“ニンジャ”宮越慶二郎×良太郎(レベルス王者&名参謀)インタビュー

インタビュー

公開日:2019/4/15

取材・撮影 茂田浩司

宮越慶二郎「ニンジャステップ」復活の陰に、
「トレーナー良太郎」あり。

 4月20日(土)の「REBELS.60」(東京・後楽園ホール)。メインイベントを飾るのは、NJKFと新日本キックのエース対決“ニンジャ”宮越慶二郎(拳粋会宮越道場)対“蒲田のロッキー”勝次(目黒藤本ジム)。交わる機会がないと思われていた二人が、まさかのREBELSリングでの対戦となった。
 宮越は、昨年12月のREBELS.59で「超攻撃型ムエタイ」スアレック・ルークカムイ(スタージス新宿)と激闘を繰り広げ、5ラウンドKO勝利を収めた。宮越にとって実に1年半ぶりの勝利。長い長いスランプから抜け出すきっかけは、REBELS-MUAYTHAIライト級王者にしてTeamAKATSUKI代表の良太郎(池袋BLUE DOG GYM)とのミット打ちだという。
 宮越は良太郎とのミットでどう変わったのか。そして勝次戦でどんな戦いをしようとしているのか。二人が練習している池袋BLUE DOG GYMを訪ねた。






「慶二郎のニンジャステップは唯一無二。
他のトレーナーではミットを持てないと思う」(良太郎)



 レベルス王者と指導者の二足の草鞋を履く良太郎。池袋BLUE DOG GYMと、自身で主宰するTeamAKATSUKI(千葉県鎌ケ谷市)で週3日ずつ、ミットを持っての指導と自身の練習をこなしている。
 宮越はキックボクシングフィットネス「K26 KICKBOXING CLUB」(宮越道場所沢、新所沢バンブールーム)で一般向けの指導をしながら、様々なジムで出稽古をして腕を磨いており、その1つが池袋BLUE DOG GYMだった。

宮越「良太郎さんとは最初はスパーリングをさせていただいていたんですけど、1年前に『ミットを持ってあげようか』と言っていただいたので、ぜひお願いします、と。僕は、そもそもミットを持って貰う人がいなくて、ミット打ちがほとんどできなくなってて。それ以来、週1回、BLUE DOG GYMでミットを持っていただいています」

 良太郎が声を掛けたのは理由があった。
良太郎「僕は元々ミットを持つのが好きだし、プレイヤーとしてもそうだけど、ミット持ちとしても自信があるんですよ。ただ、一流の人を持たないとレベルが上がっていかないんで、宮越慶二郎という一流の選手を持てるなら、と」

 当時、宮越はなかなか勝てずに苦しんでいた。2017年は4戦して1勝3敗。しかも3つの負けがKO負け2つとTKO負け1つ。対戦相手が強豪ばかりとはいえ、不本意な結果が続いていた。
 良太郎は、すぐに宮越のスランプの原因を見抜いた。
宮越「伸び悩んだ時、ボクシングジムに行っていたんですけど、パンチの打ち方からすべてを直されてしまって。僕も結構素直なので(苦笑)、教えられると『こっちの方がいいのかな?』と。そうしたら、良太郎さんと久しぶりにスパーリングしたら『あれ、普通になったね』と言われて(苦笑)」
良太郎「元々のステップを知ってるから、オーソドックスのワンツーばかりになってて『おいおい、どうした?』と(笑)。ボクシングジムで型にハメられてしまったんだな、と。日本人はすぐ型にハメたがるけど、宮越慶二郎といえば変則的なステップワーク(ニンジャステップ)です。これは唯一無二、他の選手では絶対に真似が出来ないんですよ。他団体になるけど、朝久兄弟なら『朝久道場のスタイル』。でも慶二郎は『宮越道場のスタイル』じゃない。お兄さん(宗一郎氏)はアップライト、オーソドックスで圧を掛けるスタイルで、慶二郎はまったく違う。慶二郎のステップワークは独立独歩で作り上げたものだから、トレーナーはそこを汲み取っていかないと独特な部分を消しちゃうんですよ」

 良太郎もミットを持ち始めた頃は、宮越の変則スタイルにどう対応するか、相当に苦労したという。
良太郎「動き方が本当に特殊です(苦笑)。最初は右構え同士のミットをやりましたけど、それだと慶二郎の持ち味が全然活かせないんで途中から『好きに動いて』って。スイッチしたい時はスイッチして、パンチ打ちたい時はパンチを打つ。型の決まったミットしか持てない人は、慶二郎の型の決まってないミットは受けれないでしょうね。日本人のトレーナーは、正直、下手なんですよ」

 実際に、宮越と良太郎のミットを見た。
 宮越は、目まぐるしくオーソドックスとサウスポーのスイッチを繰り返し、ステップの幅を変え、サイドに動き、遠めから飛び込むと相手の反撃はバックステップでかわす。
 良太郎は短く指示しながら宮越の動きに対応し、ミットを自在に操る。攻める宮越、受ける良太郎、二人の運動量が尋常ではなかった。
 宮越慶二郎の「ニンジャステップ」は、普通の選手の2倍、3倍の運動量を必要とすることが分かった。これだけ激しく動きながら、良太郎の差し出すミットに瞬時に反応し、次々とミットにパンチやキックを打ち込めるのは、反応スピードの速さと動体視力の良さを兼ね備えた宮越だから可能なのだろう。
 「豊富な運動量を誇る宮越慶二郎にしか出来ない、超変則的で、高度なテクニック」が「ニンジャステップ」の正体。この特性を理解した上で、ミットで対応できるのは、旺盛なスタミナを持ち、スピードに付いていける現役選手の良太郎だからこそ。

 良太郎のミットを目掛けて、連打を打ち込み続けた宮越。3分5ラウンドのミット打ちを終えると、さすがに肩で息をしていたが表情は晴れやかだった。
宮越「自信が付きますね。普段はスパーリングした後にこのミットをやるので『4、5ラウンドでどこまで動いて、攻められるか』をテーマにやってます。良太郎さんの短い指示にすぐ反応して攻撃を出すので頭を使うんです。頭を使うとスタミナも使うし、それを良太郎さんの動きに付いていきながらやるので、ギリギリのスタミナでどこまで動けるか。試合終盤のシミュレーションになります」






スアレック戦は想定通りのKO勝利。
「蒲田のロッキー」勝次との激闘をどう制するのか?



