スアレック・ルークカムイ選手 インタビュー公開!

インタビュー

公開日:2017/8/21

2017年9月6日(水)に後楽園ホールで行われます「REBELS.52」にて梅野源治選手と対戦いたします、「超攻撃型ムエタイ」スアレック・ルークカムイ選手&友里夫人のインタビューを公開させていただきます。

「こんなチャンスはないです。梅野に勝ち、有名になりたい」

聞き手・撮影 茂田浩司


 9月6日(水)、東京・後楽園ホールで開催される「REBELS.52」で梅野源治と対戦する「超攻撃型ムエタイ」スアレック・ルークカムイ(スタージス新宿ジム/元ラジャダムナンスタジアム・フェザー級7位)。
 2011年~12年、ムエロークを主戦場に在日タイ人4選手によるワンデートーナメント「ムエローク杯59kg級ムエマラソンJapan2011」優勝、カノンスック・ウィラサクレックに2戦2勝してM-1ライト級王座を獲得するなど活躍。タイに戻り、バンコクの禅道会・心技(しんぎ)道場でトレーナーを務めた後、15年11月に再来日。スタージス新宿ジムでトレーナーをしながら、REBELSに参戦。雷電HIROAKIや前口太尊に勝利し、現在はREBELS-MUAYTHAIスーパーライト級王座決定トーナメントに参戦中。6月11日のREBELS.51では同トーナメント1回戦でピラオ・サンタナ(ブラジル)に鮮やかなカウンターを決めて1RKO勝利。ベルトに最も近い存在であることを示した。
 そのスアレック、かねてから「日本のキックボクシングで有名になりたい」と発言していた。その真意は何か。日本語の堪能なスアレックだが、もっと突っ込んだ話が聞いてみたいと思い、友里(ゆり)夫人に同席していただくことに。夫婦揃っての取材は今回が初めてだという。
 「超攻撃型ムエタイ」スアレックの意外なプロフィールと「有名になりたい」との思いとは。




<バンコクで知り合って結婚。今春から東京で同居>

 大阪で英語の教員をしていた友里さん。文部科学省の海外派遣でタイに渡り、バンコクの日本人学校で英語を教えていた。
 スポーツが好きで「タイのスポーツをしてみたい」と思っていたところに、禅道会心技道場のムエタイクラスに通う同僚に誘われて、体験に行き、トレーナーをしていたロンさん(スアレック)に出会った。
 友里さん「ロンさんは人をちゃんと見ていて、ダイエット目的の人、選手とまでいかなくても『強くしてあげよう』とする人、と区別して教えてあげてて、凄いなって。会って1か月ぐらいで交際を始めました」
 スアレック「(夫人は)優しいです。結婚してからも全然変わらなくて、出会ってから一度も喧嘩をしたことがないです。僕はちょっと短気ですぐ怒るけど(笑)、彼女は大人だから」
 友里さん「職業柄、いろんな生徒を見てきているので、許してしまうというか(笑)。働いているうちにそうなりましたね(笑)」
 スアレックは15年11月に再来日。夫人は16年3月までタイで教え、帰国後は勤務先の大阪に戻った。
 友里さん「学校には、タイに2年間行かせていただいて、帰国してすぐ『辞めます』とは言えなくて。私が月1で東京に来る生活を今年3月まで続けて、退職して東京に来ました。ロンさんが大阪に来る、という話もあったんですけど、見てたら『これは来そうもないな』と思って(笑)」
 スアレック「大阪は友達もいないし、山ばかりでしょう(笑)」
 友里さん「私は岸和田なんですけど、山を一つ越えると和歌山県なんです(笑)」
 スアレック「東京には友達がいっぱいいます。サポートしてくれる人も東京にたくさんいますから」
 友里さん「しょうがないなあ、と私が東京に来ました(笑)。ロンさんが将来、ジムを開くにしても東京にいた方がいいし。私は教員免許を持っているので、仕事は東京でも出来ますから。講師登録をしたらお話がきて、今、都内の高校で英語の講師をしています」
 友里さんのタイ語力は「日常会話には困らないぐらいですけど、ロンさんの通訳は出来ます(笑)」とのことで、友里さんに協力いただきながら聞き出した「超攻撃型ムエタイ」スアレック・ルークカムイの知られざる経歴と、梅野源治戦の戦略などを紹介しよう。


<八百長の誘いを断り、ムエタイを引退。不完全燃焼のスアレックが日本でキックボクシングに出会い「ここで有名になりたい」>

 スアレックは異色のムエタイ戦士だった。
 通常、ムエタイ戦士の多くは田舎のジムでムエタイを始め、大手のジムに才能を見込まれて、スカウトされてバンコクへ、という道を辿る。だがスアレックのムエタイ人生は「家出」から始まった。
「実家はウボンラチャタニー県で畜産や農業をしています。お父さんは土地をたくさん持っていて、僕は6人兄弟の5番目。他の兄弟は真面目にお父さんの仕事を手伝っていますよ。でも、僕は『中学を出て、21、22歳で出家して、結婚して、仕事して』という決められた人生が嫌だった。ムエタイは12歳から始めて、もっと自由にやりたい、と思って、16歳の時に家出して知り合いのいるシットヨートンジム(パタヤ)に入りました」
 最高位のラジャダムナンスタジアムフェザー級7位になったのは「18歳か19歳」。その後、BBTV(テレビマッチ)に出場するようになって顔が売れて、田舎の父親から大目玉を喰らうこともあったという。
 やがて、スアレックは深刻な問題に直面するようになる。戦うことが好きなのに、純粋に戦えなくなったのだ。
「計量が終わって『お粥、何も入れないで』と言ったのに、食べたら変な味がする。でもお腹が空いてて食べてしまったら、その後はずっとトイレ(苦笑)。変な薬を入れられたのだと思う。その時は一杯練習していたのに、3Rになったらスタミナが全然無くなってしまって負けた。あと『お金をあげるから、わざと試合に負けないか?』と一杯言われました。それが嫌で『じゃあ辞めます』と言って23歳で引退したんです」

