『マジすか!?』です。復帰戦で、以前にKO負けしている相手ですから(苦笑)。でも、この試合にちゃんと勝てば『ハチマキはブランクがあったけど戻ってきたんだな』と思って貰えると思うので。
 やっぱ練習してて、楽しいんですよね(笑)。試合に向けて、キックボクシングという競技を考えて、練習していく作業が本当に楽しいな、って思います」

 4年前の自分と違う、という自負もある。
「翔センチャイジム選手はサウスポーですけど、翔選手と試合した後、サウスポーとはかなりキャリアを積めて、当時よりはサウスポーに慣れていると思います。
 特に、ゴンナパーとの試合は印象に残ってます。あの左ミドルを2、3発貰った時点で『これはいつもと違う!このままじゃやばい!』と思ったんですけど、5R蹴られまくって『腕が壊される、ってこういうことか』と初めて分かりました(苦笑)。終盤は向こうも流し始めましたけど、僕の腕の感覚もマヒしちゃって、痛みも感じなくなってました。
 あと、渡辺理想選手とも試合しましたし。今も『サウスポーとどう戦うか』を練習してて、怖い面もあるんですけど、楽しみでもあります」

 キックボクサーが直面する困難の一つに「明確なゴールがない」ということがある。ムエタイ戦士なら二大殿堂のムエタイ王者。K-1ファイターならK-1王者。では、キックボクサー・ハチマキの考える「ゴール」とは何か。

「ゴール? ゴール……(しばし考えて)。
 ゴールって考えると、これまで試合をしてきて、ゴンナパーは強かったですし、不可思選手にもKO負けしましたけど、なすすべなく、絶対勝てない、じゃなかったんです。めちゃめちゃ強いヤツに、その試合のためにしっかり練習して臨んでも、なすすべなく跳ね返されて『これが本当の自分の限界だな』と思えたら、それが一つのゴール、一つの終わり方かな、と思います」

 ハチマキには明確な目標がある。

「目標は、自分の試合で誰かの人生を変えてやりたい、と思ってます。一人でもいいので『ハチマキさんの試合を見て、頑張ってこういうことをしました』とか、いい影響を与えたいですし、そんな試合がしたいです。
 これまでもインタビューで話していることですけど、僕は好きなアーティストのライブに行って、衝撃を受けて、それで今まで頑張ってこれました。梶浦由記さんとKalafinaに人生を変えて貰ったと思っていて。
 REBELS-MUAYTHAIスーパーライト級のタイトル防衛戦で、渡辺理想選手と試合した時は(2016年6月1日、REBELS.43)、梶浦由記さん、Kalafina、FictionJunctionのフルメンバーで後楽園ホールに応援に来ていただいたんです。その試合に勝って、祝福して貰って『この先もあれ以上のことはない』と思います(笑)。あの大会はT-98(タクヤ)さんがラジャダムナン王座に挑戦して、勝ってチャンピオンになったんですけど、僕は『ラジャ王者になるか、梶浦さんたちに見に来て貰うか』なら、迷わず見に来て貰う方を選びますし(笑)。
 だから、なおさら『梶浦由記に応援して貰った人間が、ここで終わってはいけない』と僕は勝手に思っているんです」

 その後、ハチマキは梶浦由記さんのファンクラブ会報で梶浦さんと対談もしたという。
 何気なく「ハチマキ選手が復帰することを、梶浦さんはご存じなんですか?」と聞いてみたところ、ハチマキは途端にしどろもどろになってしまった。

「いや……。それは分からないです……。あの、僕は本当にチキンなので(苦笑)。なかなか具体的な行動も起こせないですし、おそれおおくて僕から連絡することなんて出来ないですよ……。復帰戦も、会場に来て貰えるなら嬉しいですけど……。
 一つの夢としては、いつか梶浦さんに入場曲を作っていただきたい、と思っているんです。図々しいのでそこは声を小にして(笑)。もし、可能なら、と……。
 復帰戦に向けては、僕は派手な試合は出来ないですけど、今回の欠場期間に『どんなものにも終わりが来るんだな』と強く感じましたし、今まで以上に1戦1戦を大事に戦っていきます。
 ぜひ、会場で応援をよろしくお願いします」

プロフィール
ハチマキ(本名:北川和裕)
所  属:PHOENIX
生年月日:1986年6月19日生まれ、32歳
出  身:埼玉県さいたま市
身  長:175cm
戦  績:33戦16勝(2KO)13敗4分
初代REBELS-MUAYTHAIライト級王者、初代REBELS-MUAYTHAIスーパーライト級王者(防衛2回)

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