 宮越「最初、ジムで良太郎さんと他の選手がミット打ちをしてるのを見た時は、その速さに驚きました。どうやって打ち合わせしてるんだろう、と聞いたら、その場その場だよ、と。ただ、よく見ると僕のやっているパターンとも違うし、選手それぞれ違うんです。だから、本当に持ち手がすごいんですよね。全部合わせてくれるので」
良太郎「僕のジムの選手なら『これやれよ』と言いますけど、慶二郎とは師弟じゃないし、お互いにプレイヤーでもあるので。慶二郎最優先で『次の試合はどういくの?』と聞いて、慶二郎から『こういきます』と聞いて、そこをベースに考えて『ここはこうしたらいいんじゃないの?』と話し合いながらやってますね」

 二人が事前にイメージした通りに戦えたのが、昨年12月の「REBELS.59」スアレック・ルークカムイ戦だった。
宮越「最終ラウンドでも全然スタミナが落ちなくて、あれは良太郎さんとのミットの成果が出ましたね」
良太郎「フィニッシュブローは完璧でしたね。あれをずっと練習していたんです。プレイヤーの立場でいえば、最初からあのステップをやってよく4、5ラウンドも動けるな、と思いますよ(笑)。ただ、二人で話してたのは『3ラウンドマッチだとちょっとキツイね』と」
宮越「そうなんです。実際に、3ラウンドだとスアレック選手も全然余力が残ってて」
良太郎「29-28辺り、2-0とかで僅差だけど持っていかれたかもしれない。でも、5ラウンドなら、慶二郎が最後まであのステップが出来れば、絶対にスアレックは付いてこれない。それは分かってたんで」
宮越「本当にプラン通りでしたね」

良太郎「実は、パンチなりヒジなり、何かしらを当てたらスアレックは怒って前に出てくるよ、とも言ってました。その時に慶二郎が元気ならカウンターを打てるから、と。ただ、僕はセコンドじゃないんで『これをしろ』とは言えないんですよ。『打てるんじゃない?』(笑)。あとは本人次第です。何しろ一流の選手なので『あとはまかせた!』と(笑)」
宮越「スアレック選手の突進力は物凄かったんです。ただ、それも想像はしてて『そこをズラして、カウンターを打てれば最高だな』っていうのがあったんです」
良太郎「あそこで足を止めて打ち合うんじゃなくて、慶二郎は前に出て打ってくるスアレックのパンチを横に動いてかわしながら打てる。それは強みですよ。でもその『勝負どころ』で動けるようにするのも僕の仕事なんで。試合の2週間前のスパーが最悪の動きで『このままじゃ負けるよ』って」
宮越「言われました(苦笑)」
良太郎「でもその翌週に立て直してて、慶二郎のステップが見事で全然つかまえられないんですよ。『これは勝てるな』と思いました」

 勝次戦に向けて、宮越には期するものがある。
宮越「今回は勝たないといけない、と思ってます。この試合に勝って、やっと復活と言える、という感じです。『前回はたまたまラッキーだったんでしょ』と思ってる人も中にはいると思うんで、まぐれじゃないよ、実力だよ、と」
良太郎「慶二郎の戦績を見たら、まぐれじゃないことぐらい分かるけどね(笑)」
宮越「ずっと僕の試合を見てる人には『羅紗陀戦(2016年のNJKF年間最高試合で宮越勝利)の頃に戻った』と言われたんですけど、それは自分でも思いましたね。あの頃はイメージが良かったんで」

 宮越は「イメージ」を大事にしている。今回もすでに勝次戦勝利のイメージは描けている。
宮越「イメージは出来てます。ただ、試合前にきっちりと研究はしなくて、何となく『こう来たらこう、ああ来たらああだな』と持ってて、あとは試合をしながら考えます。1、2、3ラウンドでしっかりと見て、研究して、4、5ラウンドで仕留められたら、って」
 宮越の強みの一つが「予測不能」であること。過去の試合を研究しても、まったく違うことをする場合がある。
宮越「最近、新しいことは取り入れてなくて、練習では今までやってきたことを研ぎ澄ます作業をしてます。ただ、僕は、試合中に進化することもあるんですよ。相手に自分の未知の部分を引き出されるというか(笑)、試合中に新たなテクニックを覚えることもあるんです」
 良太郎には「宮越勝利」の道すじが見えているが、一つ、不安材料もある。
良太郎「慶二郎は、リングに上がると気性がかなり荒いんで(笑)。僕も他人のことは言えないけど、前半でパッと火が付いちゃうと何を言っても聞かないで行っちゃうと思うんで『あとはまかせた!』って感じですよ(笑)。冷静に前半を戦えれば、僕が一つ浮かんでるパターンでいけると思うんですけど」

 宮越には、この試合に勝ち、マイクで叫びたいことがある。
宮越「大みそかイベント出場です。今年は『大みそかイベントに出る』と予定を立ててるんで、大みそかに向けてのカウントダウンはもう始まっているんですよ(笑)。勝次選手との試合は、必ずいい試合、激闘になると思うんで、それで勝って、アピールしていきたいです。ぜひ、応援をよろしくお願いします!!」

プロフィール
宮越慶二郎(みやこし・けいじろう)
所  属:拳粋会宮越道場
生年月日:1990年1月28日生まれ、29歳
出  身:埼玉県所沢市
身  長:170cm
戦  績:39戦25勝(7KO)12敗2分
WBCムエタイインターナショナルライト級王者

良太郎(りょうたろう)
所  属:池袋BLUE DOG GYM。TeamAKATSUKI代表
生年月日:1988年12月21日生まれ、30歳
出  身:千葉県柏市
身  長:178cm
戦  績:26戦11勝(4KO)11敗5分
REBELS-MUAYTHAIライト級王者(防衛1回)

老沼隆斗(おいぬま・りゅうと)インタビュー

インタビュー

公開日:2019/4/11

取材・撮影 茂田浩司

二十歳の「ムエタイキラーの遺伝子」が初のムエタイ狩り!
元ムエタイ王者サンチャイTEPPENGYMと激突!
「天心選手に自分のことを覚えてほしい」

 4月20日(土)、東京・後楽園ホールで開催される「REBELS.60」に「ムエタイキラーの遺伝子」老沼隆斗(STRUGGLE)が参戦する。対戦相手は、ムエタイの元ラジャダムナンスタジアム王者にして現在TEPPEN GYMでトレーナーを務めるサンチャイ・TEPPEN GYM。
 同い年で、誕生日も1週間違いの「神童」那須川天心に対して「階級が違っても選手として負けたくない」という老沼。かねてから希望していた初タイ人との対戦が元ラジャ王者のサンチャイTEPPEN GYM。「ムエタイキラーの遺伝子」として、燃える要素満載の相手だ。
 二十歳の若きREBELS王者は大一番を前にして何を思うのか。






初タイトル奪取、そして初防衛成功。
だが「倒せるチャンスを逃してしまった」



 老沼隆斗は、6歳から正道会館で空手を始め、ジュニアで活躍した後、キックボクシングに転向。「本格的にムエタイをやりたい」と3年前にSTRUGGLEに移籍。90年代を代表するキックボクサー「ムエタイキラー」鈴木秀明会長の指導で着実に成長してきた。

 昨年2月「REBELS.54」でREBELS初参戦。この1年間の活躍ぶりは目覚ましいものがあり、REBELS-MUAYTHAIスーパーフライ級王座獲得、初防衛成功、そして今年2月の「パンクラスレベルスリング」では他団体王者をKO。今や誰もが認めるREBELS軽量級のエースとなった。
 だが、老沼本人は「まだまだです」という。