 24歳の時に初来日。トレーナーをしながら試合に出場した。2011年、田中秀和とヤスユキに負けたが、12年のカノンスック・ウィラサクレック戦は2戦2勝。
「相手が日本人だと舐めてて、ほとんど練習していなかったです。カノンスックの時は一杯走りました(笑)。やっぱり『先生、弱いね』と言われたくないから、勝って、強いところを見せたい」
 2015年11月に再来日。16年5月、J-NTWORKでの翔・センチャイジム戦では相手の顔面をヒジで大流血させて3RTKO勝利を収めた。
「久しぶりの試合で、最初にヒジで切られて『あららら』って(笑)。でも切り返して勝ちました。私は『チャイスー』(タイ語で強い心)があるから、ヒジで切られようが全然問題ないです」
 スアレックは「ムエタイと、日本のキックボクシングはまったく違うもの」という。
「タイはみんな賭けをしてる。日本のキックボクシングはみんな試合を楽しみに来てる。だから、日本ではみんなが楽しいと思う試合を見せたい」
 そのために、毎朝のランニングと、ジム始業前の1時間のウェイトトレーニングを欠かさない。「スタミナと、パンチのパワー」が「日本人が喜ぶ試合をする秘訣」だと考えているからだ。
 現在のスアレックの最大のモチベーションは「ジムのみんなの応援に応えること」だという。
「スタージス新宿ジムのみんなが応援してくれて、自分がやりたいことをやらせて貰ってます。練習でもジムのみんなが協力してくれて、僕の蹴りが重たいので体の大きな人がミットを持ってくれたり、みんなでスパーリングの相手をしてくれたり。僕もタイ料理が上手いので『練習に来たら、食べさせてあげるよ』と誘ったり(笑)。ジムでは先生だから、先生が弱いと格好悪いし、情けない。ジムの生徒や会員さんには『先生は強い』と思ってほしいし、僕も日本で活躍して有名になりたい。それに、僕が活躍すれば『スタージス新宿ジム』ももっと有名になるでしょう? 勝って、ジムのみんなを喜ばせたい」  そのために「大きなイベントにも出てみたい」と思っていた。そこへ、今回REBELSから「梅野源治戦」のオファーが舞い込む。


<梅野に勝てば有名になれる。こんなチャンスはない>

「この試合、僕は負けたら普通、勝ったら有名(笑)。逆に、梅野は勝ったら普通、負けたら大変なことになるよ(笑)。そう考えたら、僕にとってチャンスだし、試合がとても楽しみ(笑)」
 「梅野に勝った超攻撃型ムエタイ」となれば、本当にK-1やKNOCKOUTからオファーが来るかもしれない。そういうと、スアレックは目を輝かせた。
 友里さん曰く「ロンさん、よくK-1をAbemaTVで見ながら『いいな~、いいな~』って言っているんですよ」。
 とはいえ、梅野が大変な相手であることはスアレック自身もよく分かっていて、すでに戦うための準備を始めている。
 ちょうどジムがお盆休みに入ることもあり、スアレックは帰国して8月13日~31日の約2週間、タイで合宿を敢行。しっかりと自分の練習に専念する。
「梅野、めっちゃ練習しているから(苦笑)。僕もどれぐらい出来るか、タイでしっかりと練習してやってみたいです。
 梅野の攻撃で警戒しているのはヒジです。緊張するから試合の映像はまだ見てないけど(笑)、タテヒジとか上手いな、という印象があります。だから最初は少し様子を見て、2、3ラウンドからはいつもの僕のペースで攻めていきます。
 梅野のパンチはそんなに重くない。僕の方がパワーはあるね。あと、梅野はパンチが大きい。僕はショートで打てるのでパンチは僕の方が先に当たります。
 ショートのパンチは、タイにいた時によくテーパリット(亀田大毅や名城信男に勝利)とボクシングのスパーリングをして覚えました。あと、ジムのフランス人トレーナーに教わったり。ボクシングの試合を見るのも大好きで、パッキャオの打ち方を見て勉強したりもしています」
 タイではMMAの試合も経験。将来的にはMMAで戦うこともしてみたいという。根っからの格闘技好きなのだ。

 友里さん「タイに土地も買ってあって、50歳とかでリタイアしたらタイに帰ろう、って話してます。今のうちに苗を植えておいて、世話はロンさんの兄弟がやってくれるそうなので」
 スアレック「タイだとゆっくり出来ます(笑)。でも、まだまだ日本にいますよ。今はキックが面白いから。知り合いに『ロンさん、ONE FCなら行けるよ』と言われたこともありますけど『先にキックをやります』と言いました。僕、頑固だから(笑)」
 友里さん「MMAはもっと年を取ったらやる、と言ってますね。寝技ありだと休憩できるから、って(笑)」
 スアレック「MMAのグローブはとても小さいから、僕が思い切って殴ったらみんな一発で倒れちゃう(笑)」

――怪我をするから、そろそろやめてほしいな、とは思いませんか?
友里さん「心配ですけど、強いのも知ってますし、言っても頑固だから(笑)。大きな怪我をして、もし後遺症が残ってしまっても一緒にいるからいいか、と思ってます。私も経済力がないわけではないので、好きなだけやって貰ったらいいと思います」
スアレック「ありがとうございます(笑)」
友里さん「心配なのはお酒だけね(笑)」
――毎日飲むんですか?
スアレック「試合がないと毎日飲んでます(笑)。でも、いつもは試合の2週間前から飲まないですけど、今回は1か月前から飲んでいませんよ。梅野はアゴが弱いから、僕のパンチかヒジで倒して有名になりたいです。もっと大きな会場でも試合がしてみたい」


 ちなみに、スアレックがしきりに「有名になりたい」というのは、理由がある。かつて、彼のプライドが酷く傷つけられることがあり「有名になって、見返したい」という思いがあるのだという。
 圧倒的な攻撃力でチャンピオンクラスを倒してきたスアレックだが、とてもクレバーで、観察力があり、相手の分析に長けた人、という印象を受けた。
 「超攻撃型ムエタイ」スアレックは「日本の至宝」梅野源治をどう攻略しようというのか。一瞬たりとも目が離せない、スリリングな戦いになることは間違いない。

○プロフィール
スアレック・ルークカムイ
所  属:スタージス新宿ジム
生年月日:1986年5月16日生まれ
出  身:タイ
身  長:166cm


梅野源治選手 インタビュー公開!

インタビュー

公開日:2017/8/17

2017年9月6日(水)に後楽園ホールで行われます「REBELS.52」にてスアレック・ルークカムイ選手と対戦いたします、梅野源治選手のインタビューを公開させていただきます。

「もう一度、本物が競い合うあの舞台へ」

聞き手・撮影 茂田浩司



 「日本の至宝」梅野源治がREBELSに帰ってくる。
 9月6日(水)、東京・後楽園ホールで開催される「REBELS.52」に前ラジャダムナンスタジアム認定ライト級王者、梅野源治(PHOENIX)が出場し、スアレック・ルークカムイ(スタージス新宿ジム/元ラジャダムナンスタジアムフェザー級7位)と対戦する。昨年10月23日の「REBELS.46」でラジャダムナンスタジアム認定ライト級王座を奪取し、ムエタイ史上7人目の外国人王者となって以来の、約11か月ぶりのREBELS凱旋である。
 梅野は現在、プロ初の2連敗中。だが、ただの負けではない。今年4月のKNOCK OUT vol.2では、強豪ロートレック・ジャオタライトーン(元BBTVスーパーフェザー級王者)と壮絶な削り合いを展開。惜しくも判定負けを喫したものの、関係者の間では「日本人でロートレックとあそこまで競った試合を出来るのは梅野だけ」と高い評価を得た。しかし、その代償は大きく、5月のタイ国ラジャダムナンスタジアムでの初防衛戦ではダメージを引きずったまま臨み、ダウンを奪われた末に判定負けを喫した。
 王座陥落から3か月、「日本の至宝」は復活の舞台にREBELSを選んだ。なぜREBELSに戻ってきたのか。そして、これから何を目指して戦っていくのか。
 梅野源治の胸中に迫った。


