工藤“red”玲央インタビュー
インタビュー
公開日:2019/7/25
取材・撮影 茂田浩司「ファイヤー原田の魂」プラス「TEPPENイズム」!
「早くベルトを獲って『26歳でデビューしても、
チャンピオンになれるんだぞ』と胸を張りたい。
倒して勝って、ベルト獲りをアピールする」
那須川会長のコメント
「工藤は最近本当に強くなってる。やるべきことはちゃんとやる選手だから期待してるよ。ジョーは強いよ! まだ若いし動ける。相手(栗秋)はチャラチャラして嫌いなタイプなんだよ(苦笑)。ジョーならまったく問題ない」
ジョー・テッペンジム(栗秋祥梧と対戦。元ルンピニー9位)
「相手のビデオを見たよ。フックが上手いね。でも僕にフックを打ってきたら思い切りハイキックを合わせて倒すよ(笑)。まったく問題ない」
――試合勘は?
「タイでは多分、300試合はしてると思う。最後にタイで試合したのは今年1月。テッペンジムに来たのは今年3月で、4か月になるけど、スタミナは日本に来てから上がったよ(笑)。テンシン(天心)はNO.1だから、ミットを持っているだけで力が付くし、自分もかなり動くからスタミナが付いた。だからマイペンライ(笑)」
ミット購入をめぐって大喧嘩&ジムをボイコット!
ファイヤー原田会長との「熱くて濃い」師弟関係
工藤“red”玲央は、今、働きながら練習に打ち込める、格闘家として恵まれた環境で生活している。
「仕事はサラリーマンです。株式会社クラフティというOA機器&映像・音響機器のレンタル・リースの会社とアスリート契約をしていて、給料を貰いながら、月曜日から金曜日は朝9時から昼12時まで会社の総務部で働いて、午後はTEPPENGYMのプロ練やフィジカルトレーニングをしています。
前は肉屋で働いてて、包丁で腕の動脈を切ったこともあるし、それ以外にもちょこちょこ怪我してて。『今日も怪我しちゃいました』と話していたら『ウチで働きなよ』とクラフティの風間社長に言っていただいて。社長は、以前、ファイヤー高田馬場ジムの会員さんだったんですけど、格闘技のスポンサーはやったことがないんです。僕は、正直、めちゃめちゃ強くて試合も勝ちまくってる選手じゃないのに、心で動いてくれているんです。めちゃめちゃお世話になっているので、結果を出してベルトを見せたいんです」
工藤がキックを始めたのは18歳。先輩に誘われて、地元の松戸にあるキックジムに入門したが、そんなに熱心でもなければ、真面目な練習生でもなかった。
「最初に入った高校は1年で辞めてます。超ヤンキーってわけじゃなかったんですけど、タバコを吸ってるのがバレたり、いたずらが好きなんで(笑)。すごく厳しい学校で4回停学になって(苦笑)。
それで、通信に行きながら職人をやってる時、地元のキックのジムに入門したんです。正直、一番期待されてたんですけど、20歳の頃に『地下格闘技』が流行り始めたら乗ってしまって。ジムに内緒で出場してバレて怒られたこともありました(苦笑)」
転機は22歳。テレビでK-1に出場した「ファイヤー原田」を見たことだ。不器用ながらも、打ち合い上等の熱い全力ファイトを繰り広げる男の姿に、工藤は感じるものがあった。
「僕は行動が早いんで(笑)、テレビで見てすぐジム(ファイヤー高田馬場ジム)に行ったんです。最初『プロは受け付けない』といわれたんですけど『いやいや、あなたもプロじゃないですか』って。最初は週2会員からでした」
松戸時代からアマチュア大会に出ていたが、ファイヤージムに入門するとファイヤー会長から「アマチュア大会から出ろ」と命じられて、工藤は素直に従った。
「ファイヤーさんに『ジムを替わったんだから、最初から出ろ』と言われて、J-NETのBリーグから出ました。正直、早くプロでやりたかったですけど、J-NETのアマチュアの試合に15試合くらい出て、負けたこともあるんです。だから、僕はまだプロのレベルじゃなかったし、よかったと思います」
2013年12月、26歳でプロデビュー。その後、工藤は地元の松戸から高田馬場に転居した。
「ずっと職人として働いてたんですけど、ファイヤーさんに『高田馬場に来い』と言われて、職人の仕事を捨て、自分の車も捨てて、高田馬場で一人暮らししながらジムで指導員をしたり、アルバイトをしながらプロで試合する生活を始めたんです。松戸だと駐車場代5000円とかですけど(笑)、都内は駐車場代も高いし、バイト生活では無理だったんで」