「全試合で反省点ばっかあるんで。1戦1戦、いいところと悪いところが見えてきて、今はダメなところを消す作業を中心にやっていってます。もっとバランスのいい選手になりたいですね」

 この1年間の老沼の成長の軌跡をたどってみたい。

 2018年2月から始まったREBELS-MUAYTHAIスーパーフライ級王座決定リーグ戦では、蓮沼拓矢と濱田巧に危なげなく勝利し、同年6月6日の「REBELS.56」でJIROとの全勝対決に臨んだ。
 勝者がベルトを巻く大一番は大接戦となり3Rが終わってドロー。記録上はドローながら王座決定のための特別延長ラウンドが実施され、老沼が2-1で制してプロ初のチャンピオンベルトを獲得した。

「試合は全然ダメダメでした(苦笑)。自分の欠点で、相手に付き合っちゃうんです(苦笑)。2ラウンドに右ミドルを1回効かせて、向こうの表情が一瞬変わった時にもうちょい攻め切れていれば。そこで迷いが出ちゃうとダメですね」

 軽量級ホープを4選手集めたリーグ戦で、当初から老沼は「本命」と見られていたが、そのこともプレッシャーになった。
「ベルトを獲ってからがスタートだと思っていて、通過点といえば通過点ですけど『これを落としたらヤバい』という、正直、焦りもありましたね。だからベルトを獲れた時はまず1個の目標を達成できたな、と思いました」

 2018年12月5日の「REBELS.59」では、JIROとの挑戦者決定戦に勝利した蓮沼拓矢を迎えて初防衛戦に臨んだ。
 パンチ力に定評のある蓮沼に対して、老沼はスピードと多彩な攻撃で対抗し、試合の残り10秒で左右ハイキック、前蹴り、後ろ廻し連打の「老沼ラッシュ」で会場を盛り上げて2-0の判定で初防衛に成功。格闘技やボクシングでは「ベルトを獲るより初防衛戦の方が遥かに難しい」と言われる。そのことを老沼は実感したという。

「会長に『守る方が難しいよ』と言われてて『そんなに変わらないんじゃないかな?』と思ってたんですけど、リングの上で向かい合って蓮沼選手の気合いとか覚悟が伝わってきて。自分がタイトルを獲りにいった時と同じ気持ちを相手は持ってると思うんで、そこが難しさなのかな、と。
 自分は『ベルト失ったら何も残らない』ってプレッシャーがヤバかったです。それまで失うものがなくて『どんどん当たって砕けろ!』でしたけど、それと違うプレッシャーでした。自分はこれから『REBELSの顔』になりたいんで、ベルトを失うと発言権も失ってしまうな、っていうのがあって」

 この試合も大接戦だったが、ここでも「チャンスを逃がしたこと」が反省点だという。
「2ラウンドに結構いいフックを当てた時に、倒すぐらいの勢いでいけなかったのが反省点です。そこでチャンスを逃がして、向こうは回復して尻上がりに良くなっていって。あとで会長には『2ラウンドで倒し切りたかったね』と言われました。
 初めての5ラウンドの試合で、未知な部分を意識しすぎて上手く戦おうとして、いつもの自分のリズムに持っていけなかったのも反省点です。実際に5ラウンドになった時、体力も全然残ってたんで『もっと早めに出さないと』って。それも勉強になりましたね」

 終了間際の「老沼ラッシュ」は空手時代の経験がベースとなっている。
「空手の時代は自主練で、サンドバッグを蹴ったりシャドーをしたりが多くて、左右の連打とかを遊びで蹴ったりしてました。あと、空手の試合の時も最後に大技を出して締めたりしてたので(笑)、それが体に染みついてるかもしれないです。
 4ラウンドが終わった時点で『見せ場がねえな』って。5ラウンドのどこかで絶対に派手な技を出したいと思ってて。前蹴りが当たって『いける!』と思って、そこでは倒し切るぐらいの勢いでラッシュできた感じですね」






過去2戦の反省点をふまえて、
地上波ゴールデンタイム生中継の大舞台で
「王者対決」でKO勝利!



 老沼の魅力は、ミドル1発で会場の空気を変えてしまうほどの蹴り技のキレ味や、相手にクリーンヒットを許さない抜群の防御勘、そして何よりまれにみる負けん気の強さだろう。
 普段は物静かで大人しい表情をしているが、リングに上がると表情も雰囲気も一変。負けず嫌いをむき出しにして対戦相手と対峙し、厳しい攻めで容赦なく追い込んでいく。
 その魅力が爆発したのが、今年2月17日の「PANCRASE REBELS RING.1」での森貴慎戦だった。

 蓮沼拓矢を下して初防衛に成功した老沼は、その場で2月大会出場をアピール。山口代表が快諾し、今年2月の「PANCRASE REBELS RING.1」出場が決まった。
 対戦相手の森貴慎(当時J-NETWORKバンタム級王者)とは新人の頃に対戦して老沼が勝利。互いにベルトを巻いての再戦となったが、試合前、老沼は森のインタビューを読んで「カチン、と来ていた」という。

「インタビューを読んで『これは舐められたくないな』って思いましたね。『(2年前の老沼との試合は)1週間前に急に試合が決まって準備出来てなくて負けた』みたいに言ってて『普通にやってたら勝ってた』ってニュアンスもあるかなって。それが気にくわなくて『ぜってえ倒してやろう』って思ってました。このたっぷり準備期間がある中で、再戦して倒したら文句ないだろう、と」

 老沼には、森がREBELS初参戦で地上波ゴールデンタイム生中継の舞台に立つことが納得いかなかった。
「自分はここまで来るのに苦労してきて、ベルトも獲って、アピールしてやっと出れたんで。他団体からREBELS初参戦で、本戦に出れて、テレビ中継もあるっていう。向こうに美味しいとこどりはされたくないっていうのはありましたね」

 試合は、老沼が1ラウンドからコツコツとインローを蹴り、2ラウンドから前蹴り、ミドルを散らして攻勢に。3ラウンドに反撃に出た森のパンチを受ける場面もあったが、老沼はローと前蹴りで追いつめるとヒザ蹴り連打でダウンを奪い、ミドルで2度目のダウンを奪ったところでレフェリーストップ。
「1ラウンドはちょっと緊張したのもあって行き切れなくて。2ラウンドからペースが掴めてきて、パンチも完全に見切れてて。
 3ラウンド目に向こうのフックとストレートが1回ずつ当たったんですけど、それは絶対に当たっても大丈夫な位置、クリーンヒットしない位置に頭を置いてて。拳がもう一個入ってたら倒れるだろうなっていう位置で当てさせてから攻めたんです」

 KO率7割を誇る強打の森に対して、すべて避けず「当たってもダメージのない位置」であえて受けて、反撃でダメージを与える。「ムエタイキラー」鈴木会長から伝授された高度なテクニックを、さらに老沼が自分でアレンジしたものだった。