<異様なプレッシャーの中での初防衛戦>

「あんなプレッシャーは初めてでした。いきなりリングに放り込まれて『はい、戦え!』と言われてるぐらいの緊張感と重圧で、鳥肌が立ち、寒気もしてきた。自分の中に色々な不安を抱えてて、動きも正直良くなかった。だけど、力を出せなかったのも自分の実力。改めて、自分の心の弱さを感じました」
 2017年5月17日、タイ国ラジャダムナンスタジアムにおいて、ライト級王者として初防衛戦に臨んだ梅野を待っていたのは、強烈なアウェーの洗礼だった。かつて、ラジャダムナンスタジアム創立記念興行で現役王者と対戦するなどタイでのビッグマッチは経験済みの梅野にとっても、防衛戦は初めて味わう異様な空気の中での試合だったという。
「対戦相手のサックモンコンはソーソンマイというジムの選手で、控え室にはセクサンとかチャンピオンが勢ぞろいしていて『今日はサックモンコンがベルトを獲る日だ!』とかずっと掛け声を掛けているんです(苦笑)。次の試合の選手が入場前に座る椅子があるんですが、そこでも応援団の掛け声は止まなかった。少しでも隣に座っている僕にプレッシャーを掛けたかったのでしょう。そんな光景は今まで見たこともないですし、入場までずっと大声で掛け声を掛けているなんて聞いたこともなかったです(苦笑)」
 好調時であれば、そんなプレッシャーも跳ね返せたかもしれない。だが、梅野は怪我を抱え、不安な気持ちで試合に臨んでいた。
「4月のロートレック戦で上腕二頭筋を断裂して、眼窩底と鼓膜も痛めて、それがなかなか治らなくて。計量前に水分で2キロ以上抜いているのに、試合まで体重が2キロしか戻らなかった。そんなことは初めてでした。初防衛戦だからプレッシャーが掛かってくるのは分かっていましたけど、自分で勝手に不安を募らせてしまったかもしれない。もっと自分を信じ切って、自分の可能性を感じながら戦えていたら、と……」
 対戦相手のサックモンコンは身長185cm。この階級では長身(180cm)の梅野も「あそこまで背が高い選手は初めて」。初回にサックモンコンのパンチでダウンを喫し、ペースを掴めぬまま判定負けを喫した。
「いろんな人が協力してくれて獲れたベルトだったのに、期待に応えられず、しかも大差の判定でベルトを奪われてしまった。その結果に対しても、プロになって初めての2連敗というのもショックでした。怪我も試合でさらに悪化させてしまって、練習を再開しても動きが明らかに悪くなっていた。これで怪我が治らなくて、トップ選手としのぎを削る状態まで持っていけないなら、とも考えましたね……」
 どん底に突き落とされて、梅野は改めて自身の「原点」を見つめ直した。
「格闘技を始める時『一番になりたい』と思ったんです。一番になって、みんなに認めて貰いたかったし、何か誇れるものが欲しかった。そういう理由で始めたのに、ラジャで味わったあの凄いプレッシャーから逃げてやるのは嫌なんです。ラジャでもやる、日本でもやる、他の海外でもやって、どこでも結果が残せるのが自分の中の『本物』。よく『ムエタイはギャンブルでお金が掛かってて、本当に強い選手を決めるのは難しい』と言われて、それは一理あると思いますけど、実際にムエタイのチャンピオンは世界中で認められますし、ムエタイのトップクラスはあの凄まじいプレッシャーの中で結果を残している。僕はそんな本物を目指したい」


<KNOCK OUTでは「判定ばかり」の批判>

 梅野が昨年12月にスタートしたKNOCK OUTに参戦した理由は「本物」というコンセプトに共感したからだった。
「『本物が集まるリング。強い選手を呼ぼう』と言われて、共感しましたし、どんどん強い選手とやれて、ヒジありを盛り上げられるかもしれない、と考えて契約しました。契約した以上、KNOCK OUTを少しでも広めたいと思って、色々と努力したつもりです。だけど、現実的には僕がやった試合は全部判定で、盛り上げようと思った発言は身内からも批判されましたし(苦笑)。自分では『嫌われ役』を買って出て、KNOCK OUTを知って貰うきっかけになれば、と思ったんですけどね。『こう言えば、取材に来るだろう』と思って発言して、実際に『ゴング格闘技』で何ページにも渡って特集されましたし。頑張ります、いい試合します、っていういい子ちゃん発言なら誰でも出来ると思ったんですけど、やはり叩かれることが多くなりました。難しいです(苦笑)」
 確かに、梅野の発言は刺激的だった。
 KNOCK OUTに出場している選手たちの「KOしてこそ」とのKO至上主義に対して『判定でもいい試合はある』と異議を唱え、日本人選手によるライト級トーナメントは『日本人同士で戦って、倒れたり倒されたりしているドングリの背比べ』と評して出場せず。『僕はホンモノ同士の闘いで、打ち合いの中にテクニックもある世界最高峰の闘いをする』(KNOCK OUT公式HP。KNOCK OUT vol.2、KING梅野源治インタビューより)。
 実際に、梅野はロートレック戦で凄まじい死闘を繰り広げた。関係者の間では「さすが梅野」と高く評価されたものの、観客の反応は「また梅野は判定か」だった。互いに細かいテクニックを駆使しながら、攻守がめまぐるしく変わる「凄まじい死闘」は観客席まで届いていなかった。
 そうした反応を、梅野は「残念なことだけど、仕方がない」と受け止めている。
「KNOCK OUTの煽りは『KOしなきゃダメでしょ、このリングは』ばかりで、今は判定だとブーイング、KOしたら拍手。お客さんは一つの楽しみ方だけになってしまっていますよね。だけど、どんなテクニックを使っているかとか中身を知るともっと楽しめるはずなんで、KOも素晴らしい、判定でもドローでも楽しめる、となればいいんですけどね」
 そんな時、REBELSから「9月6日、後楽園ホール」出場のオファーが届く。
「REBELSは、ラジャダムナンスタジアムのタイトルマッチを組んで貰って、ベルトを獲らせて貰ったリング。恩返しにもなりますし、第一歩を踏み出すのにふさわしい場だと思いました」


