原島 モルモット 佑治インタビュー

インタビュー

公開日:2020/9/27

取材・撮影 茂田浩司

100年に一人の“愛されキックボクサー”、原島モルモット佑治。
引退式で最後のチャレンジ!?

 10月3日(土)、新宿FACEで開催される「REBELS.66」で引退式をおこなう原島モルモット佑治(テッサイジム)。REBELSの記者会見では、モルモット帽をかぶり、持参したスケッチブックで得意のイラストを披露して、殺伐としがちな会場をなごませてきた癒し系の男がとうとうリングを去る。
 惜別のインタビューは、しみじみといい話で、感動のうちに終わりそうだったのだが……。
 おずおずと「引退式で最後の挑戦をしようかと思ってるんです」と言い出した。
 いったい、何をしようというのか!?




 REBELSの名物キャラ、100年に一人の「愛されキックボクサー」原島モルモット佑治がリングを去る。
 16歳からキックボクシングを始め、21歳でプロデビュー。プロ生活17年で、通算戦績は51戦13勝(4KO)30敗8分。

 引退のきっかけは昨年10月「REBELS.63×KNOCKOUT」での浦林幹(クロスポイント吉祥寺)戦。2Rに浦林のタテヒジ一撃で鼻骨を陥没骨折して、レフェリーが即座にストップ。緊急入院し、一時はICUに入るほどの重傷を負った。

 原島さん(すでに引退してるので以降は「さん」付け)は「38歳の誕生日までにベルトを獲れなければ引退」と公言していたものの、どんなにやられてもあきらめずに戦う「モルモット魂」で退院後も復帰を目指した。が、モルモットの名づけ親であり師匠の小磯哲史テッサイジム会長に「もう試合は組めない」と宣告され、悩んだ末に今年3月に現役引退を決断した。

 今はフルタイムで働きながら、週2回、テッサイジムでトレーナーを務める生活をしている。
「試合に向けてのキツい練習も、減量もなくなってホッとしてる部分もあるんですけど。たまに、特にREBELSさんの発表を見たりすると『あと1回か2回でいいから最後にやりたかったなー』って思います。もうちょっといい動き、勝ち負けは別というか勝ちたいんですけど、やっぱいい動きをして終わりたかった……」

 インタビュー中、何度も原島さんは消え入りそうな声でこうつぶやいた。
「悔しいです。くっそ……」

 キックボクサー・原島佑治のストーリーは、20歳から所属した山木ジムを離れ、2012年に小磯会長が設立したテッサイジムに移籍した時から始まった。
 すでに30歳になっていたが、小磯会長は「一生懸命にやってるつもりだろうけど、プロで勝つための練習が全然出来てない」と指摘。以降、会長と共に厳しい練習に明け暮れた。

 その一例が最高気温38度の猛暑の中での坂道ダッシュ。二人は試合に向けて、黙々と鍛え上げていた。
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「会長の言うことに反発したことは一度もないです。炎天下での坂道ダッシュもキツかったですけど、会長の言うことは昔の体育会系じゃないですけど絶対なので」

 2014年、小磯会長から1つ指令が出された。「REBELS.32」(新宿FACE)での浜本“キャット”雄大戦を前に「負けたら改名」。判定負けを喫し、顔と雰囲気から「似てる」と名付けられたのが「原島モルモット佑治」である。

「最初、リングでコールされるときにめっちゃ恥ずかしいですし、早く普通の名前に戻りたいって思ってました。でも指導してるキッズとかにすぐ覚えて貰えるのが分かって、覚えて貰えるならいいかな、って(笑)」

 トレードマークの「モルモット帽」も小磯会長のアイディアだった。

「会長が通販で『モルモット』を探してくれたんです。でも実際のモルモットはモルモットっぽくなくて『カピバラ』を買って、僕は『会長が言ってるから』ってモルモットだと言い張ってます(笑)。でもこれ、今はどこを探しても売ってないんですよ」

 以来、モルモット帽をかぶって計量に臨むようになったが、その格好で試合のリングに上がる時は相当に悩んだという。

「会長には、キャラ付けというか『絶対にその方がいいから』と言われて計量ではかぶったんですけど、かぶったままリングに上がる時は『失礼になっちゃうかな?』とかめちゃめちゃ考えてしまって、メンタル的に良くなかったことを覚えてます(笑)」

 この「原島モルモット」というキャラクターを一番面白がったのがREBELSだった。

「他の団体ではモルモット帽をかぶった写真はポスターに載せて貰えなかったんですけど、REBELSさんのポスターとパンフレットは必ずモルモット帽をかぶった写真を使って貰えて、めちゃめちゃ嬉しかったです(笑)」

 REBELSでの原島さんは、大会前の記者会見で大いに活躍した。モルモット帽をかぶり、スケッチブック持参で「次戦への意気込み」や「対戦相手の倒し方」を得意のイラストをまじえて披露。紙芝居形式で発表してみたり、カズ・ジャンジラと「システマ」を披露して、観覧に訪れたファンを喜ばせた。