「会長に『この位置なら相手の攻撃は当たらない』という位置を教わってて、その位置を頭に入れておきながら、自分でも考えてアレンジして攻めましたね。試合前は『相手の攻撃が完璧に当たらない位置』にどう入るか。そこに入るステップ、足の位置、距離を会長に何度も何度も合わせて貰ってて。本当は、1発も当てさせないで倒すつもりだったんですけど、ちょっと攻め過ぎた時に貰っちゃったかな、と」

 老沼のKO勝利は、TOKYO MX2とエムキャス、UFC FIGHT PASSで生中継された。
「みんなMXで見てくれたり『録画して後で見たよ』とか言われて、影響力あるなと思いましたし、嬉しかったですね(笑)。計量の会場もいつもと違う場所でやる気が出ましたし。試合の中継がない時ももちろん頑張るんですけど、中継があるともっと頑張れますね(笑)」

 試合後、老沼はマイクで「REBELSのチャンピオンが強いと見せられたので、次、タイ人どうですかね?」とアピール。
「タイ人とやるのはずっと目標だったのでここで言わなきゃ、と(笑)。会長にはマイクとかは何も相談してないです。『自分のやりたようにやったらいいよ。自分がなりたい選手になった方がいいよ』と言われてます」

 着実に進化して、もうワンランク、ツーランク上の相手に挑む絶好のタイミングに、山口代表がマッチメイクしたのが4月20日(日)、後楽園ホールで対戦する元ラジャダムナンスタジアム王者、サンチャイ・TEPPEN GYMである。






サンチャイ選手を倒して、もっと強いタイ人と戦いたいし、
天心選手に自分のことを覚えて貰いたい



 老沼は車のディーラーでアルバイトをしながら練習と試合をこなす生活をしていたが、近々、転職することが決まっている。
「今度も車の運転です。今、実家から押上のSTRUGGLEに通っているんですけど、もっとジムの近くに住んで練習環境を良くしたいんです。ただ、押上は結構家賃が高くなってて(苦笑)。だから、今年は一杯試合をして、貯金して、来年には一人暮らしが出来ればいいなと思ってます。
 今度の仕事は、朝から夕方まで働いて、土日祝日が休みになるんです。ディーラーで働いている時は土日も祝日も働いていたので、そこが休みになると気持ちは楽になりますね。
 自分のことをもっとたくさんの人に知って貰いたいですし、ファイトマネーも、スポンサーも増やしていきたいです。チャンピオンになって、友達の友達で直接知らない子に声を掛けられたり、自分の知り合いが誰かに話して『ああ、その子知ってるよ』って言われたという話も結構聞きました。自分の知らないところで知られてきたんだな、っていうのはありますね。
 ツイッターのフォロワーもちょっと増えてきました。『年末までにフォロワー1000人は越えたい』とつぶやいたら結構増えて、2月の試合が終わってからまた増えてて。自分を知って貰うためのプロモーションも、もうちょい行動していきたいですね」

 「老沼隆斗」をもっと知って貰いたい、と考えた時に、新たな悩みも。
「自分はこれといったキャラクターがないんです(苦笑)。先輩の松崎(公則)さんとも話したんですけど『記者会見とかで何か目立つヤツはないかな?』って(笑)。でも、何かキャラクターを作るとなったら一本突き抜けないといけないんで難しいな、って。
 自分は『ムエタイキラーの遺伝子』がちょうど空いててよかったですけど(笑)。ただ、調べてみたら98年生まれのキックボクサーが本当に多いんですよね。クラッシュの篠原(悠人)選手とかRISEの篠塚(辰樹)選手もそうで、多いなーと思って」

 1998年生まれは「キック界の黄金世代」。石井一成、平本蓮、そして、やはり代表格は那須川天心である。
 老沼と那須川は、誕生日が1週間違い、空手を始めた時期もほぼ一緒。どうしても意識せざるを得ない。

「大みそかのメイウェザー戦は、出掛けてて車の中でちょっと見て、後で見ましたけどすごいなって思いました。いま自分のいる位置と比べると悔しいですね。同い年で、メイウェザーと向かい合ったという事実だけでとんでもないなって。ただでさえ自分の届かない位置にいるのに、さらに遠くに行っちゃった感じですね。
 3月のRISEの試合も、練習した技を試合でスッと出せるのがやっぱりすごいですね。あの大一番で、あのタイミングで、あの技をよく出せるな、と思いますね。
 だけど、選手として負けたくないという気持ちはありますね。その気持ちがなかったら終わりだろう、と。自分は階級が違ってもどの選手にも負けたくない。試合のインパクトとか、見てる人の印象に残るような、そういうところでは絶対に負けたくないと思います」

 次の対戦相手、サンチャイ・TEPPENGYMは、元ムエタイ王者にして、現在はTEPPENGYMのトレーナー。待望の対タイ人であるばかりでなく「天心のトレーナー」という部分でも、老沼にとって闘志を掻き立てられるところだ。
「タイミングがよかったですね(笑)。正直、タイ人一発目の相手としてはやばい相手だなって思います。ランカークラスとかじゃなくてビッグネームじゃないですか。現役時代の映像を調べてみたらめちゃめちゃ強いな、っていう印象があって。一度ラジャを取った選手というのは燃えますし、試合が出来るのは光栄です」

 鈴木会長からは、すでに攻略法を伝授されている。
「会長には『今の実力だったら全然勝てる』と言われました。会長と相手の穴とかを話してて、作戦も練っているんで。
 でも結局のところ、自分の実力、自分の動きを出して、自分の距離で戦えば、圧倒できる練習をしてるので。試合の展開を作っていく中で、うまく出せればなと思ってます。ここで負けたら『ムエタイキラー』のイメージがなくなっちゃうし、自分はこれからもっと強いタイ人とやっていきたいので。一発目はしっかりと勝ちたいです。
 対戦が決まってすぐの時は、正直、ちょっと怖さもあったりしたんですけど。練習をしていきながら、相手の映像を見たりしていると『タイ人も同じ人間だから変わらないんじゃないか』と思うようになりました。会長が言ってたのは『日本人でタイ人に勝ってる選手は、相手がタイ人だからとか意識しない』と。だからいつも通り、意識しすぎずに自分の実力で倒したいと思ってます。
 REBELSのチャンピオンとして絶対に負けられないですし、これ、セコンドに天心選手が付いてくれたら美味しいですね(笑)。絵的にもいいと思うんですけど(笑)。
 天心選手とは面識はなくて、向こうは『誰だお前』みたいな感じだと思うんですけど、サンチャイ選手を倒して、天心選手に自分のことを覚えてもらえればいいかなって思ってます」

プロフィール
老沼隆斗(おいぬま・りゅうと)
所  属:STRUGGLE
生年月日:1998年8月11日生まれ、20歳
出  身:東京都足立区
身  長:161cm
戦  績:13戦10勝(5KO)2敗1分
REBELS-MUAYTHAIスーパーフライ級王者(防衛1回)