<REBELS.52、スアレック戦で「激しいムエタイ」を見せて、二大殿堂のタイトル奪還への第一歩に>

 梅野にオファーした理由を、REBELSの山口元気代表はこう明かす。
「REBELSを始める時に『キックはKOだけが魅力じゃない。90年代のスックワンソンチャイのような、激しくて、面白いせめぎ合いを見せたい』と言いましたけど、今回は原点回帰です。梅野選手にはKOどうこうじゃなくて、自分の好きなように戦ってほしい。そうしたら『激しくて、面白いせめぎ合い』を見せてくれますから。あのロートレックを相手に、あそこまで競り合える日本人は梅野選手しかいないですから」

 梅野も「山口代表の言葉に共感する」という。
「すごく言っていることがしっくりきます。激しいせめぎ合いの中にテクニックもある、防御もある、美しさもある。それはお客さんも見ていて面白いし、後楽園ホールだから細かいテクニックの攻防も伝わりやすいと思いますし。次の対戦相手(スアレック)も激しく来る選手だから盛り上がりますよ。ただKOを狙うだけではなくて、テクニックも持っている選手だから『激しいムエタイ』が見せられると思いますね」
 観客の応援も梅野を力強く後押しする。
 梅野は以前からムエタイを広める活動を続けており、今回のREBELSの客席には様々な企業の社長やインフルエンサーなど、200人以上の応援団が詰めかけるという。
「今、モデル事務所に入れて貰って、格闘技とは関係ない雑誌に出たり、色々なジャンルの人たちを紹介して貰って、ムエタイという競技を広めるための活動やアピールを続けています。ムエタイは難しいですけど『どうせ一般の人には分からない』ではなくて、少しでも広めていきたい。僕の試合を見て『あの首相撲でポイントになるのはどうして?』とか、色々と聞かれるのでテクニックを説明したり。小さいですけど、僕の周りではムエタイの知識を持つ人が増えていますし、ムエタイは知らないけど、僕の名前は知っている人もどんどん増えています。やはり僕に付いてきている後輩や、ムエタイを目指す若い選手たちのために、道をつけていきたいですし、いい思いもさせてあげたいので」

 再起するにあたり、梅野は一つの試合を思い出すという。2011年のウティデート戦。梅野のキャリアのターニングポイントとなった試合だ。
「ウティデートはセンチャイに勝っている選手で、当時は『絶対に梅野は負ける』と言われてました。僕は強い決意を固めて、その試合に向かってひたすら努力して、結果勝ったんです。あの試合で僕は強くなったし、強い相手を乗り越えるには強い決意が必要だと分かった。同時に、あれだけ練習できたのはミットを持ってくれた人たちのおかげで、周りへの感謝の気持ちに繋がりました。そういう経験が強さだけじゃない、人としての『人間力』にもなるんです。
 5月のラジャの防衛戦では鳥肌の立つほどのプレッシャーを経験しました。『また経験したいか?』と言われたらしたくないですけど(苦笑)、そのプレッシャーから逃げて、妥協して『俺は強い、強い』なんて言うのは、僕の中で一番ダサくて、カッコ悪いことなんですよ。お金を稼ぐことと、知名度を上げることが第一の『作られたスター』になったら、僕は選手としては終わりだと思っています。そんな気持ちでは第一線で、本物の相手とは戦えないです。
 楽なところにいると、どんどん逃げ道を作ってしまう。でも、決意が必要な場に挑むからこそ、そこに成長があるんで、僕はこれからまた二大殿堂のタイトルを目指していきますし、それには強い決意が必要になると思っています。だから、今回のスアレックはその第一歩としていい対戦相手だと思っています。無理にKOを狙っていくのではなく、自分の試合をして、もちろんしっかりと差を見せつけて勝って、また二大殿堂のタイトルを目指す上での足掛かりにしたい。大変な道ですけど、僕はまたそこにたどり着く決意をしていますから。ぜひ、スアレック戦を見に来てほしいです」
 9月6日、日本の至宝が復活する。


○プロフィール
梅野源治(うめの・げんじ)
所  属:PHOENIX
生年月日:1988年12月13日
出  身:東京都
身長体重:180cm、61㎏(試合時)
戦  績:51戦39勝(18KO)9敗3分
タイトル:元ラジャダムナンスタジアム認定ライト級王者、WBCムエタイ世界スーパーフェザー級王者、初代WPMF日本スーパーバンタム級王者



小笠原瑛作選手 インタビュー公開!

インタビュー

公開日:2017/8/1

2017年9月6日 REBELS.52(後楽園ホール)のメインイベントでISKA世界バンタム級王座(K-1ルール)獲りに挑む、軽量級最注目の「スピードアクター」小笠原瑛作にロングインタビュー!(後編)

「僕は、負けて強くなった。『負けキャラ』の希望になりたい」




<負けを経験するたびに、もう一段階強くなった>

 7月31日現在、プロ戦績は29戦26勝(14KO)3敗。この中で印象的な試合として、小笠原は「3敗」を挙げる。
「負けるのは嫌ですけどね(苦笑)。負けたら、タイ人の先生や会長とかみんなにボロクソに言われて居場所がないし、人生、見てるものが全部灰色ですよ(苦笑)。僕は楽しいことが好きだし、キツいことなんか本当は好きじゃないですけど、やっぱり勝たないと楽しく生きられない。嫌な競技を選んじゃったな~、なんて思ったりもするんですけど。  振り返ると、僕は『負け』が分岐点になっているんです。9連勝して、初めてベルトを巻いて(REBELS-MUAYTHAIフライ級王者)、10戦目で加藤竜二選手のバックキックで失神KO負けして。その次はカンボジアでの試合で、最初に相手をボコボコにしたんですけど、ボディを効かされて倒されました(苦笑)。会長とタイ人の先生に『ボディで負けるなんて!』とボロクソに言われて。
 その後から12連勝して、RISEバンタム級次期挑戦者決定トーナメント決勝戦が村越(優太)選手との試合(16年7月30日)。勝てば、次は『天心戦』でそれが頭にあって『ここはバッチリ倒さないと』って倒し方とかを考えて。今、考えたらメンタル的なものが上手くいかなかったし、連勝するうちに『負けることの恐怖』もあったんです」  村越戦では1ラウンドからパンチで攻勢を掛けたものの、村越のボディ攻めで失速。3Rに陣営がタオルを投入してTKO負けとなった。

 山口会長「油断ですよね。12連勝でみんなが『村越戦は余裕だ』と見てたし、僕は大田区総合体育館のクンルンファイトとの合同興行の準備で忙しくて、全く瑛作を見てなかった。僕も『大丈夫だろう』と思ってしまった。勿論村越選手が瑛作より強かったという事なんですけど。でも、瑛作の良さは『負け』をきっかけに、もう一段強くなるところです。村越戦で負けて、瑛作は一段階気持ちが引き締まったし、僕やトレーナー陣もそうです。
 村越戦があったからワンチャローンに勝てたんですよ。ワンチャローン戦の1ラウンドが終わってコーナーに戻ってきた瑛作の顔を見てみんな『村越戦のパターンか?』と思った。でも瑛作はそこで踏ん張りましたから」