2017年10月まで、工藤はファイヤー高田馬場ジムで過ごした。
ファイヤー会長との師弟関係は「熱い」ものだった。
「よく言い合いもしました。それはジムを良くしたいからなんです。たとえば、ミットがボロボロになると会員さんは僕に言ってくるんですよ。会長には言いにくいし、プロ選手は僕ひとりなんで『玲央君、ミットが臭わない? ボロボロだけど』って。
それで、僕は会長に『会員さんからそういう声も出てるんで、新しいものに替えましょう』と言ったらキレ出すんです。『新品を買うには金がかかるんだよ! 偉そうに言うな!』って。僕は、サンドバッグとかなら高額だから分かるけど、ボロボロのミットも替えられないって何のためにジムやってんだって。言い合いになって『いいよ、こんなとこにもう来ねえよ!』って本当に3日間ジムに行かなくて。電話が掛かってきてジムに行くと、ミットは新品に替わってたんですよ(笑)」
何度ぶつかっても、工藤はファイヤー会長が好きだった。
「教えるのって、自分の持ってるものしか教えられないんです。ファイヤーさんには教われるものは全部教わりました。これを言うとファイヤーさんは怒るかもしれないけど(笑)技術的なものよりも気持ちの部分ですね。
『チケットを買って見に来てくれる人を大事にしろ』ってずっと言われてて、僕は今でも試合終わると、チケットを買ってくれた人全員に試合翌日から2日間掛けて『ありがとうございました』って連絡します。そういうことがスポンサードして貰うことにつながったのかな、と思うし、正直、今の子は昔に比べたらそういうことをしないですよね。
ただ、あの人は営業が出来ないんですよ(笑)。試合になると80人ぐらい呼んでたんですけど『行くよ』『お願いします』なんです。
僕は人なつっこくて(笑)『お願いします。いい試合するんで』ってお願いして、チケットをMAXで150枚とか売りました。ファイヤーさんには『現役の時に知っておけばよかった。勉強になった。見習いたいよ』って言われました(笑)」
2017年、ファイヤー氏は会長職を辞め、ジムの名称も変わった。それを機に、工藤はTEPPENGYMに円満移籍。ただ、ファイヤー氏との関係は今も続いている。
「たまに連絡を取ってます。ファイヤーさんが志村三丁目に『ネオファイヤージム』を作る時に手伝って、オープンしてからも行ったりしています。ジムは会員さんも増えてて、調子いいみたいですよ」
TEPPEN GYMに移籍して進化。
「天心は年下だけど憧れだし、毎日刺激を受けてます。
誰が相手でも倒して勝って、ベルト獲りをアピールするだけなんで」
工藤とTEPPEN GYMの関係は古い。現在のようなジムが出来る前の、松戸の体育館を借りて練習していた頃からである。
「天心がプロデビューした頃(2014年)に『地元で格闘サークルをやってる』と聞いて『俺、地元なのに知らねえよ』ってなって。試合会場で(那須川)会長に会って『地元なんで、練習したいのでお願いできますか』って」
練習日と場所を聞き、住んでいた高田馬場から地元の松戸市へ。体育館に行くとTEAM TEPPENのメンバーがいた。
「15、16人いて、ジュニアの選手たちの中に稲石(竜弥)がいたんです(笑)。稲石とは付き合いが長くて、仲いいんですよ。
始めは子供たちも『何、この人?』って感じだけど『関係ねえ』と思って。マススパーをやったら(寺山)日葵にボコボコにされて、天心には何も出来なかったです(苦笑)。『テクニックがちげえ。何、このサークル?』って思って、それから出稽古に行くようになったんです」
TEPPENでの出稽古で学んだことを、ファイヤージムに取り入れたこともあった。
「ファイヤージムでクラスを持って指導してたんですけど、TEPPENでやったことを取り入れたらファイヤーさんが気にくわなそうな目でにらんでたんですよ(苦笑)。ずっとやってたら定着しましたけど」
TEPPEN GYMが松戸市小金原に常設のジムをオープンしたのが2016年11月。天心の活躍が全国に知れ渡るにつれて会員が急増し、2018年2月には現在の新松戸駅近くに移転し、タイ人トレーナーが常駐する充実した環境となった。
工藤は2017年10月にファイヤージムからTEPPENGYMに移籍。体育館時代、小金原時代、現在の新松戸と、TEPPEN GYMの変遷を知る一人である。
「『(小金原に)小さなジムを出す』という話は聞いてましたし、オープンの初日からいました。所属になってからは目の前のたこ焼き屋のおっちゃんと仲良くなって、みんなに広めてあげたり(笑)。
