【REBELS ~The FINAL~】UMA引退記念インタビュー公開!

インタビュー

公開日:2021/2/19

「お世話になった『REBELS』と同じタイミングで終われることに、ゆかりを感じます」



2・28『REBELS ~The FINAL~』で引退セレモニーを行うUMA。
地元・北海道のジムからプロデビューし、『REBELS』では2階級を制覇。自身にとっても転機となった『REBELS』のリングで引退を迎える彼にキャリアを振り返ってもらい、プロキャリアに幕を閉じる心境を聞いた。



──引退を決めた理由について、改めて教えていただけますか?

UMA 網膜剥離になって目が悪くなってしまったんです。視力的には右目が特に悪くて、だいぶ目の前がぼやけてる状態になってて。来月、また右目を手術しなくちゃいけなくなったぐらい悪いんですよ。左目は視力的にはけっこう見えるんですけど、そっちのほうがもろいらしくて。

──そうなんですか。

UMA 目の膜は二重構造になってるらしいんですけど、奥の膜がそのまま見えちゃうぐらい、表側の膜が薄くなってるって言われて。そっちの方がもろいから、また剥離したらさすがに視力がまずくなるよということなんですね。右目は視力は悪いけど、膜自体はくっついてる。左目は視力はいいけど、網膜が弱ってると。だからどっちにしても、ちょっと危ないなということになっちゃったっていう感じですね。本当はもっとやりたかったけど、この先の人生を目が見えない状態で生活していくなら、やめざるを得ないかなと。苦渋の決断ですけど、目が見えないと生活できないですから。

──もう、「最後に1試合」なども言っていられないような状態だったということですね。

UMA はい。引退スパーとかやる人もいますけど、それもできない感じでした。即やめるしかないという感じになっちゃって。

──迷う暇もなかったわけですね。

UMA 2年前の年末に1回目の剥離があったんですけど、その時は治るって言われたし、今の医学なら復帰してる人もいるということだったので、その時は大丈夫だったんですけど、2回目に剥離した時は危険を感じちゃって。1回剥離した時点で、もう何年もやる気はなくて、あと2年ぐらいやったらやめようと思ってたんですけど、再剥離したら「今後のことを考えないとヤバいな」って思っちゃって、やめる決断に至りました。

──そうですか……。ではキャリアを振り返っていただきたいんですが、スタートは北海道だったわけですよね。

UMA はい。札幌のジムからJ-NETWORKのアマチュア大会に出て、プロデビューもJ-NETWORKのリング(2010年3月、大森ゴールドジム)でした。

──そもそもキックを始めた理由は?

UMA 昔のK-1を見ていて、アンディ・フグが好きだったんです。その頃に家の近くの児童会館で日本拳法をやっているのを見つけて、9歳ぐらいから通い始めて。それも並行しつつ、中学校の時にはサッカーもやってたんですけど、団体競技が面白くなくて(笑)、向いてるとも思わなかったんで、3年間でパッとやめちゃいました。で、高校に入学した時から、日本拳法もやりながらK&Kボクシングクラブというジムに入会してキックボクシングを始めた感じです。

──日本拳法はいつまで続けたんですか?

UMA 高校卒業までですね。だから俺のスタイルは、前蹴りとかバックスピンキックとか足の裏を使う攻撃が得意なんです。日拳は剣道の胴を着けてやるので、蹴りで足の甲を当てると痛いじゃないですか。それで足の裏を使う前蹴りとか三日月蹴りとかが得意になりました。

──そういうことなんですね!

UMA それがベースにあって、キックボクシングを始めてからはローキックとかハイキックも練習したんですけど、やっぱり小っちゃい頃からやってることが身についているので、やっぱり日本拳法がベースですね。

──プロキャリアの中で、やはり『REBELS』参戦は大きな転機でしたか?

UMA そうですね。J-NETWORKでデビューして何戦かやって、新人王を取らせてもらったあたりから、他団体からのオファーが来るようになって。そこまでずっと連勝してたんですけど、KrushのU22トーナメントで負けてしまった時に、一度気持ちが切れてしまったんです。その時がちょうど22歳ぐらいで、同級生も大学を卒業して就職する頃じゃないですか。だから俺も「いつまでキックボクシングやっていいのかなあ」と思ったりして、身が入らない時期が続いてたんです。そこで一回就職したんですよ。

──あ、そうだったんですね。

UMA 公務員の臨時職員になったんです。ゴミ収集の部署の仕事をしていて、その時に「公務員だから、ケガをして仕事に影響が出るようなことはしないでくれ」って言われたので、臨時職員の半年間はやめてたんですよ。そこをやめた時に、ちょうど『REBELS』のオファーが来たんですよね。それで「最後1回ちゃんとやってやめるか」と思って。その相手が、もう引退した中澤純選手だったんです。

──2013年の『REBELS.15』ですね。

UMA その時、中澤選手はT-98選手とやりたくて『REBELS』に参戦したらしくて、俺は一度、北海道でT-98選手に勝ってるんですよ。だから中澤選手の実力査定のために、一度勝ってる俺が噛ませで呼ばれたんです、たぶん。得体の知れない感じの俺を(笑)。

──本当に噛ませかどうかは分からないですけどね。

UMA でも最後と決めたんで本当に練習したら、運よく1Rで勝っちゃったんですよね。勝っちゃったらやめられなくなったし、山口元気会長の印象にも残ったのか、「次は健太選手とやらないか」っていう話が来て。『REBELS』の群馬大会のメインでですよ。なんか、いきなり世界が変わっちゃった気がしました。

──そうでしょうね(笑)。

UMA 俺はK-1 MAXも好きでバリバリ見てて、健太選手はその前の試合で佐藤嘉洋さんに勝ってたんですよね。日本人では2人目ということで。佐藤さんに勝つなんて、トップ中のトップじゃないですか。それで「ああ、面白いな」と思って。健太選手には負けましたけど、「あと少し工夫さえすれば、できるな」って思っちゃったんですよね。いろいろオファーもいただけるし、やめるにやめられなくなって(笑)。それで今に至る感じですね。あそこでスパッとやめられなくなったので、やっぱり転機ですね。

──そこからのプロ活動は充実していたのでは?