 1年前の村越戦から何が変わったのか。
 村越戦の敗北の後、山口会長から出された「指令」があったという。
「僕が村越戦で負けした1週間後、T-98(タクヤ)さんが会長に『野木トレに行ってきます』と言ったら、会長が僕を見て『アイツも連れてけよ!』って言ったんです。気持ちも落ちてて、行きたくないと思ったんですけど『嫌です』なんて言えず(苦笑)。T-98さんについていって、階段ダッシュをして、キツすぎてゲロを吐いた(苦笑)。それが最初です」
 ボクシングの白井具志堅ジム、野木丈司トレーナーが主宰する「野木トレ」。その過酷な階段ダッシュには白井具志堅ジムのボクサー以外にも八重樫東、所英男、KANAら競技や団体の枠を超えた豪華メンバーが顔を揃え、メンバーの中から大雅(K-1 WORLD GPスーパーフェザー級王者)や比嘉大吾(WBC世界フライ級王者)ら、次々と王者が誕生している。
 小笠原はこの1年間、そんなメンバーと切磋琢磨してきた。
「周りのメンツが凄いです。世界チャンピオンが二人いますし、その中で自分が負けたら居場所が無くなりますし『これだけのメンバーと練習してる』と自信にも繋がります。勝てば、所(英男)さんや世界チャンピオンのボクサーが『おめでとう』と言ってくれますし『ここのメンバーの一員でいなくちゃいけないし、恥ずかしい試合は出来ない』という自覚につながってます」
 中でも、同い年の比嘉大吾には刺激を受けているという。
「白井具志堅ジムの若いボクサーたちがみんなを引っ張るんですけど、中でも大吾君は一番速いし、彼の中でプロとして『世界を獲る』という自覚が世界挑戦の前からあったと思うし。それで『自分もこんなところで止まっていたらいけない。近づかないと』と思うようになりましたね。
 参加した頃は先頭集団に付いていけなかったですけど、今は結構先頭の方で走るようになりました。今でも行くのが嫌ですし、当日の朝にカーテンを開けて雨が降ってると『シャー!』ってガッツポーズが出るぐらいキツいです(苦笑)。でも、やり切ると、確実に返ってくるものがありますから」
 小笠原の必死の努力に、山口会長も「愛のムチ」で応えた。
「村越戦でボディで負けたのに、その次の試合が工藤選手とで(REBELS.46)、またボディ攻撃の強い選手と組むという(苦笑)。でも、そこで勝ったからこそ、KNOCK OUTに呼ばれましたし。そういう僕のストーリーを会長が考えてくれて、ポイントポイントで出してくれてるのかなって思います」


<苦悩の末のワンチャローン戦。そしてこれから、小笠原瑛作はどこへ向かうのか?>

 今年6月のワンチャローン戦は、小笠原にとってリスクの高すぎる試合だった。
 「倒し倒され」の激闘を繰り広げるワンチャローンは、タイの人気選手であり、現役の王者である。だが、日本におけるワンチャローンは「那須川天心にバックキックでKOされた選手」。それだけに、勝っても負けても那須川と比較されて、小笠原の評価が下がるだけ、という結果に終わりかねなかった。
「KNOCK OUTからワンチャローン戦のオファーが来た時、会長に『俺は断った方がいいと思うよ』と言われて。僕も、天心と比べられるだけし、弱い選手じゃないし、はっきり言ってリスクしかない。で、最初は『やりたくないです』と会長に言って断ったんです。でも、KNOCK OUT側はやらせようとするんですよね。
 そんな時、ウーさんだけはすごく盛り上がっていたんです。『お前なら絶対に勝てる!』って。ウーさんはタイでワンチャローンを教えてて、元の生徒と今教えてる僕の試合を見たかったと思うんです。ウーさんは僕が勝つと、飛び跳ねて、超喜んでくれるのでそれがすごい嬉しくて。
 だから、ウーさんのために頑張って試合しようという気持ちもあって試合を受けました。ウーさんに伝えたらすごく燃えてて『ワンチャローンに勝ったら凄いことだぞ!』って。
 信頼するウーさんに『勝つ姿を見せたい』と思いましたし、やると決めたら『天心があれだけの勝ち方をしてるけど、自分は何かそれを超えるものを見せたい』と思ったし。ネガティブになっても仕方ないんで『いい試合が出来るんじゃないか』とワクワクに変えて、練習量を増やして臨みました」

 結果は5ラウンドTKO勝利。これでKNOCK OUTでは旗揚げ大会から実に4連続KO勝利をマークした。
「試合後の反響がこれまでと全然違いました。ある意味、倒し倒されの激闘になって、結果的に良かったのかな、と。試合前から『天心みたいな倒し方は出来ない』と言ってましたけど、違う倒し方になりましたし、お客さんも『感動した』と言ってくれて、よかったかなと思いますね。
 本当に、負けなくてよかったです。そういう意味でKNOCK OUTのマッチメイクはえぐいな、と(苦笑)。でも、勝ったらかえってくるものも大きかったので、結果的にやってよかったです」

 そして、山口会長は新たなテーマを小笠原に与えた。それは「自分の価値を高めること」。
 そのための舞台がホーム、REBELS。小笠原にとって初の世界タイトルマッチ、そして初めてのメインイベント起用である。

●9月6日、東京・後楽園ホール
「REBELS.52」
 メインイベント:ISKA・K-1ルール 世界バンタム級王座決定戦 小笠原瑛作(クロスポイント吉祥寺)対 ジョヴァンニ・フランク・グロス(フランス)


 ISKAの世界バンタム級タイトルを保持するのは、オリエンタルルール(ヒジなし)が那須川天心、ムエタイルールが志朗。小笠原がK-1ルール王者となれば、この二人と肩を並べることになる。

 山口会長「ワンチャローンに勝って、さらにステップアップをはかるいいタイミングですよ。メインをやると選手の意識は変わります。前座でどんなにいい試合があっても、メインがつまらない試合だったり、お客さんの期待に応えられない試合だとそのイベントが駄目になる。興行はメイン次第です。
 瑛作はそういうメインイベントの責任を果たすべき時期に来てて、一度経験させたいと思っていました。KNOCK OUTだと第一試合や第三試合をやらされちゃうんで。
 あの子は、目立つ場でやる方が力を発揮できるタイプです。目立たない場よりも『自分ひとりを見てくれる場』だと、期待以上の力を発揮する。今回は瑛作が思う存分、目立つ舞台を用意したんで、これで一段階、選手として上がってほしい。
 プレッシャーはかなりのものですよ。あの梅野(源治)選手がセミで、瑛作がその後で『興行を締める責任』を果たせるのか。瑛作にはこのプレッシャーも利用して、跳ね飛ばしてほしい」