「スケッチブックも、会長が『書け』って案をくれて、やってみた感じです(笑)。めちゃめちゃ恥ずかしくて、滑った時のことを考えてドキドキでしたけど、みんな優しいんで(笑)。会見で喋った『倒し方』の話を、試合の解説で話して貰ったのもめちゃめちゃ嬉しかったです」

 原島さんの傑作「三浦翔(かける)の倒し方」はこうだ。
<三浦選手はイケメンで、顔が小さいからアゴが弱い。スタイルが良くて、足がスラっと長いからローに弱い。アゴへのパンチとローで倒します>

 相手の長所を褒めて『でもそこが弱点。倒します!』という「誰も傷つけない攻略法」には隣で聞いていた三浦も大笑い。殺伐としがちな前日会見をほんわかした空気に包み「モルモットワールド」の真骨頂だった。
 ちなみに、試合結果は三浦翔が試合開始早々に飛び膝蹴り一発で原島さんの額を切り裂いて1RTKO勝ち。アゴも足も触われずに負けてしまった原島さんの悔しそうな顔はいまだに覚えている。

 37歳の誕生日、原島さんは自身のツイッターでこう公言した。
<38歳の誕生日までにベルトを獲れなければ引退します>
 その真意を聞いた。

「ズルズルと35、36歳になって、やめどきを失ってる感じになってて。ランカーでもないし、チャンピオンでもないし。それで会長が『ダラダラやっててもしょうがないから区切りをつけろ。いつにするかは自分で決めていいぞ』と言ってくれて。最初は37歳の誕生日と決めたんですけど、公言はしてなかったので1年伸ばして。それで、こうなりました(苦笑)」
 陥没骨折した鼻を指さして「すごいダサいんですよ」と原島さん。怪我した直後は嗅覚を失ってしまったが、現在はほぼ戻ったという。ドンマイ。

 2017年に3連勝をマークし、初めてJ-NETWORKフェザー級9位にランク入りを果たした。
 当時、原島さんは「勝利の方程式」を掴み掛けていた。

「僕は首相撲に苦手意識があって、ずっと練習してたらこんな耳に(ギョーザ耳)になってしまったんですけど(苦笑)。組まれたくない、でも一発がないんで手数を出したい。それで、組まれない距離で打ち合うと、ムエタイスタイルの人って凄くスタミナをロスすると気づいて。3連勝した時は相手がものすごく疲れてて、スタミナの差で勝てました」

 努力を重ねて、やっと勝ち方を掴んでランク入りし、悲願のチャンピオンベルトにようやく近づいたものの、2018年以降は失速。ほとんど勝てなくなってしまう。
 今度は「減量」という壁にぶち当たったのだ。

「水抜きの量が4キロ、5キロと増えていって、計量をパスした後、年齢的なこともあると思うんですけど体が全然回復しないんです。会長には『ライト級に上げたらお前はパワー不足。もっと脂肪を削って水抜きを少なくしろよ』と言われて、やろうと思うんですけど、結局最後は『落とせるから水抜きでいくか』となってました。それでだんだん反応も悪くなってて、最後はこんな顔面へのヒジを喰らって。ちょっと避けるなりの反応も出来てなくて、気づいた時は時すでに遅しです。ダメですよね(苦笑)。だから、水抜きをしないで、何なら1階級上げてでもあと1回か2回、やりたかったです。最後、いい動きをして終わりたかったですね」

 そうして、原島さんはため息をつき、何度もつぶやいた言葉を繰り返した。
「悔しい……」

 小磯会長はこう述懐する。
「原島には、技術的なアドバイスなんてほとんどしたことがないんですよ。50戦もしてるのに、試合前は毎回デビュー戦の選手みたいにガチガチに緊張するんですから」

 気持ちの優しい原島さんには、倒すか倒されるかの過酷なキックボクシングは、もしかしたら不向きな競技だったのかもしれない。
 しかしながら、チャンピオンという夢を追い、ド緊張で震える心を奮い立たせて、51回もリングに上がり、戦い続けた勇気と根性と、ひたむきな姿勢が見る者の心を打った。だから、負けが多くてもキックボクシングのファンに愛されたのだ。

 10月3日(土)、REBELS.66(東京・新宿FACE)で「原島モルモット佑治引退式」が行なわれる。
 チャンピオンにはなれなかったが、REBELSを盛り上げた功労者としてファンとスタッフから「心のチャンピオン」としての10カウントゴングで送り出される。
 涙と感動の引退式に向けてのメッセージを聞くと、原島さんから驚きの「最後のチャレンジ」を明かされた。
 マジか……。

 それが何かはここでは明かせない。
 ぜひ10月3日、新宿FACEで「原島モルモット、最後のチャレンジ」を見届けてください!!

プロフィール
原島 モルモット 佑治(はらしま モルモット ゆうじ)
1982年6月16日、北海道出身。38歳。
テッサイジム所属。
生涯戦績51戦13勝(4KO)30敗8分。
J-NETWORKフェザー級9位。

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