UMA そうですね。プロになったと言っても最初の数戦は、自分が好きだし強くなりたいから、自分のためだけにやってた感じでした。でも10数戦になると、スポンサーさんだったり応援してくれる人が出てきて、他の人の期待も乗ってやらせてもらえるようになってきたので、そういうところでやりがいとか「頑張らなきゃいけないな」という気持ちを乗っけてもらいました。それでけっこう気持ちよくできてたという感じですかね。

──その時には東京に拠点を移すことは考えなかったんですか?

UMA はい、北海道からチャンピオンになるということを目標に頑張ってたし、東京に来たらセールスポイントがなくなって試合にも呼ばれなくなると思ってたんですよね。ちょっと意地になってた部分もありました。それで28歳の頃に健太選手と再戦して、2-1のスプリット判定で負けたんですね。前回で手応えを掴んでて、成長を見せて倒すつもりだったんですよ。全部出し切ったんですけど、届かなくて。俺も「これはちょっと腹をくくってやらないとヤバいな」と思ったし、試合の翌日だったかな? 山口会長から長いメールが来たんです。

──ほう。

UMA 「強豪と当たった時に今一歩及ばないという現状が続いてるから、もう少し強くなりたいんだったらクロスポイントに出稽古に来るといいんじゃないかな?」と。そう言ってもらえるうちが華、じゃないですけど、「これがラストチャンスかなあ」と思って、上京しようと決めた感じですね。『REBELS』で知名度も上げてもらった恩もあるし、『REBELS』でもうちょっとやりたいなと思ってクロスポイント吉祥寺に拠点を移しました。

──タイトルとしては2014年にREBELS 65kg級を獲って、上京後の2019年10月にはREBELS 67kg級も獲りました。2度目の戴冠は、上京の成果が出た結果ですか?

UMA やっぱり北海道では練習相手が少なかったんですけど、東京に来たらいっぱいいるので、実戦感覚が掴めたと思います。あと上京した時に「負けたら終わりだ」と思ってたので、その覚悟も出たのかなと。

──今までのキャリアで、忘れられない試合を一つだけ挙げるとしたらどれですか?

UMA やっぱり一発目のタイトルマッチですかね。北海道から行って、沖縄の中村広輝選手に勝ってREBELS 65kg級のベルトを獲った一戦(2014年7月)です。一つの到達点だったかなと思いますね。

──引退発表会見の時には、「今後のことはまだあまり考えてない」ということでした。その後はどうですか?

UMA 山口会長から、新設されるジムの責任者かつ指導員として働かないかというお話をいただいたんですよ。ちょうどいい区切りだったので、別のジャンルの仕事もやってみようかなという気持ちもあったんですけど、やっぱり今までやってきたことを生かせるのはいいなと思って。それにいただいたお話を断る理由もないので、やってみようかなと思ってます。

──それは北海道なんですか?

UMA いや、それが違うんですよ。東京でも北海道でもなく、今まで縁のなかった土地で(笑)。まあ、なるようになるかなという感じです。

──教えるということについてはどうですか?

UMA ……どうですかね?(笑) これまでは、特に人に教えるのが好きというわけでもなかったんですけど、まあやりがいはあるし、やりながら楽しさを探していければいいなと思ってます。北海道にいた時から、キックボクシングをもっとメジャーに、身近なものにしたいという気持ちがあったんですよ。だからシンプルに、キックボクシングを楽しんでもらえる人が増えればいいなというのがモチベーションになると思います。

──これでキックボクサーとしての活動を終えるわけですが、改めて振り返ると?

UMA 楽しかったと思いますよ。でも、勝つべき相手には勝てるんですけど、殻を破れた試合は数少なくて、その殻を破るために東京に来たのに、けっこうすぐ終わっちゃって……。もっともっと強い選手とやりたかったし、日本にはベルトがいっぱいあるからWBCムエタイとか世界のベルトも獲っておきたかったとか、正直、後悔はいくつかあります。でもケガをして、目が見えなくなってヤバいというのを一回経験したら、健康なうちにやめられたんだったらいいかなという感じです(笑)。今はもう切り替えてますし、いいキャリアだったかなと思います。

──引退セレモニーが、『REBELS』ファイナルの大会で行われることになりました。

UMA 最後にこのタイミングで、自分のホームだと思ってた『REBELS』のリングに上がれるのはよかったです。『REBELS』と同じタイミングで終わりというのもゆかりを感じるし、ありがたいですよね。

──最後にリングに立ったら、どういう気持ちになるでしょうね。

UMA いや、もう練習もしてないし、別にキックボクサーとしての自分にもそんなに未練はないので、そんなに感極まったりはないと思います。「ありがとう」という感じで。泣くことはないと思いますけど……どうですかね?(笑)

──では注目しておきます(笑)。お疲れ様でした!

プロフィール

UMA(ゆうま)
所  属:K&K BOXING CLUB
生年月日:1990年12月12日
出  身:北海道札幌市
通算戦績:43戦25勝(14KO)16敗2分
獲得タイトル:REBELS-BLACK 67kg級王者、REBELS 65kg級王者、ルンピニージャパンウェルター級王者、ACCELライト級王者、シュートボクシングS-cup 2018準優勝、J-NETWORK2010年ウェルター級新人王


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