 当の小笠原も、今回の「初メインイベント」には驚き、そして試合に向かう気持ちがより高まったという。
「めちゃくちゃモチベーションが上がりました! これまでの試合よりもさらにハードルをグッと上げてきて、会長はそういうストーリーをズバッと作ってきますよね(笑)。僕をメインに選んでくれて、とても大事な1戦になりました。これを乗り越えたら、自分はまた成長できるし、一皮剥けて、階段をまた一つ上がれると思うので」
 ただし、ことさら「メインだから」という意識は持たずに「等身大の自分」で勝負する。それは過去の敗北から学んだことだという。
「メインだからといって、格好をつけて、ひっと飛びした戦い方は僕には出来ないので。これまで積み重ねた、等身大の自分でやって、さらにステップアップした試合をする、というだけですね。
 メインの自覚もすごくありますけど『いい試合が出来なかったらどうしよう?』や『メインの仕事が出来なかったらどうしよう?』は抜きにして、シンプルに、等身大の自分で仕事をして、それが結果につながればいいかな、と。ワンチャローン戦もそう考えて結果につながったんで」

 今回のタイトルマッチは「ISKAのK-1ルール」。ヒジ打ちなし。また、現行のK-1ルールとも違い「掴んだら、ワンアタックはOK」(山口会長)という。

 山口会長「瑛作は元々、KNOCK OUTに出るまでヒジなしルールでやってきたので問題ないです。瑛作はこれからタイのベルト(ムエタイ王座)を視野に入れていくのもありだと思うし、パンチでも倒せるからREBELSではヒジなしルールでやっていくのもいいと思うし。
 彼は、より輝く場所にいた方がいいんですよ。本人も目立ちたいし、その方が力を発揮するし。ルールにこだわらず、彼が一番輝く舞台で勝負させたい」

 よく話題に上る「那須川天心戦」についても聞いてみると、山口会長は「今はまだその時期じゃない」という。

 山口会長「僕が瑛作に言うのは『天心君とやりたい、やりたいと言えば言うほど、相手はやりたくなくなるよ』ということ。今は、瑛作自身のブランド価値を高める時期。価値が高まって、向こうから『やりたい』と言うような立場にならないと。

 小笠原にとっても「天心戦」には特別な思いがある。だからこそ「いつ、どの舞台でやるか」にこだわりたい。
「僕は別に『天心とすごいやりたい!』ではないです。僕の性格上、ある意味ではやりたくない。ただ、格闘技が今、一般向けに知られてない中では、実力もないと駄目だと思うんですよね。本物でなければ認められないと思うんです。
 その意味で、同じ階級で、同じ日本人に天心がいちゃうんで『やらないといけない』と思うし、天心を倒さないと自分が本物になれない、と思っています。僕がメインとして今よりももっと輝いてくれば、ファンの人から余計に『天心との試合が見たい』っていう声が上がるだろうし。
 ファンの人の間に『8月のKNOCK OUTで天心とやるんじゃないか?』と言う声もあったんですけど、僕はただ単にやるだけでは意味がないと思っています。
 天心は天才で、子供の頃から鳴り物入りで来ましたけど、そんな『天才』を、コツコツと『努力』を積み重ねてきた僕が倒せたらストーリー性があると思うし。今、ジュニアの試合で何もできない、弱い子供たちにも夢を与えられるだろうし。
 その意味でも、天心はグッと行ってますけど、僕ではまだ知名度が全然足りないです。だからタイミングは今じゃなくて、もっと盛り上がったところでやりたい、という気持ちがありますね。
 僕はキックボクシングをもっと盛り上げたいし、一般の人にもっと知って貰って、一般のスポーツに並ぶぐらいに持っていきたい。
 今までスポーツを見たことのない人が、僕の試合を見て『すごい感動した』と言ってくれたり、喜んでくれたりするのを見ると、何か特別な力が格闘技にはあると思うし。

 昔のK-1はすごく色がありましたよね。須藤さんは須藤さんの、魔裟斗さんには魔裟斗さんの。佐藤さんや武田さんも、この曲が流れたらこの人が出てくるって。イメージとキャラクターとすべてが立ってて、そんな『役者』さんたちが並んで戦うから感動するし。日本人はそういうのが大好きなのかな、って思うんですよ
 そういう『役者』はたくさんいた方が盛り上がると思うし、今だと、天心は天心の立ち位置があるし、武尊さんは武尊さんの立ち位置がある。僕は僕で、早く僕の立ち位置を確立したいです。今、ネットでも『天心対武尊が見たい』ばかり言われるじゃないですか。もし『那須川天心対小笠原瑛作』が組まれても『あ、やるんだ。でもここまで来たら天心対武尊が見たい』と言われてしまう。
 それではダメなんで『小笠原瑛作がやるの?早く見たい!』ってみんなが思うようにならないと。そう言われるようになるまで、僕が頑張っていければ。
 将来の目標は、俳優です。舞台もまだ2回ぐらいしか立ったことがなくて、突き詰めていくと『違うな』と思うかもしれないですけど。キックをやる前から和太鼓もやっていますし、何か自分の体を使って人前で表現することが出来たらいいな、と。そこはやっているうちに固まってきて『これだ』というものが出来てくると思うんで。
 まず9月6日、初めてのメインイベント、初めての世界戦で会長やファンの人に『小笠原瑛作がメインで良かった』と言って貰えるように頑張ります」


○プロフィール
小笠原 瑛作
所  属:クロスポイント吉祥寺
生年月日:1995年9月11日生まれ
出  身:東京都
身  長:170cm
戦  績:29戦26勝(14KO)3敗
タイトル:REBELS52.5kg級王者



小笠原瑛作選手 インタビュー公開!