ぱんちゃん璃奈(ぱんちゃんりな)インタビュー

インタビュー

公開日:2019/3/28

取材・撮影 茂田浩司

「筋肉美女」ぱんちゃん璃奈、スポーツ少女が疲労骨折で挫折し、高校も中退。
キックボクシングと出会って再生するまで。

 4月20日(土)、東京・後楽園ホールで開催される「REBELS.60」に「筋肉美女」ぱんちゃん璃奈(STRUGGLE)が参戦する。プロ2戦目ながら、対戦相手はプロキャリア9戦のSae_KMG(クラミツムエタイジム)。
 2月17日の「パンクラス・レベルス・リング1」では、REBELSとの複数試合契約を掛けた「パンクラス・レベルス・トライアウト」で川島江理沙(クロスポイント吉祥寺)と対戦。デビュー戦同士ながら「筋肉美女vs現役女子高生ファイター」として大いに注目を集めた。TOKYO MXではスポーツ情報番組「BE BOP SPORTS」でレギュラーコーナーを設けて対戦を盛り上げ、試合はゴールデンタイムで生中継。デビュー戦としてこれ以上ないほどの注目の中、ぱんちゃんが2度のダウンを奪って判定勝利。強さを見せつけた。
 華々しくプロとしてのキャリアをスタートさせたぱんちゃんだが、キックボクシングに出会うまでは波瀾万丈。笑顔の裏に隠した「人生の挫折」を初めて明らかにする。






「長距離で一番になる夢」を疲労骨折で断念。
「生きてる意味も分からなくて、フラフラしてました」



 リングネーム「ぱんちゃん」はアニメ「ドラゴンボール」の主人公、孫悟空の孫娘「パン」に似ているとよく言われたことから。
「スーパーサイヤ人の血が入っていて、生物として強いと思って、このリングネームにしました(笑)」
 ひたすら強さを追い求め「デビューから1年後には日本のトップレベルになる」と目標を掲げるぱんちゃんだが、STRUGGLEに入門し、本格的にキックボクシングを始めてまだ2年。
「2年前の3月1日に入門しました。それまでは将来の夢とかもなくて、何をしていいか分からなかった時期が長かったんですけど、この2年間はとっても濃かったです(笑)」

 大阪府豊中市生まれ。2歳上の兄と1歳上の姉がいる。
「末っ子で超甘やかされました(笑)。わがままに育って、こんな感じになりました(笑)」
 子供の頃からスポーツ大好き。5歳から始めた水泳は10年間続けた。
「アトピーだったので症状がひどい時だけは行けなかったんですけど、それ以外はずっと泳いでました。でも、元々体が細くて、体脂肪率が8%しかないので、体が全然浮かないんです(苦笑)。水泳は体が大きくて脂肪もないとダメなので、あまり向いているスポーツではなかったです」

 受験して大学の付属中学に進学。そこでも水泳部に入ったが、その才能はまったく違う競技で開花する。
「中学校のマラソン大会では、学校の歴代の記録を3年連続で塗り替えました。そうしたら陸上部から推薦が掛かって、中3の9月から陸上部に転向したんです。『本気で一番を目指そう!』と思って、朝も夜も走っていたら、中3の冬から9か月間、シンスプリント(*脛骨過労性骨膜炎。スネの内側に激しい痛みを伴う)の痛みで苦しみました」

 激しい痛みを我慢して走ったが痛みは増すばかり。とうとう我慢も限界に来て病院に行くと、医師の診断は「疲労骨折している。しばらくは運動禁止」だった。陸上に打ち込んでいただけにショックは大きかった。
「まだ若かったので、それで挫折してしまって。スポーツしか取り柄がないのにそのスポーツが出来なくて、友達もあまりいなかったので学校に行かなくなって、自然と辞めていました。今思うともったいなかったなって思います。
 私は体の成長が遅くて、18歳以降に成長したんです。キックを始めたら身長が3センチも伸びましたし(笑)。
 高1の頃は体重が40キロしかなくて、その体で毎日30キロ走っていたので(苦笑)。期待をかけられた分、頑張って練習したんですけど、まだハードな練習に耐えられるだけの体が出来ていなかったんです。その頃は『オーバーワーク』という言葉も知らなくて、疲労骨折は練習のしすぎだったと思います」

 子供の成長は個人差が激しい。まして、3月生まれのぱんちゃんは同学年の子供と比べても最大で1年近いハンデがあるのだから、体の成長に合わせた指導が必要だった。
 熱血スポーツ少女は、スポーツという自分の軸を失い、学校を辞めて、人生の迷路に迷い込んでしまう。
「本当にスポーツだけだったので……。目標がないと生きてる意味もなかったし、友達があまりいなかったので誰かと遊ぶこともあまり出来なくて。
 引きこもった時期もありましたし、アルバイトしてた時期もあったし。17歳から一人暮らしをしてみたり、他の場所に住んでみたり、ずっとフラフラしてた感じですね。
 それで21歳の時に『このまま大阪にいてもダメになっちゃう』と思って、心機一転、誰もいない場所で一からやり直してみよう、と思って東京に来ました」






STRUGGLEでキックの面白さに目覚めた。
「これをやるために生まれてきたって思っちゃって(笑)」



 働きながら「スポーツがやりたい」と様々なことに挑戦する中で「格闘技」に出会う。これが転機となった。
「最初は『大人のバック転教室』とか『アクション教室』とか2つぐらい、週6で通ってました(笑)。アクション教室ではいきなり先生とボクシングのスパーリングをすることになったんです。先生は素人の方だったんですけど、ボコボコにされたんですよ(笑)。それがちょっと楽しくて、蹴りも綺麗に蹴れるようになりたくなって、六本木のフィットネスキックボクシングジムに通ううちに『本格的にやってみたい』って」

 スポーツ少女の血が騒ぎ、押上のSTRUGGLE(ストラッグル)に入門したのは2年前の3月1日。最初はエクササイズ会員だったが、すぐに「本格的にキックボクシングをやって、試合をしたい」と思うようになる。
「ある時『私はこれをやるために生まれてきたんだ!』と思っちゃって(笑)。陸上からすごく時間が空いてしまったんですけど、やっと『これ』というものに出会ったんです。
 それで(鈴木秀明)会長に言ったら『ああ…』って反応でした(笑)。それから2か月間、毎日練習に通ったら『本気なんだな』って思ってくれて『試合に出てみな』って。その翌日に足を骨折してしまったんですけど『パンチだけで倒そう』と思って、J-NETの新宿フェイスの試合に出て勝ったんです。勝ち名のりを受ける時の光景が、泣いてしまったぐらい感動して……。『本気でプロを目指そう!』って決めました」

 「これ」と思うと即行動。この2年間の間にタイ修行を5回敢行して本場でムエタイの技術を学び、長身と長い手足を武器に数々のアマチュア大会を制覇した。
 そろそろプロデビューを、と考えていた時、REBELSから「パンクラス・レベルス・トライアウト」の話が来る。
「昨年8月のKAMINARIMONで優勝して、会長から『試合のオファーが来てるけどどうする? 9月にプロデビューする?』と聞かれたんです。でも8月にいい試合が出来なくて、まだプロデビューする自信がなくて。『もう少し待ってください。年末ぐらいにデビューしたいです』って。
 そうしたら、たまたま『トライアウト』のお話をいただいて。最初は『11月ぐらいにデビュー』と聞いていて『こっちに出たい!』と思ったんです」