TEPPENで練習するようになって『視野』が広がりましたね。それまでは攻撃を貰っても我慢して打ち返す、昔のスタイルだったのを、ちょっとずつ貰わないようにして、自分の距離で戦えるように変えていって。まだ完成じゃないですけどね。それが出来てれば今頃はチャンピオンになってるんで(苦笑)」
TEPPEN GYMには、那須川天心を筆頭に、ベテランからジュニアまで「世界のトップ」を見据えて連日切磋琢磨している。その環境が工藤のやる気を一層刺激する。
「やっぱ毎日『いいもの』を隣で見れるんで、勉強になるんですよ。僕、TEPPENで週2回指導もしているんですけど、小さい頃からキックをやってきた高校生の動きから『こういうテクニックもあるな』と見て覚えたり。プロが僕ひとりだったファイヤージムではなかったことですね」
そして、何よりもキック界のトップランナー、那須川天心が隣にいることが工藤の意識を大きく変えた。
「そばに天心がいると、刺激になるし、勉強になるし、尊敬もしてます。年齢は違うし、年下に憧れるなんてなかったっすけど、憧れですね。ああいうスタイルになりたいわけじゃないけど『もっと強くなりたい』って思いますよ。
天心は、練習に対する姿勢も違います。たまに僕が練習にぬるくなると、すかさず天心に注意されるんですよ。『全然気持ちが入ってないから、そんなんじゃ勝てないですよ!』って」
REBELSでの過去2戦、工藤は激しい打ち合いで会場を湧かせた。特に、今年2月「パンクラス・レベルス・リング1」でのJIRO(創心會)戦は、昼の部の盛り上がりに火を付ける好勝負を展開して、存在感を発揮。だが、その代償として怪我を負い、医師からは「しばらく練習は休んだ方がいい」と告げられた。
「それで、仕事が終わって家にいたら天心から連絡が来て『もう練習した方がいいっすよ。怪我したところは使えなくても違うことが出来るじゃないっすか』ってガーっと言われて(苦笑)。そうだな、と思って練習を再開して、やれることをやってきました。言われなくなったら終わりなんで」
今回は半年ぶりの復帰戦だが、ブランクの期間も(天心の叱咤激励もあって)練習は怠っておらず、工藤は自信を持って臨む。
「今まで出来なかった動きがあって、ずっと練習してきて3週間前に突然出来るようになってたんですよ(笑)。僕は鈍感なんで、自分では分からなかったんですけど、会長に『最近いいね』と言われて、天心にも『最近動きいいですね。前と全然違いますよ』って。それで初めて『変わってきたんだな』って気づいて、自分でもしっくりと来るんです。
『REBELS.62』の記者会見(7月13日)で『REBELSでの前回、前々回の試合よりもかなりレベルが上がってて、かなり強くなってる』と言ったのはそういうことです」
工藤には、明確な目標がある。
「ベルトが欲しいです。ベルトを巻いたら『ちゃんと言ったことを守ったぞ』って、みんなに胸を張れるじゃないですか。
昔、職人として現場仕事をしながら『俺はプロになる』ってずっと言ってたんですよ。でも親に『あんたはプロになんかなれない』って言われて、それで喧嘩になったりしてたんです。同じ年齢の子たちは結婚したり、正社員になってボーナスを貰ってるのに『あんたはどうするの?』って。でも26歳でプロになった時『それはすごい』っていわれて。
途中で遊んだ時期もあったんです(苦笑)。週1だけ練習に行ったり。だから時間も掛かったけど、諦めたら終わりなんで。26歳っていうプロとしてのスタートが遅かった人間でも、頑張ったらチャンピオンになれる。そういうことを悩んでいる人にも言えると思うし、そういう気持ちを会長はサポートしてくれるんで」
対戦相手のMr,ハガは、WMC日本バンタム級3位。今回がプロ30戦目で、キャリアでは負けているが、特に気にも留めていない、という。
「相手(Mr,ハガ)はなんか注目されてるじゃないですか(*記者会見での独特の喋りとたたずまいが話題になった)。そんなもん関係ないですよ。相手は誰でも、右でも左でもいいっす。打ち合っても打ち合わなくても自信あるし、僕はやることは決まってるんで。倒して勝って、ベルト獲りをアピールするだけなんで。ぜひ8月10日、後楽園ホールで僕が倒して勝つところを見てください」
熱い「ファイヤー魂」と、頂点を目指して切磋琢磨するTEPPENイズムで、工藤“red”玲央は、バンタム級チャンピオンを目指して疾走する。