インタビュー

公開日:2017/7/31

2017年9月6日 REBELS.52(後楽園ホール)のメインイベントでISKA世界バンタム級王座(K-1ルール)獲りに挑む、軽量級最注目の「スピードアクター」小笠原瑛作にロングインタビュー!(前編)

「僕は、負けて強くなった。『負けキャラ』の希望になりたい」




9・6 REBELS.52(後楽園ホール)でキャリア初のメインイベントを務める小笠原瑛作(クロスポイント吉祥寺)。
 抜群のルックスと「現役美大生キックボクサー」として注目を浴びる小笠原瑛作だが、ここに至るまでの道のりは決して平たんではなかった。
「意外と知られてないですけど、僕はアマチュアでデビューから10連敗した『負けキャラの瑛ちゃん』でした(苦笑)。プロになってからも大事な試合で負けたり、何度も挫折しましたけど、コツコツと努力を続けてここまで来たんです」

 小笠原を10年間指導してきたREBELS代表でクロスポイント吉祥寺の山口元気会長は言う。
「瑛作は『天才』ではないですけど、努力を継続する才能があります。今、ジュニアで勝てない子供たちの『希望の星』だと思うし、この1年で急成長しましたけどまだ成長過程にある。今、軽量級キックボクサーには実力のある選手が揃っていますけど、もしかしたら『伸びしろ』は瑛作が一番かもしれない」

 急成長を続ける最注目の軽量級キックボクサー、小笠原瑛作とはどんな選手なのか。
 現役ムエタイ王者ワンチャローンをKOするという快挙を達成した6月の試合や、これまでの足跡、そして現在の胸中に迫った。


<ワンチャローン戦、激闘の末の勝利>

 誰もが驚く快挙だった。
 6月17日のKNOCK OUTで小笠原瑛作が予想だにしないKO劇を演じた。相手は現役のルンピニースタジアム認定スーパーフライ級王者、ワンチャローン・PKセンチャイジム。ムエタイ王者と倒し倒されの大激闘を展開し、小笠原が戦闘不能に追い込んで5ラウンドTKO勝利を収めたのだ。
「ギリギリの勝利でした」
 小笠原は試合開始のゴングと共に得意のパンチ&ローキックで攻め込んだ。
「最初からパンチとローで攻めたら『効いてる』という感覚があったんです。さすがにワンチャローンは顔に出さなかったですけど、ちょくちょくそういう感じが伝わってきて」
 開始から1分半で最初のダウンを奪い、さらにギアを上げて攻め込んだが無情にも3分間が終了。1ラウンドKOの目論見が外れて、小笠原は動揺する。
「『1ラウンドで倒し切れる!』と思ったんですけど、仕留められませんでした。1ラウンドが終わった時は、スタミナを全部使っちゃった~、と焦りましたね(苦笑)」

 山口会長「コーナーに戻ってきた時、みんな『これは村越(優汰)戦のパターンか?』と思ったんです。最初から飛ばして、仕留めに掛かったのに仕留め切れず息が上がってしまった。本人も弱気な顔になってましたね」

 息も整わないまま突入した2ラウンド。ワンチャローンは猛然と反撃に出て、息の上がった小笠原にバックブローを打ち込んでダウンを奪い返した。
「あのダウンで『終わった』と思った人もいたでしょうね。会場に来てたお父さんは、僕の性格も知ってるし『いつものパターンだ』と頭をよぎったと言ってました。自分でも『1ラウンドであれだけスタミナを使って、あと4ラウンドも動けるのか』と不安な時にダウンしちゃって(苦笑)。ヤバい、と」
 2ラウンドが終わり、インターバルでコーナーに戻ってきた小笠原に、山口会長は「3ラウンドは自分から攻めるな」と指示を出す。

 山口会長「瑛作の頭の中は『早く倒さなきゃ!』だけだったので、一度落ち着かせたんです。自分から攻めずにジャブを突いて、ローを蓄積させて、一度しっかりと作り直せ、と。そうしたら落ち着いたんです」

 3ラウンドに小笠原がペースを取り戻すと、4ラウンド開始直前、山口代表がこの試合を決めた「ひとこと」を言う。

 山口代表「セコンドのみんなは『気持ち、気持ち!』と叫んでいたんですけど、気持ちの勝負になれば数々の修羅場を経験してきたワンチャローンの方が強いですよ(笑)。
 どうしようかと思った時、瑛作が『自分大好き』なことを思い出して(笑)、瑛作に『怖い顔をしろ。自分は大丈夫だ、全然疲れてないぞ、と強い自分を演じろ!』と。それがハマりましたね」

 小笠原は「強い自分を演じろ!」の言葉で、再び闘志を奮い立たせた。
「元々、演劇を大学で学んでて、自分のことが好きですし(笑)、試合では入場から『格好いい自分』を演じるというか、僕は人に何かを見せるのが好きなんです。『リング上では格好いい自分を見せる』っていう理想像があって、会長に『強い自分を演じろ、相手を睨んでいけ!』と言われて、バチン、と気持ちが入った部分がありましたね」
 4ラウンドの途中、それまでローキックを蹴り続けてきたダメージで自分の足を痛めるアクシデントもあったが、ここで小笠原は攻撃をパンチ主体に切り替えて、ワンチャローンからダウンを奪うことに成功。
 さらに、5ラウンドに小笠原が渾身のローを叩き込むとワンチャローンの足が動かなくなり、陣営はタオルを投入。小笠原は現役ムエタイ王者、それも軽量級の王者をキックルールでKOする快挙を成し遂げた。

 この勝利は、単なる1勝ではない。10年間、キックボクシングに打ち込んできた集大成と言えるものだった。
「小学5年にクロスポイント吉祥寺に入会して、会長やタイ人の先生から教わってきたムエタイの技術で勝てたことは大きいですし、嬉しいですね。今まで教わってきたことが本場のタイの選手に通用するんだ、と証明できましたし、自信にもなりました」

 山口会長は「3ラウンドで立て直せたこと」を高く評価する。
 山口会長「これまでなら失速して負けたパターンでしたけど、あそこで踏ん張れたのは高橋(ナオト)さんから教わったパンチや、和田(良覚)さんや野木(丈司)さんのフィジカルトレーニングの成果だと思いますよ。瑛作はどんどん詰めていけば詰めていくほど伸びる子だと分かっているので、より良い練習環境作りは惜しみなくやってきて、その成果を見せてくれましたね」

 小笠原は言う。
「あまり知られていないんですけど、僕はアマチュアで全然勝てなくて『負けキャラの瑛ちゃん』と言われてたんです(苦笑)。ジュニアのタイトル歴を見て『小笠原君は鳴り物入りで上がってきたんでしょ?』と言われるんですけど、全然そうじゃないです。だから、今、ジュニアで勝てない子がいたら、コツコツと努力していると、いつかムエタイのチャンピオンにも勝てるよ、と伝えたいです。『天才』ではなくても、努力を積み重ねたら勝てるようになる、と僕が見せていきたい」