 9月の記者会見で「パンクラス・レベルス・トライアウト」が発表された。その後、同月のアマチュア大会で優勝し、11月にはタイで防具なしのプロルールの試合を経験した。
「9月と11月の試合では技が出るようになったので自信が付きましたけど、一緒に練習したり、試合をした女子選手たちがどんどんプロデビューしているので焦りもありました。最初は『11月』と聞いていたトライアウトの試合が3か月も伸びてしまって。『5か月後? その間に何戦も出来るのに!』って。正直、イライラはしていて」

 ぱんちゃんと川島は、TOKYO MXのスポーツ情報番組「BE BOP SPORTS」にそれぞれSTRUGGLEとクロスポイント吉祥寺から生中継で出演。練習の様子やインタビューが放送されて注目が集まったが、プレッシャーはぱんちゃんの方が大きかった。
 アマチュア大会での実績や、体格面とフィジカルでの優位など、下馬評は圧倒的に「ぱんちゃん有利」だったからだ。それだけに、デビュー戦から「絶対に負けられない戦い」として臨まなくてはならなかった。
「『負けたらどうしよう?』はありました。相手がプロで何戦もしてるなら、たとえ負けても『次に頑張ろう』と思えますけど、アマチュアで1回試合して勝ってて、その後も私の方が絶対に練習してるのに『これで負けてしまったら自信も無くなる』と思って。  でも、格闘技は100パーではないし、川島選手はパンチがあるのでラッキーパンチでダウンを取られたら、という不安もあって。だから、記者会見では大きいことを言ったかもしれないです。『絶対いける、絶対いける』って自分に言い聞かせてたので」

 そうして、ぱんちゃんが会見で「何もさせずに圧倒します」「倒します」と発言するたびに「大人の女性が女子高生をいじめてる」ように見えて「ヒール(悪役)・ぱんちゃん、ベビーフェイス・川島さん」という構図が出来上がった。ぱんちゃん自身、その自覚はあったという。
「私がヒールになってるのは分かってました(笑)。会長にも『今回岡本さんは完璧にヒールキャラの立ち位置だから、最初はそっちの方が注目して貰えるからいいよ』って言われました(笑)。川島選手は『純粋な良い子』だし、私は性格もそんなに良くないので(笑)。演じてるわけではなくて『素』なんです。
 記者会見で『圧倒します』というのは、自分で『しなきゃダメ』って思ってましたし(笑)。普段から『絶対に倒してやろう』と思って練習してて、対戦相手が決まった瞬間から『ぶっ倒したい』と思うから、相手にも伝えたいな、って(笑)」






6オンスグローブで殴った衝撃と、殴られた痛み。
それでも「女子アトム級の頂点に立ちたい」



 初めてのプロのリングでは、それまでに味わったことのない「感触」を経験した。
「初めて6オンスグローブで殴ったんですけど、ストレートが当たった瞬間『相手の骨』が分かったんです。もうびっくりしてしまって(苦笑)。タイでの試合は8オンスで、もう少し大きくて。6と8は全然違いました。それでも川島選手は倒れなかったですからね。ただ、試合後に見たら顔が腫れていたので『殴ってごめんね』って思いました。5か月間、ずっと『ぶっ倒してやろう』だったので、やっと解放されて、仲良くできるのかな、とも」

 とはいえ、試合の内容は反省点が多かった。
「試合前に(梅野)源治さんにずっと『落ち着け、距離を取って』って100回ぐらい言われてたので(笑)。最初の1分は『落ち着け』って言い聞かせながら戦えたんですけど、顔面前蹴りでダウンを取ったら『いける!』って思っちゃって、そこから真っ白になりましたね。2ラウンド目はぐちゃぐちゃで、3ラウンド目はまた落ち着きを取り戻して試合が出来たんですけど」

 川島の必死の反撃も、想定内だった。
「自分が打ち合いたいタイプで、打ち合う時は前重心で『自分は殴られても絶対に倒れない。殴られてもいいから、先にダウンを取ってやろう』と思って殴ってます。だから川島選手の攻撃で『危ないな』と思った攻撃はなかったですけど、あんなに喰らうとは思わなかったです、フフフ。川島選手の右ストレートを何発か喰らって、鼻は10日間ぐらい痛かったです。
 試合では本当に技が出せなくて。膝も練習したし、回転技とか飛び技も練習してたのに焦ってしまって。前蹴り、ミドル、ワンツーしか出なくて、力んでしまってパンチを打つ時も距離が短すぎて、威力が出ないし。
 会長からは『勝てたのはよかったけど、まだまだこんなもんじゃないから。力を全然出せてない』って。それを聞いて、ちょっと救われました」

 試合が地上波ゴールデンタイム生中継で放送されて、試合後の反響は大きかった。
「周りの方も初めて私の試合を見てくれて『本気でやってると思わなかった』って言われたのと『川島選手の気持ちが強くて感動した』って(笑)。でも、みんなに『階級が違うよね』と言われて、それはアマチュアの時から言われるんですけど……」

 ぱんちゃんが希望した体重は46キロ。試合の契約体重47.5キロは川島に合わせたものだった。
「私はデカく見えるみたいですけど、一応、女の子なので『デカい』と言われるのは(苦笑)。足が細くて肩幅があるのと、脂肪がないから筋肉でデカく見えるんだと思います。
 普段は朝起きた時で49キロです。だから前回は食事を変えず、直前に水分だけ1.5抜いて。次のSae選手との試合は45・5キロ契約なので、4キロ近く減量があってキツいですけど、試合になるとまた『どれだけ減量してるの?』と言われるんでしょうね(苦笑)」

 ぱんちゃんが目指すのは、女子キックボクシングのアトム級(46キロ)の頂点。そして「あの選手」との試合。
「キックボクシングに出会った時、ビビビって来ちゃいました(笑)。ただ頑張ればいいだけじゃなくて、テクニックも必要、頭も必要、才能も努力も、身体能力もすべている。こんなに難しいスポーツはないだろうなって思いますし、キックボクシングは本当に面白いです。
 いずれ那須川梨々ちゃんとやりたいですね。アマチュアの時に試合を見てるんですけど、手数とか圧力とかあって強いので。一番尊敬しているのが天心選手なので、いつか妹さんとやりたいです。
 まだプロでは弱い方なので、1戦ずつキャリアのある選手に勝っていって、いずれREBELSで女子アトム級のトーナメントをやって貰いたいです。タイトルマッチというよりか、何人か選手を集めて貰ってトーナメントをやれば、比較で『自分の方が強い』って見せれると思うので。
 そのためにも次の試合は何が何でもKOしたいです。Sae選手は記者会見で顔を合わせたらとても優しそうな方なんですけど、当日は関係なく倒しにいこうと思ってます。
 Sae選手の試合の動画を見たらずっと首相撲でしたけど、私も首相撲は毎日やっているので、首相撲の勝負になったらぶん投げたい、って思ってます(笑)。今回こそ倒して勝ちたいので、ぜひ応援をよろしくお願いします」

プロフィール
ぱんちゃん璃奈(ぱんちゃんりな/本名:岡本璃奈)
所  属:STRUGGLE
生年月日:1994年3月17日生まれ、25歳
出  身:大阪府豊中市
身  長:164cm
戦  績:1戦1勝。KAMINARIMON全日本2018・47㎏優勝、Girls Bloom Cup50㎏優勝

勝次(かつじ)インタビュー

インタビュー

公開日:2019/3/19

取材・撮影 茂田浩司

「蒲田のロッキー」勝次、知られざる「苦悩と失意の8年間」を語る。
~28歳で初戴冠、30歳でブレイクまでの軌跡

 4月20日(土)、東京・後楽園ホールで開催される「REBELS.60」のメインイベントは「ニンジャ」宮越慶二郎対「蒲田のロッキー」勝次。NJKFと新日本キックボクシング協会のエースがREBELSのリングで激闘するのだ。団体間の交流が急加速し「昔ならあり得なかった試合」が可能な時代を先取りした「夢の対決」の実現である。
 老舗・新日本キックの大看板を背負う勝次は、REBELS初参戦に燃えている。
「新日本キックボクシング協会はキックボクシング発祥の団体。だからこそ、他団体との戦いでは強さを見せつける責任があります。REBELSファンに『新日本キックの強さ』を見せます!!」
 勝次は、今でこそキックファンなら誰もが知る存在だが、初戴冠は28歳、KNOCK OUT初代ライト級王座決定トーナメントでの激闘の連続でブレイクしたのが30歳。格闘技界でも珍しい「遅咲きの男」である。実は、勝次は初めてチャンピオンベルトを巻くまでに「苦悩と失意の8年」を経験している。「蒲田のロッキー」が「引退寸前まで追い詰められた暗黒時代」を初めて告白する。






人生の指針を示してくれた父の死。
「親父の墓前にチャンピオンベルトを持っていく。
そうしなければ自分の人生は始まらない」



 勝次は1歳上の兄との二人兄弟。父は兵庫県で建設業を営み、バブル期は莫大な売り上げを上げて会社を急成長させた。だが、その後にバブルは崩壊し、株式市場は大暴落。父は、それまでに築き上げた資産を一気に失ってしまった。
「親父は株式投資で大損したらしくて、詳しく知らないんですけど、噂では『100億負債を抱えて、100億返した』そうです(苦笑)。今は兄が兵庫で建設業と不動産業をやっていて、最近は運送業も始めました」

 小中はサッカー少年。中学時代に見たテレビ番組「ガチンコファイトクラブ」で興味を持ち、高校から近所のキックボクシングジムに通い、アマチュアの試合に出て、タイ修行にも行った。
 そんな勝次に、父はいつもアドバイスを送ってくれた。
「ずっと『選手寿命よりも引退した後の方が長いんだから、そのことを考えながら選手生活を送りなさい』と言われてました。高校を卒業して専門学校に行ったのも親父の勧めです。専門学校でスポーツ、フィットネス、経営のことを勉強しました」

 高校時代にタイで開催されたアマチュアムエタイ世界大会に参戦した際、キック人生を変える出会いがあった。
「藤本ジムの鴇(稔之)さんが日本チームの団長で、参加していた石井達也さんと内田雅之さんにウォーミングアップでマススパーをして貰ったんです。そうしたら、僕の攻撃なんてなんも当たらないんですよ(苦笑)。『東京の選手はこんなにレベルが高いのか』とショックを受けていたら、一緒にタイに来ていた親父に『これからは鴇さんについていけ。東京に行ってこい』と言われて。専門学校を卒業して、二十歳の時に上京しました」

 藤本ジムに入門したが、当時はまだ簡単に考えていた。
「『1、2年でトップランカーになって、3年で兵庫に帰ろう』と思っていたんです。でも最初の頃は引き分けばかりであだ名は『分け次』、負けたら『負け次』と言われてました(苦笑)」

 なかなか勝てずに苦労していた頃、実家の母親から緊急の連絡が入った。
「上京2年目に母親から『お父さんにガンが見つかった。兵庫に帰ってこないといけないかもしれない』って。でも、その頃はキックを辞めることは考えられなかったし、このままやめて帰ったら東京に送り出してくれた親父にも顔向けできない、と思って。
 親父が一番応援してくれたし、レールじゃないですけど親父が『指針』を示してくれて『そこに向かって頑張ろう』と思ってやってきたんで」

 勝次は、ここで腹を決めた。
「チャンピオンになろう、親父にチャンピオンベルトを持っていこう、と決めました。それからもっと性根を入れて練習するようになって強くなりましたね」

 この時、21歳。だが、勝次にとっての辛く、厳しい試練はここから始まった。

 当時、新日本キックのライト級チャンピオンは同じ目黒藤本ジムの石井達也だった。
「達也さんがチャンピオンになった時は、一緒に練習してる先輩ですから本当に嬉しかったです。1年経って、達也さんが防衛した時も『よかった』だったんですけど、2回目に防衛した時はさすがに『俺にはいつチャンスが回ってくるんだろう?』と気づきました(苦笑)。同門対決はできなかったんで、達也さんがチャンピオンでいる限りは何年も待たなくてはいけなくて」

 悪いことは重なる。偶発的なトラブルに巻き込まれて、大怪我を負って入院。その入院中に父親の容態が悪化する。
「『親父が危篤』という連絡を受けて、すぐに退院して1か月間看病しました。親父は『余命3年』と言われながらも闘病して、頑張ったんですけどギリギリで3年持たずに亡くなりました。
 その時に『親父の墓の前に、新日本キックのチャンピオンベルトを持っていく』と誓ったんです。それをしないと自分の人生は始まらないな、と思って。導いてくれた親父に少しでも恩返ししないといけないんで、練習にも一層気合いが入りましたし、そっからまた強くなったんですよ」






何度も挫折を乗り越えて掴んだチャンピオンベルト
「長くて苦しかった。でも頑張る力は誰にも負けない」



 とはいえ、同門の石井がチャンピオンでいる限り、勝次にはタイトルマッチに出場する機会すらない。
「どうしたらアピールできるかを考えました。それで、興行のためにチケットを売る、熱い試合をして興行を盛り上げる、みんなから『達也さんより勝次の方が強いんじゃないか』という声が出るようにする。この3つを徹底的に頑張ったんですよ」

 今でこそ勝次が出場する大会には客席を大応援団が埋め尽くすことで有名だが、その始まりは自身のタイトルマッチ出場のための懸命なチケット営業だった。
「熱心じゃない選手もいますけど、僕はチケットの営業は生きるためにやってきたし、自分をアピールするためでもあったんで、まったく苦じゃないんですよ。
 その頃はめちゃめちゃ貧乏でした。ただ、そういうことは一切言わなかったんですけど『お金のない雰囲気』が自然と伝わってたのか(苦笑)、よく初対面の人にご飯をご馳走になってました。『いつでもご馳走するから』って言って貰ったり『応援するよ』ってスポンサーになって貰ったり。そうしていくうちに、チケットを買って応援に来てくれる人たちが少しずつ増えていったんです」