<負けキャラの瑛ちゃん>

 小笠原がクロスポイント吉祥寺に入会したのは小学5年。兄弟喧嘩で3歳上の兄(裕典。現WBCムエタイ日本スーパーバンタム級王者)に勝てず、見返すために近所のクロスポイント吉祥寺に入会した。
「試合に出るつもりは全然なかったです。試合に出るのは怖かったので(笑)。
 元々、武蔵野市という土地柄もあるんですけど、ヤンキーがいないんです(笑)。街中でトラブルになったこともないですし、友達同士で喧嘩になりそうになったら『そうだよねー』って相手に合わせます(笑)。平和に生きてきたので、格闘技で必要な『勝ちに行く』という気持ちが元々なかったんです。
 (山口)会長に『試合に出たらディズニーランドに連れていってあげるよ』と言われて、アマチュアの試合に出たんですけど、やっぱり気持ちの強さもなくて、最初は全然勝てなかったです」
 アマチュアではいきなり10連敗。だが、それはクロスポイント吉祥寺の育成方針も関係していた。
 山口会長「ウチの方針は、ジュニアには『試合に勝つための練習』ではなく、まず『楽しんで、続けること』が第一と考えています。僕はスパルタに対してものすごく抵抗があるんです。
 好きだからこそ、大人になってからも続けられると思うんで、瑛作にも『気にするなよ、今は体が小さくて負けてるだけだから』と言い続けました。基本の技術を身につけておけば体が同じぐらいになれば勝てるよ、と」

「続けることって大切ですよね。何よりも続けられた理由として、楽しかったし、強制で『やれ』と言われてやってたわけじゃないんです。お母さんは『逆に、どこまで負け続けられるのか、記録を伸ばしてみなよ』って言うし(笑)。お父さんは格闘技大好きですけど『辞めたかったらいつでも辞めていいよ。でもお前がやることは応援するよ』って。試合で負けると『負けちゃったねー』って、車の中でどんよりしながらも『いつか、お前が勝ってチャンピオンになったら、漫画になるようなストーリーが出来るんじゃね』って。今、僕がこれだけプロで勝つようになって、お父さんも嬉しいんじゃないですか(笑)。
 だから、嫌な気持ちではなかったですね。ジムに行けば、先輩たちが『おお、瑛作来たかー』って迎えてくれて、可愛がってくれましたし。辛いことも一杯ありますし、負けたらボロクソに言われて、この『ガラスのハート』が割れる時もありますけど(笑)。でも、格闘技をやってて、気持ちも強くなってるのかな、と思うことはありますし」

 それにしても勝てなさすぎるな…。
 連敗街道を走る瑛作少年を見て、山口会長は一つのアドバイスをする。
 山口会長「基本的な技術は高いのに勝てないから一度試合を見に行って『昔の俺と同じだな』と思って『サウスポーに変えてみな』と言いました。右対右だと体の大きな相手の圧力に押されますけど、サウスポーで強い左ミドルを蹴れば圧力を押し返せるんで。瑛作はサウスポーにしてから勝ち出して、ジュニアのタイトルを獲るまでになったんです」

 また、この時期にジュニアで活躍する選手との違いを見て、山口会長は「瑛作は天才型じゃない。じっくり育てよう」と決めたという。
 山口会長「瑛作の場合、極端に小さくて体格差で勝てなかったですけど、天心君は体格差も克服して勝ててしまう。特に、天心君は空手で大きな子とバンバン試合してきてますし、彼が中学生の時、高校生の瑛作と体格差あっても普通に押してましたからね。彼はやはり天才です。天才が努力してるんだから、これ以上強いものはないです。
 でも瑛作は天才ではない。だから、一つ一つコツコツと努力して、積み上げていくしかないんです。プロになってからも連勝して『自分は元から強いわけじゃない。努力で強くなってきた』と忘れてしまった時、コロっと負けてしまう」


<武器は「素直さ」。指導者が変わると、試合のスタイルも変わる>

 小笠原自身、自らが「努力型」であることを自覚している。
「僕の場合、本当に階段を一歩一歩上がってる感じがあって。天心とか今のジュニアのチャンピオンはドーンとひとっ飛びする『天才』ですけど、僕はひとっ飛び出来るタイプじゃなくて、一つ一つ積み重ねきて今があるんで。アマチュアで10連敗して、その後もすべて良かったわけじゃないです。プロになってからも気持ちの部分や技術や体力面で一杯負けを経験してきましたから」
 15歳でプロデビューしていきなり9連勝。だが、そこで待っていたのは「塩試合の瑛作」という批判だった。
「10戦目まで『お前の試合は本当に面白くない。KO出来ないし、塩だな!』って言われ続けました(苦笑)。首相撲が得意だったので『近づくとすぐ組み付く。お客さんも身内もシーンとしちゃったよ!』ってイジられて、勝っても『ミスター判定』でした(苦笑)。先輩たちに『いつか倒すコツが掴めるようになるよ』と言われても『本当にそんな日が来るのかな?』と思ってました」

 そんな「塩試合」の時期も小笠原の成長のためには必要だった、と山口会長は言う。
 山口会長「瑛作の良さは素直さで、その都度、教えられたことをしっかり身につけてきたんです。トレーナーがパノントンレックという膝主体の選手だった時は、首相撲主体の選手になり、パヤックレック(ターちゃん)に代わると完全にフィームー(テクニシャン)。前蹴りを蹴って、距離取って。
 トレーナーが今のウーさんになると、前に出てパンチとローです。完全に変わってしまいますけど、首相撲が出来て、フィームーで距離が取れて、パンチとローで倒せる。歴代のトレーナーと一緒に、瑛作は今の自分のスタイルを少しずつ作り上げてきたんです。
 それにプラスして、高橋ナオトさん(ボクシング元日本2階級王者)に教わると急にパンチが良くなり、和田さんや野木さんのフィジカルトレーニングで体も強くなった。瑛作の最大の良さは素直さと吸収力。それを考慮に入れるともの凄い可能性を秘めた子だな、とつくづく思いますよ」
 
 この「素直さ」、小笠原自身の感覚は「人の目を気にするから」だという。
「人の言葉とか、すごく気にするタイプなんです。学校では『いい生徒』でいたいし、両親には『いい子供』でいたいから頑張るし、友達にも『お前、いい友達だよな』と言われたいからいい友達でいるし(笑)。
 ツイッターとかも変な発言して嫌われたりするのは嫌なんで、そこらへんは慎重です。ジムでも、会長が僕のことを見て何か話してると『なんて言ってるんだろう?』って気にして、練習を滅茶苦茶頑張ったり(笑)。
 だから、タイ人の先生に教わる時は気に入られたくて、先生の教えを忠実に守ってやってきたのはありますね。最初の先生に首相撲を徹底して教えられて『塩漬け』の試合をして、二人目の先生にテクニックを教わって、会場も『上手いね~』という反応で。今のウーさんには気持ちの部分で『倒せ!』って。で、倒した方が会長もウーさんも両親もファンも喜んでくれる。その辺から『倒す意識』で試合をするように変わってきましたね。


(続く)

○プロフィール
小笠原 瑛作
所  属:クロスポイント吉祥寺
生年月日:1995年9月11日生まれ
出  身:東京都
身  長:170cm
戦  績:29戦26勝(14KO)3敗
タイトル:REBELS52.5kg級王者



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