 懸命にチケットを売り、試合で結果を出した。それでも、なかなかタイトルマッチのチャンスは見えてこない。
 ある時、とうとう勝次の思いが爆発する。
「試合に勝って、思わず『伊原代表! 僕にチャンスをください!』ってアピールしたんです。イコール同門対決ですから、そっからジム内でギクシャクしましたね(苦笑)。達也さんとのスパーリングは殺し合いになりました。
 僕も思いっきり拳を握ってて、お互いに血を出しながら殴り合うので、見かねた先輩が『おーい、大丈夫か』って止めに入ってくれたこともありましたよ」

 2014年、石井が怪我のために王座返上。勝次の王座決定戦出場が決まった。4年待って、ようやく得たタイトルマッチのチャンス。しかし、勝次の初戴冠は一人の「天才少年」に阻まれてしまう。
「プロになって初めてのタイトルマッチで、応援団も初めて300人を越えて。『お待たせしました、やっと日本チャンピオンになれます!』って言っていたら、まだ19歳の翔栄(治政館)に判定で負けてしまったんです。応援団全員をがっかりさせてしまって、あの時は言葉がなかったですね……」

 翔栄は当時、キック界で注目を浴びた「晴山兄弟」の弟。ジュニアの時代から兄の雄大と共に「次世代のエース」と注目を浴びる存在だった。
「あの兄弟はすごくて、揃ってアマチュアムエタイ金メダル、K-1甲子園優勝、そして新日本キックのベルトも獲りました。特に翔栄は、那須川天心君の前の、初代『ジュニアのカリスマ』ですね。本当に強くて、同世代の子は誰も勝てなかったんで」

 しかしながら、格闘技は非情な世界だ。勝次の初戴冠を阻んだ「天才少年」翔栄の選手生命は、タイトルマッチでの勝次の一撃で絶たれてしまった。
「タイトルマッチの4ラウンド目に、思い切り右ストレートが入ったんです。クリーンヒットして、手応えもあって『よっしゃ!』と思ったんですけど、翔栄は効いている素振りを一切見せなかったんです。それを見て、僕もそれ以上は深追いできなかった。
 判定で負けて、控え室に行ったら翔栄が寝そべって頭を冷やしながらぐったりしているんです。『あれ、ダメージはあったんだな。試合中にダメージ出してくれよ』と思ったんですけど……。
 その何日後かに脳内出血が見つかったそうで、ドクターストップで彼は引退、せっかく獲ったベルトも返上になりました。僕はその1年後にタイトルマッチが組まれて、翔栄には『俺が獲るからな』って伝えて、ようやくベルトを獲りました」

 2015年3月15日、王座決定戦を制して悲願の日本ライト級チャンピオンを獲得。上京から8年、28歳での初戴冠だった。
 父の墓前にチャンピオンベルトを供えて、ようやく勝次は「苦悩の時代」にピリオドを打った。
「タイトルを獲るまでは本当に長くて、苦しかったです。再起不能になるかもしれないぐらいの大怪我をして、親父が亡くなって、賭けていた大事な試合に負けたり。現役引退が頭をよぎることもありました。
 だけど、そういう経験をして、乗り越えてきたからこそ、今、根性と目標に向かって頑張る力だけは絶対に、誰にも負けない自信があります」






REBELS初参戦で熱い試合を見せて、
新日本キックの強さを証明します



 勝次の名前を一躍、キック界に知らしめたのが2017年に開催された「KNOCK OUT初代ライト級トーナメント」だった。
 1回戦で優勝候補の不可思、準決勝では前口太尊と「倒し倒され」の激闘を展開。「新日本キックの勝次」の名を一躍、格闘技界に知らしめた。ダメージの蓄積もあり、決勝戦では森井洋介に敗れて凖優勝に終わったものの、イベントを盛り上げた勝次こそトーナメントMVP級の活躍だったといえよう。
「KNOCKOUTのトーナメントは『これで人生を変えるんだ』と覚悟を決めて、あのとっても狭いリングで(苦笑)目一杯殴り合いました。ダメージも相当負ってしまったんですけど、見に来てくれた応援団の人たちも喜んでくれましたし、応援してくれる人も増えました。
 僕は目標に向かって頑張っているだけですけど、チケットを買って応援に来てくれる人たちは、勝ったらものすごく喜んでくれますし、負けたら一緒に悔しがってくれるんです。そういう時は『キックボクシングをやっててよかった』と思います」

 今の目標は「WKBAのベルト」。3月の王座決定戦ではノラシン・シットムアンシ(タイ)の老獪さの前に、思うような攻撃を当てられず、延長の末に敗れた。
「前蹴りとコカしの上手さにやられました。最初に僕が踏み込む時のタイミングを読まれて、少し変えたりしたんですけど大きな修正ができなくて……」
 関係者によれば、勝次は試合前にコンディションを崩し、万全とは程遠い体調で試合に臨んだという。にもかかわらず、延長の6ラウンドまで戦い抜いたのだから、さすが「ド根性の男」だ。
「言い訳になるので言いたくなかったんですけど……、タイでの練習最終日、ペットモラコットに『勝次、来い!』と言われて予定外の追い込み練習に付き合って。そこで風邪を引いてしまって、帰国してから体調不良のまま4日で7・5キロ落としたんです。試合では全然動けなくて、悔しい負けでした。『次こそは』という思いが強くて、早くリベンジさせてください、と伊原代表にお願いしているんです。
 伝統あるWKBAの世界チャンピオンとしてREBELSに初参戦する予定で、本当に悔しかったんですけど、試合前からこの宮越戦が決まってたので、すぐに気持ちを切り替えました。
 僕は、他団体に出場する時『キックボクシング発祥の団体、新日本キックの強さを見せる』と決めてて、それは今回も変わらないです。タイでペットモラコットやペッタンたちトップ選手と練習して、ムエタイ特有の体をコントロールする技術や攻防の技術をたくさん学ぶことができたんです。そういう新たな面も見せたいですけど、きっと宮越選手とは殴り合いになると思うんですよ(笑)。
 KNOCKOUTのトーナメントで僕を知った人は『熱く、激しい闘い』を期待してると思いますし、宮越選手とならその期待に応えられると思うんです。僕も、気合いと根性の戦いになれば誰にも負けない自信がありますし、REBELSのファンの方に『さすが新日本キックのチャンピオンは強いな!』と言わせます。ぜひ期待してください」

プロフィール
勝次(かつじ/本名:高橋勝治)
所  属:新日本キックボクシング協会・藤本ジム
生年月日:1987年3月1日生まれ、32歳
出  身:兵庫県三木市
身  長:172cm
戦  績:60戦40勝(16KO)13敗7分。新日本キックボクシング日本ライト級王者

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